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カテゴリー「雑記」の記事一覧
鹿児島行きの新幹線、さくらに乗りました。
椅子が大きく、茶色のシートでレトロな雰囲気。
良いです。



移動の友に、石原慎太郎と曽野綾子の対談、「死という最後の未来」という本を持ってきました。
二人とも90歳手前の頃の対談です。
その年頃の方々が、「死」というものをどう思っているのか知りたくて買いました。
調べてみると、石原さんは対談の2年後くらいに亡くなっています。
曽野さんはご存命。

少し読みましたが、面白い。
本や映画などでもですが、自分と違う人生を伺えるのはいいものですね。
あまり本も映画もここのところ観ていなかった。


広島駅に到着。
朝8時台の駅は混んでるかと思いきや、そうでもないです。
寒い。
ここから可部駅まで移動。
そこからバスに乗り換えます。
憂うつだったけど、楽しくなってきた。
移動するってことの魔法かしらね?

可部線が広島駅に到着。
さすがに降りてくる人は多かったです。
電車に乗ると皆さん移動方向に座席を手動で切り替えています。
地元民でないと分からない方法、面白い。

やらねばならないこと、やるべきこと山積みで少々憂うつでしたが、この機会は運命からのギフトだと思って味わおうと、そう思えました。
本のおかげと、広島の少しゆるやかな時間の流れのおかげでしょう。

秋に見た地元の夜空の星、綺麗だった。
あんなん、また見れたらいいな。
夜に外出てみようか。
寒いかしら。
と、呑気になってきました。

この日の為に、洋楽の60年代のをiPodに入れてきました。
ジェフベックグループ、グレイトフルデッド、ストーンズ、ドアーズ、ジミヘン、キャプテンビーフハート、クリーム、ザ・バーズ、バッファロースプリングフィールド。
70年代も少々、フリートウッドマック、トッドラングレン、エルトンジョン、エアロスミス。
でも、まだ全然聴いとらん、笑。



そして、帰路


実家の外周りを片付けて、腐りそうなものの処分、探し物、埃のひどいところの掃除、墓参りと掃除、JAの手続き、家の換気と掃除機がけ、隣のおばさんの顔を見に行く、要らないものの処分、などなどのんびりやりました。
途中、レコードを引っ張りだして感慨に浸っていました。


初めてゲットしたLPレコード、ビートルズとロックの名盤。


昔集めたクイーンのレコード。
当時、まだフレディは生きていた。
「JAZZ」と「HOT SPACE」が抜けてる、惜しい。


そして秋に水をやってたキャベツを収穫しました。

それから前に書いた、49日頃に見た夢の、たくさんの人たちがニコニコ座っていた場所に、可愛い小さな南天の木がたくさん育っていました。
おお、なんだこれは、夢で見たイメージ通りだ、有り難いな、と思いました。
ぼくにしか分からない奇跡、なにこれ、です。。
誰かしら、何かしらの意思がぼくに慰めをくれている。



星はたくさん見えました。
が、子供の頃に見た夜空は銀河系の中にいる、って感じでした。
ホタルとか採ってて暗闇に目が慣れてたのと、視力が良かったってのもあるのかな。
もっかいあんなん見たい。
石原さんは船の上で、曽野さんはサハラ砂漠でそんな星空を見たって書いていました。
宇宙の中にいる感、味わってみたい。
昔味わったあの感じ。

お菓子何買って食べようかなとか、ゼルダの景色は綺麗ねとか、ジミヘンのギターええなとか、ギター触ると楽しいなとか、ロックの名作の歴史を眺めてあーこれ久々に聴きたいなとか、そんな気持ちが戻ってきました。
ここんとこ睡眠をたくさんとったので元気も出たのでしょう。
また母の夢を見ました。
車に乗って何人かでやってきて、機嫌良さそうだった。
そうやって夢であの世と繋がって、人は元気を取り戻すのかもしれない。

ゼルダの伝説のブレワイをやっているが、「これ、なつもんやんか」と思うポイントが多いです。
まんま下地はゼルダだったのね。
先になつもんやっといて良かった。
同じ過ぎてゲームに集中できへんかったと思う。

子供らもゼルダにはまって、ちょっと難しいだろと思うが、だんだん自力でできるようになっていってる。
なつは武闘派で、ななこは着実に積み重ねる派。
ぼくは別世界にいる感を楽しめればそれでいいという派閥。

