サザエさん
録画してたサザエさんを少しずつ観ています。
葬儀の後で実家で観たのがすごく胸に響いたのですよ。
家族って移ろってゆくものだけど、ずっと変わらずある家族って、多くの人の夢なんだろうな、だから長く愛されるんだろうな。
前も書いたけど、ぼくの子供の頃の家族構成はサザエさんとよく似ていた。
フネさんとマスオさんがいなくて、ワカメちゃんが男で、ぼくタラちゃん。
性格も母親以外は割と似てました。
そして昭和の頃って、あんな温かい感じだった。
繰り返しサザエさんを観て、自分の無意識に焼き付けようと思う、なんか効果あるかわかんないけどね。
それにしても、有名人の訃報が続く。
人生後半ってこんなノリなのね。
ノリってのも変だけどな。
いつか親はいなくなる、みんなそう。
むしろもしかして居なくなるのを見届けられた方が幸せなのだろうか、順番的に、そして家族構成的に。
でも、なんでいつか居なくなるという当たり前の事を忘れてたんだろうか。
突然過ぎた。
分かってたら、仕事を辞めて実家に引っ越してた。
そう思ったことで、勇気や身軽さを貰えた気がしてます。
それから、今回はたくさんの教訓も得ました。
それを生かして、ちゃんとした人にならねばと思っています。
でも口だけじゃ、駄目なのね、全然。
しかし、人生の折々で信心深くなってゆくと言うか、人生をお膳立てされてる感、上手く事が運び過ぎやろ感、この偶然何なの感、というのがあります。
ぼくを育ててくれた祖父と母は、ぼくが一番近くにいる時に息を引き取りました。
母は、手を握って「母ちゃん、、」と呼んだのに答えるように心臓が停止しました。
返事みたいだったな、と思いました。
祖父はぼくが隣の部屋でテレビを観てる時に亡くなりました。
そういう日常を愛していたんだな、と感じました。
どちらも悲しかったけど、ぼくを大事に思ってくれてたんだな、と感じる亡くなり方でした。
母は、祖父の介護で苦労してたので、ぼくに苦労させたくなかったのかな、無意識に。
ほんとに3日くらいで、急に、しかもぼくの心の準備が少しずつできるように段階を経て息を引き取りました。
そういうのは、神さまや仏の配慮なのか、それとも生まれる前に自分で決めた人生プランなのか、知らないうちに自分で選んだのか、何かしら理屈を超えた世界があるのか、と感じます。
ぼくは25歳の時に双極性障害の発作があった時に、そういう理屈を超えた世界をひしひしと感じて、同時にもの凄い恐怖もあり、「知らない方が幸せだ」という態度でその後を生きてきました。
今でもそう思っているのですが、やはり何かあると感じています。
だから、お墓、仏壇、神社などには神妙にお参りするのですが、その辺りで留まっています。
しかし、日付けの偶然や、自然や天候の計らい、そんなとこにも人生の不思議が隠れてるような気がして気になってしまいます。
何にしても心を清くしておくのが、孝行であり、身を守る術でもある気がします。
むずいけども。
葬儀の後で実家で観たのがすごく胸に響いたのですよ。
家族って移ろってゆくものだけど、ずっと変わらずある家族って、多くの人の夢なんだろうな、だから長く愛されるんだろうな。
前も書いたけど、ぼくの子供の頃の家族構成はサザエさんとよく似ていた。
フネさんとマスオさんがいなくて、ワカメちゃんが男で、ぼくタラちゃん。
性格も母親以外は割と似てました。
そして昭和の頃って、あんな温かい感じだった。
繰り返しサザエさんを観て、自分の無意識に焼き付けようと思う、なんか効果あるかわかんないけどね。
それにしても、有名人の訃報が続く。
人生後半ってこんなノリなのね。
ノリってのも変だけどな。
いつか親はいなくなる、みんなそう。
むしろもしかして居なくなるのを見届けられた方が幸せなのだろうか、順番的に、そして家族構成的に。
でも、なんでいつか居なくなるという当たり前の事を忘れてたんだろうか。
突然過ぎた。
分かってたら、仕事を辞めて実家に引っ越してた。
そう思ったことで、勇気や身軽さを貰えた気がしてます。
それから、今回はたくさんの教訓も得ました。
それを生かして、ちゃんとした人にならねばと思っています。
でも口だけじゃ、駄目なのね、全然。
しかし、人生の折々で信心深くなってゆくと言うか、人生をお膳立てされてる感、上手く事が運び過ぎやろ感、この偶然何なの感、というのがあります。
ぼくを育ててくれた祖父と母は、ぼくが一番近くにいる時に息を引き取りました。
母は、手を握って「母ちゃん、、」と呼んだのに答えるように心臓が停止しました。
返事みたいだったな、と思いました。
祖父はぼくが隣の部屋でテレビを観てる時に亡くなりました。
そういう日常を愛していたんだな、と感じました。
どちらも悲しかったけど、ぼくを大事に思ってくれてたんだな、と感じる亡くなり方でした。
母は、祖父の介護で苦労してたので、ぼくに苦労させたくなかったのかな、無意識に。
ほんとに3日くらいで、急に、しかもぼくの心の準備が少しずつできるように段階を経て息を引き取りました。
そういうのは、神さまや仏の配慮なのか、それとも生まれる前に自分で決めた人生プランなのか、知らないうちに自分で選んだのか、何かしら理屈を超えた世界があるのか、と感じます。
ぼくは25歳の時に双極性障害の発作があった時に、そういう理屈を超えた世界をひしひしと感じて、同時にもの凄い恐怖もあり、「知らない方が幸せだ」という態度でその後を生きてきました。
今でもそう思っているのですが、やはり何かあると感じています。
だから、お墓、仏壇、神社などには神妙にお参りするのですが、その辺りで留まっています。
しかし、日付けの偶然や、自然や天候の計らい、そんなとこにも人生の不思議が隠れてるような気がして気になってしまいます。
何にしても心を清くしておくのが、孝行であり、身を守る術でもある気がします。
むずいけども。
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