カテゴリー「雑記」の記事一覧
母の四十九日法要の準備と、残っている各種手続きのために、広島に帰りました。
休みの前日の仕事後にいったん自宅に帰り、着替えて荷物を持ち新幹線に向かいます。
こうなったらこうなったで楽しもうと、おにぎりと文庫本片手に乗車しました。
吉本ばななのエッセイを読みました。
人が亡くなることについての話が多くて、とても今の自分に良いです。
親のいない田舎に帰るというのもなかなか初めてなので、妙な気分でした。
実家近くの向原駅に着くとイルミネーションが。
そういえば葬儀の後に向原駅から大阪に帰る時に、イルミネーションを設置してるのを見ました。
その時はとても悲しい気持ちで見ていました。
あ、できたんだ、と思っていたら“おかえり”の文字のイルミネーションが。
いいですね、故郷だ、と思いました。
タクシーに乗り、誰もいない実家に戻ります。
誰もいないけど、遺骨はあります。
帰ると、「ただいま」と遺影につぶやく。
そして、母が動けなくなっていたコタツの小さな敷きカーペットを洗いながらお風呂に。
静かだな、と思いながら、ずっとここで一人は寂しいなと思い、母の気持ちが理解できました。
風呂を出て、母の写真や日記を見ていたら、心底“寂しい思いをさせたな”と後悔。
遺影の前に行ったら泣けてきました。
ようやくしっかり泣けた気がします。
「寂しい思いをさせたのう、ごめんの」と、言うももう遅い。
この後悔は他の人に(家族、近所の人、ほか)に向けて償うしかないな、と気持ちを切り替えました。
やること山積み、しっかり寝て明日に備えました。
朝起きると、韓国の戒厳令のニュースが。
片目で見ながら、要るものの整理や洗濯掃除。
それから母の弟夫婦の住む隣の家で朝食をよばれました。
二人ともぼくが子供の頃に一緒に住んでたので、気兼ねはそんなにないです。
子供の頃は、母子家庭でしたが、サザエさん一家のような環境でした。
今回、そのおじさん夫婦と密に関われて、ある意味でとても良かったです。
こうやって葬儀、初七日、四十九日などがあることで、残った肉親の絆が強くなるものなのかもしれません。
午前中に、香典返しの注文や名義変更、解約、相続など済ませました。
この一か月、住所書きまくりです。
4、50回書いたのではないだろうか。
墓を見に行きそれから、おじさん夫婦宅でカレーをよばれました。
その後、四十九日法要の準備のために、部屋の片付けとお仏壇の掃除、食器やオイルヒーターやお盆を用意して、自分の着たものの洗濯、家の周りの掃除、帰る準備、まあまあやること多いです。
でもまあ、近所の方々に挨拶に行き顔を見ると、癒されます。
子供の頃の“やっくん”として接して貰えるからです。
そして今度は広島市内までバスで帰ります。
その車内で書いています。
車窓から見える懐かしい町を見ているとたまらなくなります。
学生の頃に楽しく過ごした町並み。
もう無い本屋の跡地。
その本屋のマンガで広い世界を空想した子供の頃。
友達と釣りをした川。
お祭りの記憶。
山に登ったこと、遠足で行った場所、洋楽と出会ったレコード屋さん。
洋楽や洋画で憧れた外国。
小学校、中学校。
あちこち自転車で走り回った。
その時は母親も祖父もおじさんも近所の人も、若くて今より元気だった。
これが人生と時の流れなのねと思いました。
イノトモという人の「シロツメ草」という歌を聴きました。
ママの歌です。
“シロツメ草を編んでいた 小さなボクが振り返る いつしかボクは一人きり こんな遠くに来てしまった”
一人きりではないけど、ま、今現在はバスで一人です。
そして遠いところに来てしまったな、と思います。
でも、きっといつか、母の死後におじさん夫婦や、近所のおじさんおばさん、幼馴染とよく話したな、と今を懐かしく幸せだったな、と思い出すはず。
だから実は今も幸せなんだ。
と、吉本ばなながそのようなことを書いていたような。
きっとそうなのでしょう。
そして新幹線に乗り換えました。
バスとは打って変わって車内は明るく快適で、気持ちも明るくなりました。
普段買わないけど珍しく駅弁を食べました。
うん、いいね。
旅気分。
これから本の続きを読みます。
休みの前日の仕事後にいったん自宅に帰り、着替えて荷物を持ち新幹線に向かいます。
こうなったらこうなったで楽しもうと、おにぎりと文庫本片手に乗車しました。
吉本ばななのエッセイを読みました。
人が亡くなることについての話が多くて、とても今の自分に良いです。
親のいない田舎に帰るというのもなかなか初めてなので、妙な気分でした。
実家近くの向原駅に着くとイルミネーションが。
そういえば葬儀の後に向原駅から大阪に帰る時に、イルミネーションを設置してるのを見ました。
その時はとても悲しい気持ちで見ていました。
あ、できたんだ、と思っていたら“おかえり”の文字のイルミネーションが。
いいですね、故郷だ、と思いました。
タクシーに乗り、誰もいない実家に戻ります。
誰もいないけど、遺骨はあります。
帰ると、「ただいま」と遺影につぶやく。
そして、母が動けなくなっていたコタツの小さな敷きカーペットを洗いながらお風呂に。
