とんぼ帰り
母の四十九日法要の準備と、残っている各種手続きのために、広島に帰りました。
休みの前日の仕事後にいったん自宅に帰り、着替えて荷物を持ち新幹線に向かいます。
こうなったらこうなったで楽しもうと、おにぎりと文庫本片手に乗車しました。
吉本ばななのエッセイを読みました。
人が亡くなることについての話が多くて、とても今の自分に良いです。
親のいない田舎に帰るというのもなかなか初めてなので、妙な気分でした。
実家近くの向原駅に着くとイルミネーションが。
そういえば葬儀の後に向原駅から大阪に帰る時に、イルミネーションを設置してるのを見ました。
その時はとても悲しい気持ちで見ていました。
あ、できたんだ、と思っていたら“おかえり”の文字のイルミネーションが。
いいですね、故郷だ、と思いました。
タクシーに乗り、誰もいない実家に戻ります。
誰もいないけど、遺骨はあります。
帰ると、「ただいま」と遺影につぶやく。
そして、母が動けなくなっていたコタツの小さな敷きカーペットを洗いながらお風呂に。
静かだな、と思いながら、ずっとここで一人は寂しいなと思い、母の気持ちが理解できました。
風呂を出て、母の写真や日記を見ていたら、心底“寂しい思いをさせたな”と後悔。
遺影の前に行ったら泣けてきました。
ようやくしっかり泣けた気がします。
「寂しい思いをさせたのう、ごめんの」と、言うももう遅い。
この後悔は他の人に(家族、近所の人、ほか)に向けて償うしかないな、と気持ちを切り替えました。
やること山積み、しっかり寝て明日に備えました。
朝起きると、韓国の戒厳令のニュースが。
片目で見ながら、要るものの整理や洗濯掃除。
それから母の弟夫婦の住む隣の家で朝食をよばれました。
二人ともぼくが子供の頃に一緒に住んでたので、気兼ねはそんなにないです。
子供の頃は、母子家庭でしたが、サザエさん一家のような環境でした。
今回、そのおじさん夫婦と密に関われて、ある意味でとても良かったです。
こうやって葬儀、初七日、四十九日などがあることで、残った肉親の絆が強くなるものなのかもしれません。
午前中に、香典返しの注文や名義変更、解約、相続など済ませました。
この一か月、住所書きまくりです。
4、50回書いたのではないだろうか。
墓を見に行きそれから、おじさん夫婦宅でカレーをよばれました。
その後、四十九日法要の準備のために、部屋の片付けとお仏壇の掃除、食器やオイルヒーターやお盆を用意して、自分の着たものの洗濯、家の周りの掃除、帰る準備、まあまあやること多いです。
でもまあ、近所の方々に挨拶に行き顔を見ると、癒されます。
子供の頃の“やっくん”として接して貰えるからです。
そして今度は広島市内までバスで帰ります。
その車内で書いています。
車窓から見える懐かしい町を見ているとたまらなくなります。
学生の頃に楽しく過ごした町並み。
もう無い本屋の跡地。
その本屋のマンガで広い世界を空想した子供の頃。
友達と釣りをした川。
お祭りの記憶。
山に登ったこと、遠足で行った場所、洋楽と出会ったレコード屋さん。
洋楽や洋画で憧れた外国。
小学校、中学校。
あちこち自転車で走り回った。
その時は母親も祖父もおじさんも近所の人も、若くて今より元気だった。
これが人生と時の流れなのねと思いました。
イノトモという人の「シロツメ草」という歌を聴きました。
ママの歌です。
“シロツメ草を編んでいた 小さなボクが振り返る いつしかボクは一人きり こんな遠くに来てしまった”
一人きりではないけど、ま、今現在はバスで一人です。
そして遠いところに来てしまったな、と思います。
でも、きっといつか、母の死後におじさん夫婦や、近所のおじさんおばさん、幼馴染とよく話したな、と今を懐かしく幸せだったな、と思い出すはず。
だから実は今も幸せなんだ。
と、吉本ばなながそのようなことを書いていたような。
きっとそうなのでしょう。
そして新幹線に乗り換えました。
バスとは打って変わって車内は明るく快適で、気持ちも明るくなりました。
普段買わないけど珍しく駅弁を食べました。
うん、いいね。
旅気分。
これから本の続きを読みます。
