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カテゴリー「雑記」の記事一覧
レンタルCD屋の金券が2000円分あったので、目星をつけてたCDを借りに行った。
数枚選んでまだ借りれるので、テイラー・スウィフトを借りてみた。
これがなかなか良かった。
「Fearless」というアルバムなんだけど、10代って感じでストレートでフレッシュだった。
BSの番組「駅ピアノ」のオランダ ユトレヒト編で、テイラー・スウィフトファンの若い子らが集まって歌ってたのが凄く幸せそうで良かったんだよね。
いい曲を書くなーとちょっと気になっていたのだ。

この前ブログに書いた作り中の歌、1番だけ詞が書けた。
上手くはまってきた。

1983年だと思うんだけど、1984年かも知れない。
クラスの友達の”ますけん”の家に友達10人くらいでチャリで遊びに行った。
ますけんちは学校から10キロくらい離れていて、山2つ超えた辺りにあって、ちょっとした冒険だった。
「スタンド・バイ・ミー」みたいな感じかな。
その時に仲良かった友達(仲良すぎて小競り合いもあったのかな)が、持っていたゲームウォッチを自転車から落とした。
後ろを走っていた僕は気付いていながら言わなかった。
意地悪だったなーとずっと後悔していた。
帰り道で見つけたけど、画面が割れていた。
ずっと忘れられない。
それを1番の歌詞にした。
そんな感じで、その頃の思い出を2番3番にも書けたらいいなと思ってる。
死んでしまった近所の幼馴染達の事を書きたいな。
難しいけどね。

子供の頃って意地悪だったりするね。
子供らを見てたら思い出す。
僕はどうやって克服したんかな。
地獄が怖かったのが一つだな。
マジで地獄に落ちたくなかった(笑)
もう一つは恋だな。
相手にふさわしい”清い心の人”になろうとした。
ほとんどその人の事を知らんかったけど(笑)
日曜学校でお寺に通っていたのもあるかもな。
住職さんがいつもニコニコして、何をしてても決して怒らなかった。
すごく好きな人だった。
僕にわずかながら信仰心みたいなのがあるのはその人の影響だな。

だんだん話がそれている。
夜中だからな。
それではそろそろこの辺で、、
久々に貸しスタジオに行った。
有休で休みが取れて、子供らは学校、幼稚園に行っていて、何か自分を労おう、やりたい事は何か考えた結果、一番したい事は貸しスタジオに行く事だった。
今回はアコースティックギターを持って行った。
割と出来上がった曲と、歌詞のできてない曲を歌ってみたかった。
やっぱり、大声で歌うと歌詞のイメージが固まってくる、思った通りだ。

スタジオにの壁一面に鏡が張ってあるのだけど、自分の姿を見て「ガリガリやないか」と思った。
今、55キロなのだ、これ以上痩せてはいかんなと思った。
たまに自分の姿をじっくり見るのはいいな。
自分の老いと向かいあえる。

中村屋のコロッケを買い食いしてきた。
交通費、コロッケ込みで950円。
安い気晴らしだ。

録音した歌を聴きながら歌詞を作ろうとしている。
1983年に時間を超えて行く、自分の中のピーターパン的な物を慰めに行く、大人になったウェンディ(僕)みたいな歌にしたい。
すごく自己完結な内容だ。

創作意欲という感じではないのだ。
整骨院に行ってた時、先生に「自分の好きな事をするのが何よりですよ」と言われていた。
好きな事に目を向けていると健康に良い、そして職場や家庭でイライラしない、という事らしい。
僕の好きな事と言えば、ギター、歌う、曲を作る、なのだ。
つまり、自分の健康や元気の為にやっている。
確かにいいような気がする。
そしたら自然と自己完結な歌詞になるのでありまして、、
楽しいので出来は気にしていないし、すぐできなくてもいいとも思っている。
シンディローパーの「Time after time」(1983年!)みたいに時をかける歌詞が書けたらいいな、と思っているのだけどね。

ギターでその曲を弾いてたら、なつなりが「誰の歌?」と聞いてきた。
あいつは割とロックに反応するようだ。
水木しげる、宇野千代、草野心平、みな幸福について何か書いてるな。
じいちゃんも”幸せ”について手紙をくれたなぁ。

昔、24歳の時、僕は多少頭がおかしく(あるいは過敏に)なっていた。
その時じいちゃんに「幸せってなんなの?」と質問した気がする。
「難しい事聞くのう」と言っていたが、だいぶ後にハガキでじいちゃんなりに書いて送ってくれたんだな。
今思えば。