静かだな、と思いながら、ずっとここで一人は寂しいなと思い、母の気持ちが理解できました。
風呂を出て、母の写真や日記を見ていたら、心底“寂しい思いをさせたな”と後悔。
遺影の前に行ったら泣けてきました。
ようやくしっかり泣けた気がします。
「寂しい思いをさせたのう、ごめんの」と、言うももう遅い。
この後悔は他の人に(家族、近所の人、ほか)に向けて償うしかないな、と気持ちを切り替えました。
やること山積み、しっかり寝て明日に備えました。
朝起きると、韓国の戒厳令のニュースが。
片目で見ながら、要るものの整理や洗濯掃除。
それから母の弟夫婦の住む隣の家で朝食をよばれました。
二人ともぼくが子供の頃に一緒に住んでたので、気兼ねはそんなにないです。
子供の頃は、母子家庭でしたが、サザエさん一家のような環境でした。
今回、そのおじさん夫婦と密に関われて、ある意味でとても良かったです。
こうやって葬儀、初七日、四十九日などがあることで、残った肉親の絆が強くなるものなのかもしれません。
午前中に、香典返しの注文や名義変更、解約、相続など済ませました。
この一か月、住所書きまくりです。
4、50回書いたのではないだろうか。
墓を見に行きそれから、おじさん夫婦宅でカレーをよばれました。
その後、四十九日法要の準備のために、部屋の片付けとお仏壇の掃除、食器やオイルヒーターやお盆を用意して、自分の着たものの洗濯、家の周りの掃除、帰る準備、まあまあやること多いです。
でもまあ、近所の方々に挨拶に行き顔を見ると、癒されます。
子供の頃の“やっくん”として接して貰えるからです。
そして今度は広島市内までバスで帰ります。
その車内で書いています。
車窓から見える懐かしい町を見ているとたまらなくなります。
学生の頃に楽しく過ごした町並み。
もう無い本屋の跡地。
その本屋のマンガで広い世界を空想した子供の頃。
友達と釣りをした川。
お祭りの記憶。
山に登ったこと、遠足で行った場所、洋楽と出会ったレコード屋さん。
洋楽や洋画で憧れた外国。
小学校、中学校。
あちこち自転車で走り回った。
その時は母親も祖父もおじさんも近所の人も、若くて今より元気だった。
これが人生と時の流れなのねと思いました。
イノトモという人の「シロツメ草」という歌を聴きました。
ママの歌です。
“シロツメ草を編んでいた 小さなボクが振り返る いつしかボクは一人きり こんな遠くに来てしまった”
一人きりではないけど、ま、今現在はバスで一人です。
そして遠いところに来てしまったな、と思います。
でも、きっといつか、母の死後におじさん夫婦や、近所のおじさんおばさん、幼馴染とよく話したな、と今を懐かしく幸せだったな、と思い出すはず。
だから実は今も幸せなんだ。
と、吉本ばなながそのようなことを書いていたような。
きっとそうなのでしょう。
そして新幹線に乗り換えました。
バスとは打って変わって車内は明るく快適で、気持ちも明るくなりました。
普段買わないけど珍しく駅弁を食べました。
うん、いいね。
旅気分。
これから本の続きを読みます。
二週間して、母親の病名がわかったのです。
“悪性リンパ腫”
気づかないうちに病が進行していたんだと思うと、命の儚さを感じます。
そして自分もいつかは死んで行くのだとこんなに実感したのも初めてであります。
葬儀、手続き、がひと段落して、二週間ぶりにゆっくりすることができました。
たくさん寝た。
そして遺影用の額縁を買い、幸せそうだった頃の母の写真を現像しました。
葬儀では、遺影に使えそうな写真が見つからなくて、体を合成したものを使いました。
よくできていて母らしいのだけど、やはり体が他人のものというのが気になります。
だから遺影の横に、初めて孫を見た時の写真を置いた。
あの時幸せそうだったな、というのを見てれば少しはぼくの気持ちも救われるのです。
他の写真も見ていたら、母は小さい子供が好きだったんだなと思いました。
そして、気持ち悪いとは思いますが、時々母に話しかけるように独り言を言っています。
「おはよう」とか、「仕事終わったよ」とか。
母ひとり子ひとりというやつだから、甘えないようにしていたけど、自分は精神的なところではマザコンだったのかもしれないと思います。
やはり一対一なので結び付きは強く、いつも心のどこかに自分の幸せを一番に喜んでくれる人がいるという安心があった。
それが消えてしまった。
そしてじわじわと、ああ、親兄弟がいないんだな、という心細さも芽生えてきました。
------------
と、ここまで書いてから少し時間が経ち、俯瞰して見れるようにもなりました。
つまり、遅かれ早かれ自分もあちら側に行くんだということで。
しばしの別れだと思おう。
とはいえ、できればあと3〜50年は健康に生きてこの世を見届けたい。
できるかしら。
わからない。
本屋で見る本や、テレビで観るご高齢の方々は、概して明るい。
94まで生きたじいちゃんも明るかった。
通夜で集まった、じいちゃん方の親戚もみんな明るかった。
明るさと健康はきっと関係あるんだろうと思います。
それとも健康だから明るいのか?
希望があるから明るいのか?
それとも楽観的だから明るいのか?