りえちゃんの甥っ子がうちに泊まりに来ました。
彼もゲームが好きなので一緒にゲーム。
我ながら大人げない51歳と思いながら、「マイクラ面白いねー」などと話してました。

若者がこんな家に住みたいと憧れるような広い家ではないが(彼はわりかしいい家)こんなんで子供持てるのね、と結婚と子育てへのハードルを下げる効果はある家庭な気はします。
少しでも少子化の歯止めになれば。
実際、ぼくの会社の平社員で子供いる人は多分いなかったと思う。
そんな給料なのね。
子供がいた人は大概辞めていきました。
でも、これからの世の中、ぼくみたいなのが増えると思う。
お金を自動で搾り取られる仕組みから抜ければ少しは暮らしやすくなる。

先日銀行から封書が届き、年利7パーセントの文字が目にとまりました。
よく見ると小さい字で、税引き後実質年利5.数パーセント、7パーセントは最初の3ヶ月だけで、その後自動的に通常金利に切り替え、とありました。
これは携帯会社のやり口と同じだな、人を上手く丸め込んで企業が得するという詐欺っぽいやり方がスタンダードになりつつあるなと感じました。


父親のお姉さんから電話があり少し話ました。
ぼくの父が亡くなった時、ぼくの母に「堕ろしたら」と木村家は勧めたらしい。
でもまあ、産まれてこれて良かった。
母に感謝するしかない。
愛と少しの工夫があればなんとかなるさ、たぶん。
母親が亡くなってから49日目って、ちょうど大晦日だったのね。
ネットで調べたところによると、仏教では死んでから7日ごとに生前の行いを審査?されるとのこと。
そして49日目にその人の行き先が決められるんだって。

ぼくはその少し前にインフルエンザにかかって、大晦日くらいにやっと熱が下がってきてました。
熱が下がって、「あぁ、母ちゃん今ごろ行き先が決まってるのかな」なんて思ってたら夢を見ました。
ぼくや母親の育った家の前の畑に、たくさんの人が敷物を敷いて、お花見の時のように座ってニコニコしてる。
みんな知らない人で。
起きてから、あれは母親を迎えに来たご先祖なのではないか、と思いました。

また、年が明けてからの10日くらいにまた夢を見ました。
今度はその実家に、お礼か立て替えてもらったお金かわかんないんだけど、とにかくお金を渡しに尋ねました。
そしたら、まあ、ご飯でも食べましょうってなって。
そしたらニコニコした母ちゃんが、一緒にご飯の支度をしてて。
じいちゃんもいたと思う。
そこで「あれ、母ちゃんがいるってことは夢だよな」とぼくが言って。
で「でももう聞けないと思ったけど、声が聞けたよ、ありがとう」と言って夢が終わった。
起きてから温かい気持ちが残ってた。
夢の解釈って思い込みもあるのかもですが、すこし気持ちが晴れました。
あの「夢でもし会えたら♪素敵なことね〜ぇ」って歌、いい歌だよなと思いました。


ぼくは子供の頃にあしなが育英会っていう、事故で親を亡くした子供達に奨学金などのケアをしてくれる団体にお世話になっていました。
何度か集いに行ったんだけど、生まれる前に親を亡くしてるぼくにはあまり悲しみを共有できないかな、と少し後ろめたさもありました。
今になってやっとその痛みが少し分かったなと思い、ほんとにありがたかったなと思って、あしなが育英会に定期的に募金することにしました、少しだけど。

その手続きをしてたら「遺児の心のケア」っいう募金の使い道があって、そこで思い出しました。
母親の亡くなった病院の近くに、風土記の丘っていうのがあって、入院中に通るたびに「風土記の丘に一緒に行ったよな」と思ってました。
その遺児の心のケアっていうのを見て、風土記の丘に行ったのは育英会のイベントだったなって思い出した。
いや、思い出せて良かった。
そういう手助けがあったんだった、って思いました。

交番から電話があって、失くなった財布の中のカードだけが届けられたとのこと。
免許証、マイナンバーカード、キャッシュカード、図書館利用カード、の4枚。
最初の3枚は再発行手続きをしていたので、図書館利用カードが一番嬉しいという妙なことになりました。
入れていたお金と御守りはどうやら戻ってこなさそうです。

御守りは京都の鈴虫寺のもので、願いが叶ったら寺にお返しするというものなのですが、やや曖昧な願いをしていたので、叶ったと言えるタイミングで今回失くしたのかもしれません。
要は、ぼくが親兄弟がいない状態になって、心構えができたと言うことなのかもしれません。
そういうふうに、財布を失くしたという出来事をいいようにとるようにしました。
厄が落ちたとか。
逆にお金を拾った人は、ぼくの厄を拾ったことになるかもしれない、そう思うと気の毒であります。