その24歳の時、8月から12月まで実家で療養していた。
その間、どん底のようなものだったが、それも今思えば、じいちゃん母ちゃんや、死んでしまった幼なじみ、近所の人とふれあえた貴重な時間だった。
あの時、頭が多少おかしくなったからできた会話もたくさんあったような気もする。
濃く人と関われたのかも知れないなー。

無駄ではないな、未だに大学を卒業できなくて途方に暮れる悪夢を見ることがあるけど、、(笑)
超伝導の仕組みを数式で導き出すという卒論を書いていて、頭のネジが外れてしまったようだ。
オーバーヒートみたいなもんかな。

大学の頃、「銀河鉄道の夜」とか「青い鳥」とかの幸せにまつわる話、好きだった。
トルストイやヘッセの「幸福論」も読んでいたな。
そういうのは無駄ではなかったと思いたい。
なんかとても役に立った気がする。
でも、じいちゃんの幸せについての言葉が一番大事だな。
僕も何かそういうのを家族に伝えれたらいいんだけどな。
じいちゃんと僕は、相性良かったんだろうな。

水木しげるの「のんのんばあとオレ」を買ったのだ。
読んでたらどうしてもじいちゃん思い出すんだよね。
水木しげるの書いた本を読んでいた。
僕のじいちゃんと水木しげるは同世代だった。
どちらも中国地方出身で、シンガポール辺りに戦争に行っている。
じいちゃんに水木しげるの「ラバウル戦記」という漫画を、プレゼントした事もある。
「こりゃぁ、本物じゃのう、漫画は作り話かぁ思うとった」と言ってた。
水木しげるが亡くなった時、もうそんな歳なのか、と思った。
同じ年にじいちゃんも死んだ。

最近読んでた本の作者の亡くなった年齢。
水木しげる 93歳
宇野千代 98歳
草野心平 85歳

共通してるのは、力が抜けてて明るい事。
長生きしたいな、なんかヒントになればな、と思ったのだけど。

ちなみに、ピート・シーガー 94歳
である。
ロックの世代の人はどうなのかな?
これから気にしてみようと思う。


 「ごびらっふの独白」           草野心平

るてえる びる もれとりり がいく。
ぐう であとびん むはありんく るてえる。
けえる さみんだ げらげれんで。
くろおむ てやらあ ろん るるむ かみ うりりうむ。
なみかんた りんり。
なみかんたい りんり もろうふ ける げんけしらすてえる。
けるぱ うりりる うりりる びる るてえる。
きり ろうふ ぷりりん びる けんせりあ。
じゆろうで いろあ ぼらあむ でる あんぶりりよ。
ぷう せりを てる。
りりん てる。
ぼろびいろ てる。
ぐう しありる う ぐらびら とれも でる ぐりせりや ろとうる ける あんたぶりあ。
ぷう かんせりて る りりかんだ う きん きたんげ。
ぐうら しありるだ けんた るてえる とれ かんだ。
いい げるせいた。
でるけ ぷりむ かににん りんり。
おりぢぐらん う ぐうて たんたけえる。
びる さりを とうかんてりを。
いい びりやん げるせえた。
ばらあら ばらあ。

 〈日本語訳〉
幸福といふものはたわいなくっていいものだ。
おれはいま土のなかの靄(もや)のやうな幸福につつまれてゐる。
地上の夏の大歓喜の。
夜ひる眠らない馬力のはてに暗闇(くらやみ)のなかの世界がくる。
みんな孤独で。
みんなの孤独が通じあふたしかな存在をほのぼの意識し。
うつらうつらの日をすごすことは幸福である。
この設計は神に通ずるわれわれの。
侏羅紀(ジュラき)の先祖がやってくれた。
考へることをしないこと。
素直なこと。
夢をみること。
地上の動物のなかで最も永い歴史をわれわれがもってゐるといふことは
平凡ではあるが偉大である。
とおれは思ふ。
悲劇とか痛憤とかそんな道程のことではない。
われわれはただたわいない幸福をこそうれしいとする。
ああ虹が。
おれの孤独に虹がみえる。
おれの単簡な脳の組織は。
言はば即ち天である。
美しい虹だ。
ばらあら ばらあ。

子供の頃の思い出。

家で牛を飼っていた。
その牛の餌に、豆腐を作る時にできる、おからを混ぜていた。
そのおからを貰いに(買ってたのかな?)豆腐屋に定期的に行っていた。
母親について行って、おからを準備してもらっている間に、お店の中で豆腐の作りかけを眺めていた。
水に浮いてる豆腐と、店内の匂いが気持ち良かったような気がする。
その記憶が時々蘇る。
なんか薄暗くて神秘的だった。