よくわからないけど、老人の笑顔っていいなと思います。
とりあえず笑顔のある暮らしを心がけよう。
この機会になんとなく先を思うと、50代、60代、70代以降と、俯瞰して先が見えてしまいました。
そこをできるだけ楽しく、健康にやっていきたい。
もう、ほんとうにいい加減で、適当に余裕持って生き延びたい。
子供らに親が亡くなる経験をさせるのは、出来るだけ先延ばししたい。
そんな風に思うのです。
50代の節目がこねーなと思ってたら、こんな形で来てしまいました。
もう幸せの方に目を向けよう。
きっと心の痛みを持ったまま、素直でいられるはず。
“悪性リンパ腫”
気づかないうちに病が進行していたんだと思うと、命の儚さを感じます。
そして自分もいつかは死んで行くのだとこんなに実感したのも初めてであります。
葬儀、手続き、がひと段落して、二週間ぶりにゆっくりすることができました。
たくさん寝た。
そして遺影用の額縁を買い、幸せそうだった頃の母の写真を現像しました。
葬儀では、遺影に使えそうな写真が見つからなくて、体を合成したものを使いました。
よくできていて母らしいのだけど、やはり体が他人のものというのが気になります。
だから遺影の横に、初めて孫を見た時の写真を置いた。
あの時幸せそうだったな、というのを見てれば少しはぼくの気持ちも救われるのです。
他の写真も見ていたら、母は小さい子供が好きだったんだなと思いました。
そして、気持ち悪いとは思いますが、時々母に話しかけるように独り言を言っています。
「おはよう」とか、「仕事終わったよ」とか。
母ひとり子ひとりというやつだから、甘えないようにしていたけど、自分は精神的なところではマザコンだったのかもしれないと思います。
やはり一対一なので結び付きは強く、いつも心のどこかに自分の幸せを一番に喜んでくれる人がいるという安心があった。
それが消えてしまった。
そしてじわじわと、ああ、親兄弟がいないんだな、という心細さも芽生えてきました。
------------
と、ここまで書いてから少し時間が経ち、俯瞰して見れるようにもなりました。
つまり、遅かれ早かれ自分もあちら側に行くんだということで。
しばしの別れだと思おう。
とはいえ、できればあと3〜50年は健康に生きてこの世を見届けたい。
できるかしら。
わからない。
本屋で見る本や、テレビで観るご高齢の方々は、概して明るい。
94まで生きたじいちゃんも明るかった。
通夜で集まった、じいちゃん方の親戚もみんな明るかった。
明るさと健康はきっと関係あるんだろうと思います。
それとも健康だから明るいのか?
希望があるから明るいのか?
それとも楽観的だから明るいのか?
よくわからないけど、老人の笑顔っていいなと思います。
とりあえず笑顔のある暮らしを心がけよう。
この機会になんとなく先を思うと、50代、60代、70代以降と、俯瞰して先が見えてしまいました。
そこをできるだけ楽しく、健康にやっていきたい。
もう、ほんとうにいい加減で、適当に余裕持って生き延びたい。
子供らに親が亡くなる経験をさせるのは、出来るだけ先延ばししたい。
そんな風に思うのです。
50代の節目がこねーなと思ってたら、こんな形で来てしまいました。
もう幸せの方に目を向けよう。
きっと心の痛みを持ったまま、素直でいられるはず。
あまり音楽を聴く気分になれないのであります。
親の事を歌った何人かの人の歌は聴けた。
歌った人はこんな気持ちだったんだ、と今更ながらほんとにわかりました。
自分だけじゃないと、元気をもらえる。
職場のラジオから流れる音楽は普通に聴けます。
違うように聴こえて、改めて良い歌だなぁと思ったり。
母は三次という街の病院で亡くなったのだけど、その三次には子供の頃に母の車でよく買い物に行きました。
そこで買ってもらった記憶のある何枚かのアルバムはしはりく聴くのが辛くなりました。
ゲームはちょっとだけしました。
「なつもん」が、子供の頃の気持ちを思い出して、気を紛らわせてくれた。
それからテレビで見たサザエさんがすごく良かった。
みんな元気でニコニコしてて、なんやかんやあって。
しばらく、毎週録画して観ることにしました。
そしてそんなこんなで、気を紛らわすために、こうして文章を書いています。
そういえば初めて喪主をやりました。
忙しさや、人と接して、悲しさを分け合うことで、気が紛れるんだなと思いました。
懐かしい人と会いすぎて、嬉しさと混乱があります。
あかんかったなー自分、と思う。
幸せの傲慢さの中にいたのだろう。
でもそういう傲慢さの中いれたのは、ほんとに幸せなのだと思います。
この悲しさが常にある感じ、懐かしい、よく知っている。
自分としては良いものではないけど、けっして悪いだけの感情でもないはずだと思います。
手続きにいるというので、母親の戸籍謄本をとりました。
先祖の名前があり、ドキリとした。
ぼくの母方の曽祖母は、一歳になる前に父親を亡くしていました。
ぼくとほぼ同じじゃん。
もしかしてぼくの前世は曽祖母?とかちと思ったり。
想像の話でしかないけど、もし自分の前世が母親のおばあちゃんだったら素敵だなと思いました。
それから兄妹のように育った幼馴染み、ぼくの婚姻届が受理された日がちょうど命日でした。
なんの因縁なんだろう?と思います。
そういうのも前世があるのなら説明がつく。
それか、運命というものがある程度決まっているのか?そう思ってしまいます。
なんなのでしょう?
???だらけです。
お灸をやってみようと、ふと思いました。
ダイコク薬局にいくと200個入りのしか置いていなくて、そんなにいらないな、と湿布みたいな貼って温めるやつを買いました。
肩や首のコリのツボの所に貼ったら楽になった気がします。
次の日、心の疲れに効くツボの所に貼ってみたのですが、うーん、少しは効き目があった気がします。
コリにはすごく良いです。
親の事を歌った何人かの人の歌は聴けた。
歌った人はこんな気持ちだったんだ、と今更ながらほんとにわかりました。
自分だけじゃないと、元気をもらえる。
職場のラジオから流れる音楽は普通に聴けます。
違うように聴こえて、改めて良い歌だなぁと思ったり。
母は三次という街の病院で亡くなったのだけど、その三次には子供の頃に母の車でよく買い物に行きました。
そこで買ってもらった記憶のある何枚かのアルバムはしはりく聴くのが辛くなりました。
ゲームはちょっとだけしました。
「なつもん」が、子供の頃の気持ちを思い出して、気を紛らわせてくれた。
それからテレビで見たサザエさんがすごく良かった。
みんな元気でニコニコしてて、なんやかんやあって。
しばらく、毎週録画して観ることにしました。
そしてそんなこんなで、気を紛らわすために、こうして文章を書いています。
そういえば初めて喪主をやりました。
忙しさや、人と接して、悲しさを分け合うことで、気が紛れるんだなと思いました。
懐かしい人と会いすぎて、嬉しさと混乱があります。
あかんかったなー自分、と思う。
幸せの傲慢さの中にいたのだろう。
でもそういう傲慢さの中いれたのは、ほんとに幸せなのだと思います。
この悲しさが常にある感じ、懐かしい、よく知っている。
自分としては良いものではないけど、けっして悪いだけの感情でもないはずだと思います。
手続きにいるというので、母親の戸籍謄本をとりました。
先祖の名前があり、ドキリとした。
ぼくの母方の曽祖母は、一歳になる前に父親を亡くしていました。
ぼくとほぼ同じじゃん。
もしかしてぼくの前世は曽祖母?とかちと思ったり。
想像の話でしかないけど、もし自分の前世が母親のおばあちゃんだったら素敵だなと思いました。
それから兄妹のように育った幼馴染み、ぼくの婚姻届が受理された日がちょうど命日でした。
なんの因縁なんだろう?と思います。
そういうのも前世があるのなら説明がつく。
それか、運命というものがある程度決まっているのか?そう思ってしまいます。
なんなのでしょう?
