夢
母親が亡くなってから49日目って、ちょうど大晦日だったのね。
ネットで調べたところによると、仏教では死んでから7日ごとに生前の行いを審査?されるとのこと。
そして49日目にその人の行き先が決められるんだって。
ぼくはその少し前にインフルエンザにかかって、大晦日くらいにやっと熱が下がってきてました。
熱が下がって、「あぁ、母ちゃん今ごろ行き先が決まってるのかな」なんて思ってたら夢を見ました。
ぼくや母親の育った家の前の畑に、たくさんの人が敷物を敷いて、お花見の時のように座ってニコニコしてる。
みんな知らない人で。
起きてから、あれは母親を迎えに来たご先祖なのではないか、と思いました。
また、年が明けてからの10日くらいにまた夢を見ました。
今度はその実家に、お礼か立て替えてもらったお金かわかんないんだけど、とにかくお金を渡しに尋ねました。
そしたら、まあ、ご飯でも食べましょうってなって。
そしたらニコニコした母ちゃんが、一緒にご飯の支度をしてて。
じいちゃんもいたと思う。
そこで「あれ、母ちゃんがいるってことは夢だよな」とぼくが言って。
で「でももう聞けないと思ったけど、声が聞けたよ、ありがとう」と言って夢が終わった。
起きてから温かい気持ちが残ってた。
夢の解釈って思い込みもあるのかもですが、すこし気持ちが晴れました。
あの「夢でもし会えたら♪素敵なことね〜ぇ」って歌、いい歌だよなと思いました。
ぼくは子供の頃にあしなが育英会っていう、事故で親を亡くした子供達に奨学金などのケアをしてくれる団体にお世話になっていました。
何度か集いに行ったんだけど、生まれる前に親を亡くしてるぼくにはあまり悲しみを共有できないかな、と少し後ろめたさもありました。
今になってやっとその痛みが少し分かったなと思い、ほんとにありがたかったなと思って、あしなが育英会に定期的に募金することにしました、少しだけど。
その手続きをしてたら「遺児の心のケア」っいう募金の使い道があって、そこで思い出しました。
母親の亡くなった病院の近くに、風土記の丘っていうのがあって、入院中に通るたびに「風土記の丘に一緒に行ったよな」と思ってました。
その遺児の心のケアっていうのを見て、風土記の丘に行ったのは育英会のイベントだったなって思い出した。
いや、思い出せて良かった。
そういう手助けがあったんだった、って思いました。
ネットで調べたところによると、仏教では死んでから7日ごとに生前の行いを審査?されるとのこと。
そして49日目にその人の行き先が決められるんだって。
ぼくはその少し前にインフルエンザにかかって、大晦日くらいにやっと熱が下がってきてました。
熱が下がって、「あぁ、母ちゃん今ごろ行き先が決まってるのかな」なんて思ってたら夢を見ました。
ぼくや母親の育った家の前の畑に、たくさんの人が敷物を敷いて、お花見の時のように座ってニコニコしてる。
みんな知らない人で。
起きてから、あれは母親を迎えに来たご先祖なのではないか、と思いました。
また、年が明けてからの10日くらいにまた夢を見ました。
今度はその実家に、お礼か立て替えてもらったお金かわかんないんだけど、とにかくお金を渡しに尋ねました。
そしたら、まあ、ご飯でも食べましょうってなって。
そしたらニコニコした母ちゃんが、一緒にご飯の支度をしてて。
じいちゃんもいたと思う。
そこで「あれ、母ちゃんがいるってことは夢だよな」とぼくが言って。
で「でももう聞けないと思ったけど、声が聞けたよ、ありがとう」と言って夢が終わった。
起きてから温かい気持ちが残ってた。
夢の解釈って思い込みもあるのかもですが、すこし気持ちが晴れました。
あの「夢でもし会えたら♪素敵なことね〜ぇ」って歌、いい歌だよなと思いました。
ぼくは子供の頃にあしなが育英会っていう、事故で親を亡くした子供達に奨学金などのケアをしてくれる団体にお世話になっていました。
何度か集いに行ったんだけど、生まれる前に親を亡くしてるぼくにはあまり悲しみを共有できないかな、と少し後ろめたさもありました。
今になってやっとその痛みが少し分かったなと思い、ほんとにありがたかったなと思って、あしなが育英会に定期的に募金することにしました、少しだけど。
その手続きをしてたら「遺児の心のケア」っいう募金の使い道があって、そこで思い出しました。
母親の亡くなった病院の近くに、風土記の丘っていうのがあって、入院中に通るたびに「風土記の丘に一緒に行ったよな」と思ってました。
その遺児の心のケアっていうのを見て、風土記の丘に行ったのは育英会のイベントだったなって思い出した。
いや、思い出せて良かった。
そういう手助けがあったんだった、って思いました。
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