それから、子供との遊びの為にと、自分の誕生日のプレゼントという事で、スイッチのソフトの「ゼルダの伝説 ブレス・オブ・ザ・ワイルド」を購入しました。
いや、ほぼ自分の為に買いました、笑。
評判がいいので、やってたら気分転換になるかな、と。
ちょっとやったけど、これは面白くてやめれないな、って感じです。


年が明けました。
今年もよろしくおねがいします。

年末にものすごく咳が出て、子供の風邪がうつったかなと思いながら働いていたら、結局、発熱、インフルエンザでした。
急遽、一番忙しい年末3日間を飛ばして仕事納めになり、数日寝て過ごしました。
元旦までが隔離期間でしたので、いつもと違う年末年始でした。

ベッドで横になっている間ずっと朝倉未来のユーチューブを見てました。
暴走族と50対2で戦ったりとかのエピソードが面白くて。
町の喧嘩自慢と戦っていた。
しかし自分は寝てたのでかなり体力が落ち、年が明けたら筋トレしてました。
腰もやばかったのね、なので体幹を鍛えてました。

そして色々な手続きから離れてふと時間ができたので、自分の心の空白が思ってたよりデカいと気付いて、どうしたものかと思っていました。
心が半分あの世に行ってしまったようで。
なるべく気を紛らわせていくことにしました。

音楽はアイアンメイデンを聴いていました。
「パワースレイブ」というアルバム。
懐かしい。
一度だけライブを観たことがあります。
カッコよかったのしか覚えていない。
前から10列目くらいだったような。

そしてやっぱり子供を見てるのが一番気が紛れます。
クリスマスにスイッチの本体を貰ったので、我が家には三つの本体とマイクラのソフトがあり、三人同時プレイでユーチューバーみたいな遊び方ができるようになり、そればっかりやってました。

そして、ななこがデカくなったな、と。
縦長になってきました。



キャッシュカードの再発行手続きに行ってきました。
予約して行ったらすぐ貰えました。
財布なくすし、おとついは飼ってるイモリの水槽をひっくり返すし、手に怪我するし(軽度)、やけどするし(軽度)、風邪をひくし、ここのところまったくダメちんです。

弱音を吐くわけだけど、クリスマスが辛かった。
子どもの頃の母ちゃんとの思い出を次々思い出してしまいました。
貰ったプレゼントや、一緒にオモチャ屋さんに行ったこととか、買って貰ったレコード、にぎり寿司作ってくれたこととか。
テレビを観ても海援隊の「贈る言葉」とか聴いたら、一緒に金八先生観たよな、とか思ってしまう。

そこでふと思ったのは、ぼくの母ちゃんは高校3年と26才の時に、2回もこの気持ちを味わったんだなということ。
母親と夫で。
そして色んな人が「あなたのお母さんは優しい人だった」と言ってくれたのは、人の痛みが分かる人だったからに違いないと思ったしだい。

悲しいのは仕方ないが、くよくよするダメちんではいかん、男だもの、と思って、ふと思い立った。
そうだストーンズの「ハックニーダイアモンズ」を聴こうって。
ミックジャガーは81才?
元気ね。
そんで、ストーンズってパッと心が晴れるの。
そういう音楽。
そういう心が晴れる時間が健康のためにも必要ね、と思ったのです。

母の亡くなった日に実家に、お米30キロが3袋、農協から配達されました。
母宛の配達で、こちら○○さんですね、と聞かれとっさに「あ、今朝亡くなったんですよ」と答えてしまいました。
配達員さんは何て思ったんだろうかと気になる。
今思うと、なんかちょっとコントみたい、笑←(不謹慎ね。。)

今年はクリスマス感まるで無しでいたので忘れてたが、もうクリスマスではないですか。
ぼくの好きなクリスマスソングの「メリークリスマス・イン・サマー」を聴いてみた。
KUWATAバンドね。
これを聴くと、気持ちが幸せだった中1に戻ります。
去年この歌を練習してて気づいたのですが、英語の語感に近い日本語を選んでて、よくできているなと。
「恋は」→「goin' what's」、「神様が」→「come inside my girl」みたいに。