???だらけです。
お灸をやってみようと、ふと思いました。
ダイコク薬局にいくと200個入りのしか置いていなくて、そんなにいらないな、と湿布みたいな貼って温めるやつを買いました。
肩や首のコリのツボの所に貼ったら楽になった気がします。
次の日、心の疲れに効くツボの所に貼ってみたのですが、うーん、少しは効き目があった気がします。
コリにはすごく良いです。
日常に戻ってきました。
気がつくと黄昏たり、もの思いにふけったりしてますが、普通に笑ったりもしてます。
飯も普通に食べてます。
今回感じたのは、ぼくを見守っていた誰かか、何かの「意思」。
神さまなのか、ご先祖さまなのか、母親なのか、じいちゃんなのか。
ぼくの気持ちの準備ができるように物事が動いてたし、慰めもあって、いったいなんなんだろうと思っています。
夜中に目が覚めて、頭が冴えてあれこれ考えていて、ふと感じた「お母さんがんばれ」と「やすしがんばれ」という大勢の意思。
思い過ごしかもしれないけど、安心感に満たされていたら、病院からかかってきた最後の電話。
車に向かう時の、すごく綺麗に見えた星空。
そして病院について5分ほどで息を引き取った母。
病院いる母に何もできず、墓に行って「母ちゃんが今大変じゃ、じいちゃん、ばあちゃん、父ちゃん、ええようにしちゃってくれ」と伝えたこと。
そしてたぶん、ええようになったこと。
それらが整理できずに、慰めとして残っています。
ここからまた馬鹿なことを言ったり考えたりしながら生きてくのだろうけど、“人って本当に死ぬんだ”っていうのが心のどこかにありながら、アホな事をして笑うのだろう。
そうだ、なるべく笑いたいな。
葬儀の後で悲しい気持ちの時に、家の周りで子どもらとアナグマを見かけて、母の弟夫婦のおばちゃんと畑に罠を仕掛けました。
子どもたちに、丁寧に説明してくれたおばさん(ねえちゃんと呼んでいる)。
次の日にすぐ罠にかかってアナグマ。
これも忘れられない思い出になるだろうと思います。

アナグマが主人公のいい絵本がある。
「わすれられない おくりもの」。
亡くなったアナグマさんと残された人たちのお話で、いまの自分にぴったり。
何度も読もうと思います。
気がつくと黄昏たり、もの思いにふけったりしてますが、普通に笑ったりもしてます。
飯も普通に食べてます。
今回感じたのは、ぼくを見守っていた誰かか、何かの「意思」。
神さまなのか、ご先祖さまなのか、母親なのか、じいちゃんなのか。
ぼくの気持ちの準備ができるように物事が動いてたし、慰めもあって、いったいなんなんだろうと思っています。
夜中に目が覚めて、頭が冴えてあれこれ考えていて、ふと感じた「お母さんがんばれ」と「やすしがんばれ」という大勢の意思。
思い過ごしかもしれないけど、安心感に満たされていたら、病院からかかってきた最後の電話。
車に向かう時の、すごく綺麗に見えた星空。
そして病院について5分ほどで息を引き取った母。
病院いる母に何もできず、墓に行って「母ちゃんが今大変じゃ、じいちゃん、ばあちゃん、父ちゃん、ええようにしちゃってくれ」と伝えたこと。
そしてたぶん、ええようになったこと。
それらが整理できずに、慰めとして残っています。
ここからまた馬鹿なことを言ったり考えたりしながら生きてくのだろうけど、“人って本当に死ぬんだ”っていうのが心のどこかにありながら、アホな事をして笑うのだろう。
そうだ、なるべく笑いたいな。
葬儀の後で悲しい気持ちの時に、家の周りで子どもらとアナグマを見かけて、母の弟夫婦のおばちゃんと畑に罠を仕掛けました。
子どもたちに、丁寧に説明してくれたおばさん(ねえちゃんと呼んでいる)。
次の日にすぐ罠にかかってアナグマ。
これも忘れられない思い出になるだろうと思います。
アナグマが主人公のいい絵本がある。
「わすれられない おくりもの」。
亡くなったアナグマさんと残された人たちのお話で、いまの自分にぴったり。
何度も読もうと思います。
しばらくブログを書く間がありませんでした。
その間に、急な事ですが母親が亡くなりました。
救急搬送の知らせを聞いて、4日あまりのことです。
体の不調の原因も分からずでした。
その後、葬儀の喪主をやり、各種の手続きをしている間に、あっという間に1週間が過ぎました。
幼馴染みに再会したり、近所の人と話をしたり、懐かしいやら悲しいやらで、気持ちが追いつく暇がなかったです。
星の配置が悪い時期とは聞いていたけど、うーん、これ程とは、という感じです。
同じ日に谷川俊太郎さんも亡くなっていました。
人はいつかは死ぬのだな、と思うのですが、全く心が追いつかない、そんな今です。
死に目に会う事はできて、手を取って声をかけながら見送る事はできました。
最後を看取れたのと、長く苦しむことがなかったのが、せめてもの救いです。
次に電話があれば看取りという時に見た綺麗な夜空、不意にかかった二重の虹、ずっと続いた青信号、母親の体調が悪化した頃に見た夢、ふと感じた「がんばれ」という大勢の人の気持ち、なんか見守られていたなぁと感じます。
大阪に戻り、しばらく気持ちの整理と郵送される手続きの書類に追われるでしょう。
いい大人なのですが、なんか急にさらに大人になったような気がします。
大人になるというか、あの世に一歩近づいた、というか。
人を大事にせねば、と思いました。
これから大阪と日常に戻ります。
その間に、急な事ですが母親が亡くなりました。
救急搬送の知らせを聞いて、4日あまりのことです。
体の不調の原因も分からずでした。