休みの前日の仕事後にいったん自宅に帰り、着替えて荷物を持ち新幹線に向かいます。
こうなったらこうなったで楽しもうと、おにぎりと文庫本片手に乗車しました。
吉本ばななのエッセイを読みました。
人が亡くなることについての話が多くて、とても今の自分に良いです。
親のいない田舎に帰るというのもなかなか初めてなので、妙な気分でした。
実家近くの向原駅に着くとイルミネーションが。
そういえば葬儀の後に向原駅から大阪に帰る時に、イルミネーションを設置してるのを見ました。
その時はとても悲しい気持ちで見ていました。
あ、できたんだ、と思っていたら“おかえり”の文字のイルミネーションが。
いいですね、故郷だ、と思いました。
タクシーに乗り、誰もいない実家に戻ります。
誰もいないけど、遺骨はあります。
帰ると、「ただいま」と遺影につぶやく。
そして、母が動けなくなっていたコタツの小さな敷きカーペットを洗いながらお風呂に。
静かだな、と思いながら、ずっとここで一人は寂しいなと思い、母の気持ちが理解できました。
風呂を出て、母の写真や日記を見ていたら、心底“寂しい思いをさせたな”と後悔。
遺影の前に行ったら泣けてきました。
ようやくしっかり泣けた気がします。
「寂しい思いをさせたのう、ごめんの」と、言うももう遅い。
この後悔は他の人に(家族、近所の人、ほか)に向けて償うしかないな、と気持ちを切り替えました。
やること山積み、しっかり寝て明日に備えました。
朝起きると、韓国の戒厳令のニュースが。
片目で見ながら、要るものの整理や洗濯掃除。
それから母の弟夫婦の住む隣の家で朝食をよばれました。
二人ともぼくが子供の頃に一緒に住んでたので、気兼ねはそんなにないです。
子供の頃は、母子家庭でしたが、サザエさん一家のような環境でした。
今回、そのおじさん夫婦と密に関われて、ある意味でとても良かったです。
こうやって葬儀、初七日、四十九日などがあることで、残った肉親の絆が強くなるものなのかもしれません。
午前中に、香典返しの注文や名義変更、解約、相続など済ませました。
この一か月、住所書きまくりです。
4、50回書いたのではないだろうか。
墓を見に行きそれから、おじさん夫婦宅でカレーをよばれました。
その後、四十九日法要の準備のために、部屋の片付けとお仏壇の掃除、食器やオイルヒーターやお盆を用意して、自分の着たものの洗濯、家の周りの掃除、帰る準備、まあまあやること多いです。
でもまあ、近所の方々に挨拶に行き顔を見ると、癒されます。
子供の頃の“やっくん”として接して貰えるからです。
そして今度は広島市内までバスで帰ります。
その車内で書いています。
車窓から見える懐かしい町を見ているとたまらなくなります。
学生の頃に楽しく過ごした町並み。
もう無い本屋の跡地。
その本屋のマンガで広い世界を空想した子供の頃。
友達と釣りをした川。
お祭りの記憶。
山に登ったこと、遠足で行った場所、洋楽と出会ったレコード屋さん。
洋楽や洋画で憧れた外国。
小学校、中学校。
あちこち自転車で走り回った。
その時は母親も祖父もおじさんも近所の人も、若くて今より元気だった。
これが人生と時の流れなのねと思いました。
イノトモという人の「シロツメ草」という歌を聴きました。
ママの歌です。
“シロツメ草を編んでいた 小さなボクが振り返る いつしかボクは一人きり こんな遠くに来てしまった”
一人きりではないけど、ま、今現在はバスで一人です。
そして遠いところに来てしまったな、と思います。
でも、きっといつか、母の死後におじさん夫婦や、近所のおじさんおばさん、幼馴染とよく話したな、と今を懐かしく幸せだったな、と思い出すはず。
だから実は今も幸せなんだ。
と、吉本ばなながそのようなことを書いていたような。
きっとそうなのでしょう。
そして新幹線に乗り換えました。
バスとは打って変わって車内は明るく快適で、気持ちも明るくなりました。
普段買わないけど珍しく駅弁を食べました。
うん、いいね。
旅気分。
これから本の続きを読みます。
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