ぼくの10代は洋楽派だったので(もうそういう人は絶滅したのではないだろうか、日本の音楽の力か?)そういう英語っぽい発音にした邦楽は大好きだった。
CHARAもあからさまにそんなんやってたね。
英語っぽい日本語、と思って聴くと面白いです。

母ちゃんは杉山清貴の「最後のホーリーナイト」が好きだったようで、ぼくが覚えてる限りでは唯一、自分でレコードを買ってステレオで何度も聴いていました。
そういえば若い頃は橋幸夫も好きだったようで、タンスの引き出しから橋幸夫の写真が出てきました。
本屋さんにこないだ行ったら、橋幸夫が表紙の雑誌があって、元気だなーと感心しました。

それから、ぼくが二十代の頃にライブを観た、とある弾き語りの方、クラブウォーターのスケジュールを見ていたらその人の名前を見つけて、この20数年、いや、もっと長い間ツアーミュージシャンとして生きてきたのかと、感動しました。
母と同じくらいの年齢。
凄いなと思います。
元気に自分のやるべき事をして生きてるって素晴らしいなと。


この世にはすごい生き方の人がたくさんいるもんだ。
気づかない間に財布を失くしていました。
落としたのか、なんなのか?
今まで財布を失くしたことはなかったので、もしかしてワシすごく疲れてる?と思い、次の日の仕事を休むことにしました。
リフレッシュずる休み。
ずる休みも初めて、というか、ずるしないと休めない会社ってどうなのよ、と思う。
最近どうも会社がおかしいと思う、年明けたら労基に行く予定。

というわけで、心を休ませる時間をとりました。
でも免許証、マイナンバーカード、キャッシュカードの再発行はしないといけない。
のんびり再発行の手続きまわりです。
最近手続きばかり。
やれやれ、疲れてると愚痴もでるわね、リフレッシュ、リフレッシュ。

谷川俊太郎さんの詩集をパラパラと読んでいました。
「ベージュ」という本で遺作になった作品のようだ。
実は母と谷川さんは同じ日に亡くなっていて、大好きだったのもあり気になってたの。
母が救急搬送された時にも、落ち着かず、その「ベージュ」を少しめくって読んでいました。
その時には谷川さんもまだ生きていた。
へんな感じ。

昔の写真や、昔の音楽を聴いても思う、この時は母も祖父も元気で生きていた、って。
やっぱり疲れている、、
大まかに四十九日と手続きが終わったら、気が抜けたみたい。
すごく眠いし、甘いものが欲しくなる。

ネットで見てた。
大事なものを失くすのは、厄が落ちるという意味もあるんだって。
だといいけど。
他に、財布を失くすのは、金銭トラブルの前兆だから、お金の使い方に気をつけてとも書いてた。
確かに、葬儀代や香典、お布施、香典返しなんかで、たくさんのお金が動き、このところ大変でした。
いつも通りの質素な生活に戻らなきゃね。

再発行の手続き、1日じゃ終わらない。
しかたなく、また出直すことにした。



大きなくすのき


ドラえもん
先週末に、49日法要と納骨で帰省しました。
その前に帰った時はとても寂しかったけど、今回は前ほど寂しさはなかったです。
奥さん子供らが先に行って待っててくれたからかも知れません。
こうやって少しずつ慣れるのかしらね。

今回は祖父の命日と合わせてやったので、祖父の方も参ることができた。
祖父と過ごした家でお経を聴いていると、子供の頃を思い出しました。
幸せだったな、子供の頃、としみじみ思い出した。
今は今で良いんだけど、みんな若くて元気だったのね。
それが大きいです。

納骨の日は朝から雨や雪が降ってたんだけど、なんとか納骨式の時はほぼ降らず無事に済みました。
墓の中に骨壷を入れたのですが、父ちゃんの横に母ちゃんの骨を入れれて、感無量という思いです。
しかしまあ、墓の周りは濡れてるし、骨を納める穴は深いし、骨壷を割ったりひっくり返したりしたら大変だし、喪服だし、大仕事でした。。
両手を入れられないので、骨壷の端を親指人差し指でつまみ、骨がこぼれないように少しずつ降ろす、、とても神経を使いました。
でもうまくいった。

その後に家に戻って49日法要でした。
実は読経の間、オイルヒーターの真横だったので直接風が当たり、ずっと「暑っ、暑っ」って思ってました。
集中できなくてね、すまん母ちゃん、って感じです。
しかしそういうのも、リアルな生きてる実感なのかも、と思います。
悲しさばっかりじゃなくて、暑っ、とか腹減った、とか。