その後、葬儀の喪主をやり、各種の手続きをしている間に、あっという間に1週間が過ぎました。
幼馴染みに再会したり、近所の人と話をしたり、懐かしいやら悲しいやらで、気持ちが追いつく暇がなかったです。
星の配置が悪い時期とは聞いていたけど、うーん、これ程とは、という感じです。
同じ日に谷川俊太郎さんも亡くなっていました。
人はいつかは死ぬのだな、と思うのですが、全く心が追いつかない、そんな今です。
死に目に会う事はできて、手を取って声をかけながら見送る事はできました。
最後を看取れたのと、長く苦しむことがなかったのが、せめてもの救いです。
次に電話があれば看取りという時に見た綺麗な夜空、不意にかかった二重の虹、ずっと続いた青信号、母親の体調が悪化した頃に見た夢、ふと感じた「がんばれ」という大勢の人の気持ち、なんか見守られていたなぁと感じます。
大阪に戻り、しばらく気持ちの整理と郵送される手続きの書類に追われるでしょう。
いい大人なのですが、なんか急にさらに大人になったような気がします。
大人になるというか、あの世に一歩近づいた、というか。
人を大事にせねば、と思いました。
これから大阪と日常に戻ります。
小学校の運動会があった。
生徒数が800人と多いので、あまりのんびりしたものではない。
生徒はどんどん競技をこなす。
親はひたすら撮影の場所取りに並ぶ。
そんな感じ。
老眼と近眼なので、遠くを見れば近くが見えず、近くを見れば遠くが見えず
カメラ撮影はなかなか大変。
それでも何度目かの運動会なので少しは慣れてきた。
カメラをメインにして見ればいいのだ。
ほんとはできれば肉眼で見て記憶に焼き付けたい。
その方が良いに決まってる。
そして、実は競技より合間の子供たちの様子の方がほんとは見たかったりする。
友達とどんな風にしてるか見たいのだ。
仕事が人手不足なので、運動会終了後に会社に行く予定だったのだけど、運良く前日に雨が降ったために、仕事量が少なくて行かずに済んだ。
ラッキーだった。
最近は時々サンプラーを、いじっている。
頭の中で作ってそれを再現するのと、音を組み立てながら作っていく二つの方法を試してみたけど、前者の方が伝わりやすい気がする。
しかし自分で聴くには後者の方が耳触りが良く聴いて楽しい。
新鮮だし。
まあ、気長に色々試してみようと思う。
10曲を目標にしてたけど、短いの20曲くらいがいいかもしれないと思った。
そのくらい続けたら何か新しいものが見えてくるかもしれない気がする。
ここのところあれこれ考えていた。
あれこれ考えていると、つまんないことをブログに書いてしまいそうで、書いたけど投稿してないのがたくさんある。
何を投稿したかよく覚えてないので、同じ事を書いてしまいそうだ。
考えてた事は、子供らを見ていると感じること。
何が祖先から受け継いだものかとか、その特質を自分がどう対処してきたかとか、のめり込みやすさとその欠点、音楽やってバランスとってたなとか、自分のダメさにウンザリしたり、欠点と才能は同じとこから生まれるとか、いったいこの祖先からの遺伝をどう伸ばしたり直したりすればいいのか、などグチャグチャしたこと。
そうなると、言葉や思考の関係ないインストの音楽が魅力的に感じるようになってきた。
生徒数が800人と多いので、あまりのんびりしたものではない。
生徒はどんどん競技をこなす。
親はひたすら撮影の場所取りに並ぶ。
そんな感じ。
老眼と近眼なので、遠くを見れば近くが見えず、近くを見れば遠くが見えず
カメラ撮影はなかなか大変。
それでも何度目かの運動会なので少しは慣れてきた。
カメラをメインにして見ればいいのだ。
ほんとはできれば肉眼で見て記憶に焼き付けたい。
その方が良いに決まってる。
そして、実は競技より合間の子供たちの様子の方がほんとは見たかったりする。
友達とどんな風にしてるか見たいのだ。
仕事が人手不足なので、運動会終了後に会社に行く予定だったのだけど、運良く前日に雨が降ったために、仕事量が少なくて行かずに済んだ。
ラッキーだった。
最近は時々サンプラーを、いじっている。
頭の中で作ってそれを再現するのと、音を組み立てながら作っていく二つの方法を試してみたけど、前者の方が伝わりやすい気がする。
しかし自分で聴くには後者の方が耳触りが良く聴いて楽しい。
新鮮だし。
まあ、気長に色々試してみようと思う。
10曲を目標にしてたけど、短いの20曲くらいがいいかもしれないと思った。
そのくらい続けたら何か新しいものが見えてくるかもしれない気がする。
ここのところあれこれ考えていた。
あれこれ考えていると、つまんないことをブログに書いてしまいそうで、書いたけど投稿してないのがたくさんある。
何を投稿したかよく覚えてないので、同じ事を書いてしまいそうだ。
考えてた事は、子供らを見ていると感じること。
何が祖先から受け継いだものかとか、その特質を自分がどう対処してきたかとか、のめり込みやすさとその欠点、音楽やってバランスとってたなとか、自分のダメさにウンザリしたり、欠点と才能は同じとこから生まれるとか、いったいこの祖先からの遺伝をどう伸ばしたり直したりすればいいのか、などグチャグチャしたこと。
そうなると、言葉や思考の関係ないインストの音楽が魅力的に感じるようになってきた。
Minecraftのボスのようなヤツ三種類を倒した。
いずれも、なつをお供に連れて行き、ほとんどなつが戦って倒した。
そして手に入れたお宝で何やかんや作った。
スイッチは良く出来ていて、子供と一緒に冒険できるのでありがたい。