子供らに、僕の子供の頃の近所の生き物地図を描いて見せた。
ここにカブトムシがいて、ここに亀がいて、アリジゴクはここ、という風に描いていった。
そしたらなかなかすごいたくさんの生き物マップができた。
豊かな生活だったんだな、と思った。
鯉、ヤマメ、ニジマス、タガメ、カメノコテントウ、クサガメ、ヒキガエル、蛍、カエルの卵、キジの卵、いっぱい思い出がある。
なんなんだ、この思い出は。

一度だけ裏庭でヒキガエルに遭遇した。
カエルを偏愛していた僕は、興奮した。
初めてみる実物だったのだ。
図鑑で見て毒を持っている事を知っていたので、素手で捕まえるのは危険だと思い、虫取り網を取りに行った。
戻ってきたらいなくなっていた。
なんか小さい仙人にであったような気持ちだった。
逃げるんだったら、手で捕まえたら良かったと後悔が残った。

こんな思い出は生きていく時に別に役に立つ訳でもないが、ずっと残っているんだよね。
それはそれで、いいもんだなと思う。


そうだ、いい動画を見つけたんだった。
親子でサイモン&ガーファンクルを歌っている動画。

The Boxer カバー
8月30日、31日辺り、ラジオで夏の終わりの歌が流れていて、いい感じだった。
入道雲が遠くに見えて、夕方ぐらいに雷が鳴って夕立になる感じも結構好きだ。
ゲリラ豪雨というと、風流さがまるでないが、夕立、スコール、などと言うと趣があるように思う。
夏の通り雨だ。
夏の終わりの感じ、好きだな。

映画のエンディングの歌や、アニメのエンディングテーマも、いい。
楽しかった時間が終わる感があっていい。
子供の頃の平日の夕方のアニメ、ルパン三世、トムとジェリー、一休さん、ハクション大魔王、とかのエンディングテーマ、好きだったなー。
母親が夕ご飯を作りながら鼻歌を歌っていた。
それをちょいと聞きながら、アニメを観ていたあの感じ、幸せだったように思う。
もしかして音楽好きになったのは母親の鼻歌のせいかもな、とちょっと思った。

話があまりまとまりが無くなるが(いつものことか、、)、NHKでやってた「世界ふれあい街歩き」という番組がとっても良かった。
なんか癒される。
ある程度仕込んでるのかな、みんなやたらいい事を言う。
気の利いた事を喋るのだ。
外人はニコニコして幸せそうだ。

それから、タモリ倶楽部の「空耳アワー」もちょっとした癒しで、録画して観ようと思っていたんだけど、コロナの影響か、しばらくお休みのようだ。

ブログにタイトルをつけるようにした。
あまり制約なく書きたかったのでタイトルを付けてなかったけど、後々もし読み返すとしたら題名があった方が分かりやすいかなと、思った。
ああ、あの頃子供らが小さくて楽しかったな、と自分で読み返すかも知れない。
コロナで子供らに制約が多いので、のびのびさせてやりたいな。
夏が終わってしまうな。
洗濯ものがカラッとすぐ乾いて気持ち良かった。
ジーンズを毎日水洗いだけして干している。
しっかり乾いて肌触りが気持ち良い。

映画「Big Wednesday」のDVDを観た。
夏の終わりに観るといいな。
友情の映画だな。

前に拾ってきた亀が死んでしまったので、残った餌をどうしようかと思っていた。
毎朝、コーヒーを入れて出勤途中に川辺で飲むのだが、その時亀がいたら餌をまいている。
なんか爺さんみたいだな。

なつなりはよく、「お父さん、いつおじいさんになるの?」と聞いてくる。
微妙なものだ。
ある日突然なる訳ではないし。
自分で「おじいちゃんはな、、」と言いだしたらだろう。
「おっちゃんな、、」と一緒だな。

なつなりを、その川の亀を見に連れて行ったら喜んだ。
すごく喜んで数を数えていた。
この夏の思い出になった。

夏が終わるよ。
ジーンズをだいたい作業着として着たおして捨てる、という感じなのだが、一度だけ”育てた”事がある。

たまたま入った店で、限定生産のジーンズを売っていた。
タグに2000年と書いてるので、それくらいの頃だろう。
試着すると、すごくピッタリだった。
店員さんが、熱心に綺麗な色落ちのさせ方を説明してくれた。
その説明の通りに履いて、どこか破れたらその店員さんの勧めてくれた修理店で叩いて貰った。
たしかに綺麗に色落ちしたように思う。