その後、お供えをくれた隣のおばさんに会いに行きました。(隣とはいえ離れている)
もう本当に子供の頃以来、話してなくて、少し前に火事で家が焼けて旦那さん亡くなったり、自身も事故したりで大変だったんだけど、母が亡くなった時にすごく泣いてくれて、ぼくを見たらすごくニコニコしてくれるのです。
なんか笑顔見てたら元気になるの。

そして、空き家になるから色々と片付けたり準備したりしてましたが、正直時間が足りなくて少ししかできませんでした。
ま、気長にやるしかない。。
いっそ家があるなら引っ越すってのもありなのね。
でも、家族全員の事を思うと簡単には決断できなくて。
子供たちには大阪が故郷で、ぼくも一緒に遊んだ思い出の場所がいっぱいある。
もうホームタウンって感じで。
でも、故郷も実家も大切で。
困ったなあという感じ。


そして一人になると、寂しさがやって来る時があります。
50年ずっと繋がっていたのに、もういないんだ、と妙な気持ちになります。

今は空き家になってしまった実家の建ててた頃の写真を見てた。

あぁ、このイメージがあるから、ここ一年半くらい好んでオーバーオールを着てるのかもしれない。
子供の頃ってピカピカしてる、そのピカピカが一生自分を温めてくれる。
町で遊んでる知らない子供たちも、ピカピカできる世の中であり続けて欲しいなと思います。


録画してたサザエさんを少しずつ観ています。
葬儀の後で実家で観たのがすごく胸に響いたのですよ。
家族って移ろってゆくものだけど、ずっと変わらずある家族って、多くの人の夢なんだろうな、だから長く愛されるんだろうな。

前も書いたけど、ぼくの子供の頃の家族構成はサザエさんとよく似ていた。
フネさんとマスオさんがいなくて、ワカメちゃんが男で、ぼくタラちゃん。
性格も母親以外は割と似てました。
そして昭和の頃って、あんな温かい感じだった。
繰り返しサザエさんを観て、自分の無意識に焼き付けようと思う、なんか効果あるかわかんないけどね。

それにしても、有名人の訃報が続く。
人生後半ってこんなノリなのね。
ノリってのも変だけどな。
いつか親はいなくなる、みんなそう。
むしろもしかして居なくなるのを見届けられた方が幸せなのだろうか、順番的に、そして家族構成的に。
でも、なんでいつか居なくなるという当たり前の事を忘れてたんだろうか。
突然過ぎた。

分かってたら、仕事を辞めて実家に引っ越してた。
そう思ったことで、勇気や身軽さを貰えた気がしてます。
それから、今回はたくさんの教訓も得ました。
それを生かして、ちゃんとした人にならねばと思っています。
でも口だけじゃ、駄目なのね、全然。

しかし、人生の折々で信心深くなってゆくと言うか、人生をお膳立てされてる感、上手く事が運び過ぎやろ感、この偶然何なの感、というのがあります。

ぼくを育ててくれた祖父と母は、ぼくが一番近くにいる時に息を引き取りました。
母は、手を握って「母ちゃん、、」と呼んだのに答えるように心臓が停止しました。
返事みたいだったな、と思いました。
祖父はぼくが隣の部屋でテレビを観てる時に亡くなりました。
そういう日常を愛していたんだな、と感じました。
どちらも悲しかったけど、ぼくを大事に思ってくれてたんだな、と感じる亡くなり方でした。

母は、祖父の介護で苦労してたので、ぼくに苦労させたくなかったのかな、無意識に。
ほんとに3日くらいで、急に、しかもぼくの心の準備が少しずつできるように段階を経て息を引き取りました。
そういうのは、神さまや仏の配慮なのか、それとも生まれる前に自分で決めた人生プランなのか、知らないうちに自分で選んだのか、何かしら理屈を超えた世界があるのか、と感じます。

ぼくは25歳の時に双極性障害の発作があった時に、そういう理屈を超えた世界をひしひしと感じて、同時にもの凄い恐怖もあり、「知らない方が幸せだ」という態度でその後を生きてきました。
今でもそう思っているのですが、やはり何かあると感じています。
だから、お墓、仏壇、神社などには神妙にお参りするのですが、その辺りで留まっています。
しかし、日付けの偶然や、自然や天候の計らい、そんなとこにも人生の不思議が隠れてるような気がして気になってしまいます。
何にしても心を清くしておくのが、孝行であり、身を守る術でもある気がします。
むずいけども。

   
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