これだけハマったのも、子供たちとやりとりできるからだろうと思う。
ひと段落して、サンプラーとMTRをいじっている。
部屋の整理は進まないので、機材でとっ散らかっている。
楽しいので片付けを後回しにしてしまうのだ。
以前はアコギやエレキギターを休日にいじっていたが、どうも週にまとめて2、3時間しか音楽に使えないので限界を感じていた。
集合住宅なので音を出せないというのもある。
これはもうデジタルなヘッドホンミュージックしかないと考えた。
早朝や深夜でも気兼ねなく音楽ができる。
そしてやっぱり何か出来上がると嬉しい。
だけど、身体を使わないから運動不足になってしまう。
とりあえず試しにあれこれやってみて、少しずつ向上していければと思うのだけど、ぼくのことなので半年くらいで飽きるかもしれない。
サンプラーで作ったやつのページ
休日。
何日か前に、ビー玉、ハサミ、ジッポーライターの音をサンプリングして作っていた基本パターンにメロディと編集を加えて、曲っぽくなった。
早々に仕上げた事にして、手離すことにした。
あまり手を加えないほうが、軽い質感になる気がした。
その後、藤子不二雄のTPボン3巻を買いに出かけた。
五年生くらいにはちょうどいい漫画のような気がする。
いずれも、なつをお供に連れて行き、ほとんどなつが戦って倒した。
そして手に入れたお宝で何やかんや作った。
スイッチは良く出来ていて、子供と一緒に冒険できるのでありがたい。
これだけハマったのも、子供たちとやりとりできるからだろうと思う。
ひと段落して、サンプラーとMTRをいじっている。
部屋の整理は進まないので、機材でとっ散らかっている。
楽しいので片付けを後回しにしてしまうのだ。
以前はアコギやエレキギターを休日にいじっていたが、どうも週にまとめて2、3時間しか音楽に使えないので限界を感じていた。
集合住宅なので音を出せないというのもある。
これはもうデジタルなヘッドホンミュージックしかないと考えた。
早朝や深夜でも気兼ねなく音楽ができる。
そしてやっぱり何か出来上がると嬉しい。
だけど、身体を使わないから運動不足になってしまう。
とりあえず試しにあれこれやってみて、少しずつ向上していければと思うのだけど、ぼくのことなので半年くらいで飽きるかもしれない。
サンプラーで作ったやつのページ
休日。
何日か前に、ビー玉、ハサミ、ジッポーライターの音をサンプリングして作っていた基本パターンにメロディと編集を加えて、曲っぽくなった。
早々に仕上げた事にして、手離すことにした。
あまり手を加えないほうが、軽い質感になる気がした。
その後、藤子不二雄のTPボン3巻を買いに出かけた。
五年生くらいにはちょうどいい漫画のような気がする。
オアシスが再結成するらしい。
と聞いたが、わたくしオアシスをほとんど聴いていなかった。
ストーンローゼスとザ・ラーズを先に聴いてたから、(オアシスに影響与えたらしい)インパクトを感じなかったのかもしれない。
惜しいことをした。
同じく有名であるニルヴァーナもあまり聴いていない。
当時のメタル雑誌でアルバムのレビューを見てたから、ミクスチャー系のメタルバンドと思って最初に聴いたので、そういう先入観で終わってしまったようだ。
これも惜しいことをした。
世代的なものもあるのかもしれない。
ぼく的には1992年と1993年に出たアルバムは思い入れが強い。
その一つはレディオヘッドだった。
93年にファーストアルバムが発売されて「クリープ」のギターがガッと来るやつが流行った。
あれはピクシーズの影響らしいと最近知った。
ニルヴァーナの「スメルズライク〜」もそのピクシーズの影響でできたらしい。
ガッと来るやつは、90年代に日本でも流行り、くるりや椎名林檎もやっていた。
ぼくもバンドでガッと来るやつをやってた。
ガッと来るやつは、シンプルで独特の陶酔ができる。
ブーラドリーズの「giant steps」は93年。
その中の「leaves and sand」も、ガッと来るやつ系の曲。
しかし、感情で盛り上がる感じではなく、もっと美しい感じだ。
続く「butterfly mcqueen」も静と動の対比が美しい。
スマッシングパンプキンズなんかに近いのかもしれない。
そういえばスマパンの「today」も、ガッと来るやつだった。
どうでもいいことをつらつらと書いているが、その当時の音楽の雰囲気や新しいことが始まる感をよく覚えている。
その新しいことが始まる感はオアシスとブラーのブリッドポップ興亡あたりで消えてしまった。
ジャンル名ができて、型にはまってしまったような気がしないでもない。
しかし、当時の英米のシーンの持ってた、歪んだギターで新しいことが始まる感を懐かしく思い出す。
シューゲイザーなんて言葉はなく、もっと混沌としていた気がする。
そのガッと来るやつの源流は、U2の「with or without you」とか、ポリスの「見つめていたい」などの、シンプルな構成でジワジワ来るやつ、にあるような気もする。
そしてもっと前の、ビートルズの「ディア・プルーデンス」なんかもそうなのかもしれないなと思う。
そのあたりの手法をピクシーズなんかが無邪気に自分らのやり方でやったのが、汎用性が高くて広まったのかもしれない。
ジワジワ来させるにはテクニックがいるから、ガッと来るやつで広まったのかもしれない。
ま、知らんけど。。
と聞いたが、わたくしオアシスをほとんど聴いていなかった。