しかし、あんまり手間をかけてしまったので、もはや気楽に履けなくなってしまった。
前はたまにライブの時に着てたが、今はタンスで眠っている。

そんな眠っている服がいくつかある。
24歳の時に着ていた茶色のチェックのシャツ。
当時、小さめのサイズの服が流行っていた。
それに加えて、その頃とても痩せていたので、もう着れなくなっていた。
そのまま22年着ていない。
そんなに服を買わないので、状態のいい服は着なくても取っておいた。
そのシャツが最近痩せたせいで着れるようになっている。
しかし、普段着るかというと着ないなと思う。
思い出として残してた服なのだな、と気付いた。



子供達と一緒に本屋に行った。
あるね、妖怪、幽霊、未確認生物、地獄。
それから、怪人20面相、手塚治虫、ミヒャエル・エンデ、トーベ・ヤンソン、学研科学漫画、海底二万里、銀河鉄道の夜、あれやこれや。
彼らには、これから面白いものがたくさんある。
それを好きになるかは分からないけどね、僕の知らない何かに出会うかもしれないし。

夏休みに一緒に過ごしていると、子供の頃を追体験できて嬉しい。
特に僕は、ほんとに子供の頃が楽しくて、大人になりたくなくて、成人してからも長く引きずっていたので、そういう経験ができるのはありがたい。
夏にハナムグリを捕まえて興奮するなんてね、、嬉しいね。

なつなりは、恐竜、怪獣、昆虫、爬虫類、妖怪、など色んな種類の生き物が好きなようだ。
男の子ってそうだな。
ポケモン、キン肉マンの超人、チョロQ、ロボダッチ、ガンダム、みんなたくさん種類がある。
僕も「死ぬまでに聴きたいアルバム1001枚」という本を何度も読み返している。

1983年頃には、ベストテン、ひょうきん族、チョロQ、ゲームウォッチ、タミヤ模型、妖怪、ロボダッチ、バイキンくん、怖い話、なぞなぞ、宇宙人、ドッジボール、三角ベース、魚釣り、竹馬、ドラえもん、宇宙、昆虫、殿様ガエル、色々なものにはまっていたな。
ファミコン以前だから、子供の遊びが色々あったのかな?

殿様ガエルを捕まえて学校に持って行って飼ってた。
名前を付けて可愛がっていた。
”ふっくらさん”という名前だった。

コロナで活動範囲が狭くても子供の世界は広い。
近所の木や草の周りも大きな宇宙だな。

昔、西成に住んでた頃、外を歩く時にジョアンジルベルトの「ブラジル」を聴きながら、”ここはブラジルだ、外国と思おう!”と意識して歩いていると、街が全く違って見えていた。
ちょっと自由度が増す。
それ以来、”外国と思って暮らす”というのをたまにやっている。
そうすると、すごく心が自由になる事がある。

NHKの”駅ピアノ”を録画して音を消して映像だけ見るのが好きだ。
外国の日常と楽しそうな表情、字幕でその人の人生をかいつまんで教えてくれる。
遠い所に豊かな暮らしがあるんだと、思える。
音を消してるから、リラックスした表情、服装、周りの通行人など、いろいろ入ってくる。
音楽と一緒に生きてきた遠い場所の普通の人の暮らし、人生、が見えて良い。
幸せのヒントになる。
狭い暮らしの中で広くのびのび生きれそうな気がする。
公共の場で普通に歌える人達だから、顔というかオーラが開けている。
閉じていない人が多い。
力が抜けてバランスがうまく廻っている感じ、そんなのが足りなかった。
少しづつ心体のバランスが整ってきた気がする。

図書館で借りた矢野顕子のCDの、レイハラカミとのコラボ曲が良かった。
あきません、ワッペンにはまって夜な夜なネットで見てしまう。
E.T.ワッペン以外にもフェリックスとR.E.M.のワッペンを買ってしまった。
25年前に買ったブルゾンにワッペンを付け足して着ているので、それに少しずつ付けようと思うのだけど。
こういうのハマると楽しいな。
世界の色々な国のワッペンを見ていると、素敵すぎてうっとりしてしまう。
歌を作るのに似ている。
自分の好みを集めれる、、
あぁ、ワッペン、素敵すぎる。
3~400円くらいでリーズナブルだし。


前着ていたジーンズがダブダブになって、どうもやつれた感が出てしまう気がして、ちょっとタイトなリーバイスを買った。
品番は511で、日本製のやつ。
ポリウレタンが入ってて伸縮性がある。
古着で1000円台なので、まあお得かな(金の話多いな、、)。
色落ちもあまりしてない。

インチが、2つから3つ落ちた。
お酒飲まないと食の好みが変わったようだ。
無理にダイエットをしていないので、この体型で定着しそうな気がする。
ビールの替わりに、ワッペンを買うのもいいかもな。
僕は何かに依存しやすいタチみたいなので、体に害のないものに依存しないとあかんな、と思う。
   
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