ストーンローゼスとザ・ラーズを先に聴いてたから、(オアシスに影響与えたらしい)インパクトを感じなかったのかもしれない。
惜しいことをした。
同じく有名であるニルヴァーナもあまり聴いていない。
当時のメタル雑誌でアルバムのレビューを見てたから、ミクスチャー系のメタルバンドと思って最初に聴いたので、そういう先入観で終わってしまったようだ。
これも惜しいことをした。
世代的なものもあるのかもしれない。
ぼく的には1992年と1993年に出たアルバムは思い入れが強い。
その一つはレディオヘッドだった。
93年にファーストアルバムが発売されて「クリープ」のギターがガッと来るやつが流行った。
あれはピクシーズの影響らしいと最近知った。
ニルヴァーナの「スメルズライク〜」もそのピクシーズの影響でできたらしい。
ガッと来るやつは、90年代に日本でも流行り、くるりや椎名林檎もやっていた。
ぼくもバンドでガッと来るやつをやってた。
ガッと来るやつは、シンプルで独特の陶酔ができる。
ブーラドリーズの「giant steps」は93年。
その中の「leaves and sand」も、ガッと来るやつ系の曲。
しかし、感情で盛り上がる感じではなく、もっと美しい感じだ。
続く「butterfly mcqueen」も静と動の対比が美しい。
スマッシングパンプキンズなんかに近いのかもしれない。
そういえばスマパンの「today」も、ガッと来るやつだった。
どうでもいいことをつらつらと書いているが、その当時の音楽の雰囲気や新しいことが始まる感をよく覚えている。
その新しいことが始まる感はオアシスとブラーのブリッドポップ興亡あたりで消えてしまった。
ジャンル名ができて、型にはまってしまったような気がしないでもない。
しかし、当時の英米のシーンの持ってた、歪んだギターで新しいことが始まる感を懐かしく思い出す。
シューゲイザーなんて言葉はなく、もっと混沌としていた気がする。
そのガッと来るやつの源流は、U2の「with or without you」とか、ポリスの「見つめていたい」などの、シンプルな構成でジワジワ来るやつ、にあるような気もする。
そしてもっと前の、ビートルズの「ディア・プルーデンス」なんかもそうなのかもしれないなと思う。
そのあたりの手法をピクシーズなんかが無邪気に自分らのやり方でやったのが、汎用性が高くて広まったのかもしれない。
ジワジワ来させるにはテクニックがいるから、ガッと来るやつで広まったのかもしれない。
ま、知らんけど。。
400時間以上マイクラをやっていた。
さすがに飽きてきた、というかする事がなくなった、というか、興味あるする事がなくなったと言うべきか。
別に何でもいいか、、とりあえずゲームを離れて日常に戻れればそれでいいのだけれども。。
20代の頃になけなしの金で買った音楽機材、MTRやサンプラー、キーボードの音源を引っ張り出してきた。
すごいものでまだ使える。
海外製のビデオデッキやCD、DVDデッキよりしっかり作ってあるようだ。
FOSTEX、ヤマハ、アカイ、良い仕事している。
おそらく中のパーツに変なものを使っていないんだろう。
これを上手く部屋に配置して使いたい。
マイクラのなかで家の中の物の配置や収納をひたすらやっていたので、現実世界でもそれを活かしたいのだ。
ゲームの中の家の方が素敵になり過ぎてしまった。
いかん。
ゲームにはまっているような感覚で、これらの機材で遊びたい。
その為には使いやすく配置せねば、、
配置は重要、これは仕事から得た知恵だ。。
とりあえず断捨離して場所を作る。
本がたくさんあるが、もうそんなに読まないので(老眼で読むのが辛い)、減らすことにした。
村上春樹はほんまに思い出のあるのは3、4冊くらい、あとは読みたくなったら図書館で借りたらいい。
田口ランディは絶版になったのが多いので売らない。
詩集の類いも売らない。
ドストエフスキーとかヘッセとか思い出のあるのも手放せない。
漫画は別にいいかなと思う。
友達からプレゼントしてもらったりとか、思い出のあるのもやっぱり手放せない。
じいちゃんが面白いからと貸してくれた「冬のソナタ」のか三島由紀夫についての本だとかも、読まないけど売りたくない。
そう思うと、ほとんど読むからとかではなくて、思い出だから手放せないんだな。
そして2、30年前の思い出の本は、紙が古くなっていたりする。
いっそ新しく買い揃えてもいいかもしれない。
しかし本を整理してて思い出したのは、子供の頃に本や漫画で色んな夢を見たこと。
まだ知らないこの世界についての夢。
本という物自体より、その見た夢の方が大事である。
そして、今まで書きためた歌詞のノートや、コードやアイデアのメモ、ライブの記録や思い出の品を捨てた。
これを捨てれたのは本当に素晴らしいこと。
十代から今まで、それらに価値があると思い、ため続けていた。
自分を信じていた証でもあるが、今となれば過去に囚われている証でもある。
ある意味呪縛である。
これを捨てたことで、まっさらになれる気がする。
歌詞を清書したのは残してるけどね。
さて、これからどうなることやらね。。
何か変わるかいな。
さすがに飽きてきた、というかする事がなくなった、というか、興味あるする事がなくなったと言うべきか。
別に何でもいいか、、とりあえずゲームを離れて日常に戻れればそれでいいのだけれども。。
20代の頃になけなしの金で買った音楽機材、MTRやサンプラー、キーボードの音源を引っ張り出してきた。
すごいものでまだ使える。
海外製のビデオデッキやCD、DVDデッキよりしっかり作ってあるようだ。
FOSTEX、ヤマハ、アカイ、良い仕事している。
おそらく中のパーツに変なものを使っていないんだろう。
これを上手く部屋に配置して使いたい。
マイクラのなかで家の中の物の配置や収納をひたすらやっていたので、現実世界でもそれを活かしたいのだ。
ゲームの中の家の方が素敵になり過ぎてしまった。
いかん。
ゲームにはまっているような感覚で、これらの機材で遊びたい。
その為には使いやすく配置せねば、、
配置は重要、これは仕事から得た知恵だ。。
とりあえず断捨離して場所を作る。
本がたくさんあるが、もうそんなに読まないので(老眼で読むのが辛い)、減らすことにした。
村上春樹はほんまに思い出のあるのは3、4冊くらい、あとは読みたくなったら図書館で借りたらいい。
田口ランディは絶版になったのが多いので売らない。
詩集の類いも売らない。
ドストエフスキーとかヘッセとか思い出のあるのも手放せない。
漫画は別にいいかなと思う。
友達からプレゼントしてもらったりとか、思い出のあるのもやっぱり手放せない。
じいちゃんが面白いからと貸してくれた「冬のソナタ」のか三島由紀夫についての本だとかも、読まないけど売りたくない。
そう思うと、ほとんど読むからとかではなくて、思い出だから手放せないんだな。
そして2、30年前の思い出の本は、紙が古くなっていたりする。
いっそ新しく買い揃えてもいいかもしれない。
しかし本を整理してて思い出したのは、子供の頃に本や漫画で色んな夢を見たこと。
まだ知らないこの世界についての夢。
本という物自体より、その見た夢の方が大事である。
そして、今まで書きためた歌詞のノートや、コードやアイデアのメモ、ライブの記録や思い出の品を捨てた。
これを捨てれたのは本当に素晴らしいこと。
十代から今まで、それらに価値があると思い、ため続けていた。
自分を信じていた証でもあるが、今となれば過去に囚われている証でもある。
ある意味呪縛である。
これを捨てたことで、まっさらになれる気がする。
歌詞を清書したのは残してるけどね。
さて、これからどうなることやらね。。
何か変わるかいな。
1カ月くらいブログ書いてなかったのね。
以前ブログをアップしてた早朝に、マインクラフトをする習慣ができた為なのである。。
しょぼいね。
ただ、子供らと共通の遊びができて嬉しい事は確か。
それにしても、ニンテンドースイッチのアカウントやデータ保存、その他設定のややこしさはかなりのもので、世の親は皆これをこなせているのであろうかと、心配し、そして不思議になる。
お盆に田舎へ帰省してきた。
地震や台風でどうなることかと思ったけど、無事電車も遅れることなく行き来できた。
親戚や幼馴染、近所のおじさんと会うことができ、大きくなったな、年取ったな、と。。
子供らもとてものびのびしていた。
毎朝いつも通りに目が覚めるので外はまだ暗く、やる事もなく一人居間で持ってきたスイッチでマイクラを30分くらいやっていた。
外が明るくなると、なつが起きれば一緒に、起きなければ一人で近所をぶらついた。
昼は暑いので、朝の時間が一番良い。
クワガタ虫を探したが、蜂とカナブンばかり。
朝の山は気持ちよかった。
鹿も鳴いていた。
田舎に帰ると、自分の先祖がこういう暮らしをしてこういう性質を受け継いで、巡り合わせの結果、自分がこういう人生になったと分かる。
年取ったぶん余計にそれが分かり、諦めと感謝を感じる。
それなりに幸せを感じて暮らしていられるのは、肉親が徳を積んできたからだろう。
立派な人たちだと思う。
ぼくも子供らにまわるくらいの徳を積まねばと思うが、やはり至らない。
歳を重ねても人としてのスケールは変わらないものなのかもしれない。
それが先に書いた諦めである。
夏休みの最後の日、寝る直前まで宿題をしてた二人。。
漫画のようだった。





以前ブログをアップしてた早朝に、マインクラフトをする習慣ができた為なのである。。
しょぼいね。
ただ、子供らと共通の遊びができて嬉しい事は確か。
それにしても、ニンテンドースイッチのアカウントやデータ保存、その他設定のややこしさはかなりのもので、世の親は皆これをこなせているのであろうかと、心配し、そして不思議になる。
お盆に田舎へ帰省してきた。
地震や台風でどうなることかと思ったけど、無事電車も遅れることなく行き来できた。
親戚や幼馴染、近所のおじさんと会うことができ、大きくなったな、年取ったな、と。。
子供らもとてものびのびしていた。
毎朝いつも通りに目が覚めるので外はまだ暗く、やる事もなく一人居間で持ってきたスイッチでマイクラを30分くらいやっていた。
外が明るくなると、なつが起きれば一緒に、起きなければ一人で近所をぶらついた。
昼は暑いので、朝の時間が一番良い。
クワガタ虫を探したが、蜂とカナブンばかり。
朝の山は気持ちよかった。
鹿も鳴いていた。
田舎に帰ると、自分の先祖がこういう暮らしをしてこういう性質を受け継いで、巡り合わせの結果、自分がこういう人生になったと分かる。
年取ったぶん余計にそれが分かり、諦めと感謝を感じる。
それなりに幸せを感じて暮らしていられるのは、肉親が徳を積んできたからだろう。
立派な人たちだと思う。
ぼくも子供らにまわるくらいの徳を積まねばと思うが、やはり至らない。
歳を重ねても人としてのスケールは変わらないものなのかもしれない。
それが先に書いた諦めである。
夏休みの最後の日、寝る直前まで宿題をしてた二人。。
漫画のようだった。