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カテゴリー「雑記」の記事一覧
子供ら二人を連れてラーメン屋に行った。
食べながら二人は「結婚したい人いる?」と話している。
ませてきた。
ななこは8人くらいいるらしい。
8人って多いよなと思う、、
なつもめぼしい子が一応いるらしいが、その子はイモムシが苦手なので結婚はできない、と言っていた。
大人になったらイモムシ等の、色んな生き物を飼いたいようだ。
その辺りはまだ可愛らしい。
やっぱり女の子の方がませているようだ。
なつは大人になったらアニアの生き物のフィギュアを全部買うと言っていた。
生き物、怪獣が好きで、宿題は大っ嫌い。
僕なんかは、「おとこらしー」と感心してしまう。
僕は小学生の頃は、叱られる事に慣れていなかったので、先生の言う事はよく聞いて宿題もちゃんとしていたものだった。


こないだギターアンプを自転車で運んでいたら、中学の頃を思い出した。
その頃に一緒にバンドをやってた友達の家で、バンドの練習をしていた。
その友達の家まで、文字通り一山越えて自転車でギターとアンプを運んでいた。
たしか荷台にくくりつけて運んでいた。
今思えばよく家で音を出させてくれたな、と思う。
ま、時代だったんだろう。
僕も家で大音量でギターを鳴らしていた。
それはそれは気持ち良かった。
アメリカや北海道の人は土地が広いので、大きい音でアンプの音を出せるようだ。
やっぱりロックってものは、アメリカ的だよなと思う。

最近、昔の事ばかり思い出している。
たぶんエレキギターを触っているからだろう。
よく触っていた頃の事を思い出す。

デフレパードの「ヒステリア」を聴いていた。
そのアルバムは確か中二の時に出たはず。
ドラムのリック・アレンが事故で片手を切断した後のアルバムで、長い期間をかけて作り込んだ結果、大ヒットした。
レコードからAXIAのカセットテープに録音したのを覚えている。
エレキギターを買った頃、ギターマガジンにデフレパードの「アニマル」という曲と、キッスの「クレイジーナイト」のタブ譜が掲載されていて、その二曲を最初に練習した。
多分キッスの次の号がデフレパードだったように思う。
当時使っていたヤマハのギターアンプや、アリアのオーバードライブがネットで検索したら出てきた。
とても懐かしい。

友達の田平くんが先輩に借りたフライングVを、1日だけ又貸ししてあげると言って貸してくれた事がある。
滑るので座って弾きにくかった。
かっこいいのでドキドキした。
部屋にAC/DCのポスターを貼っていた。
部屋で早弾きを練習していたら、後ろに母親が来ているのに気付かず、ビクッとした事が何回もある。
当時買ったヤマハのサンプラー付きキーボードは、今ではたまにななこが弾いている。

色々思い出す。

U2の「With or without you」。
同じベースのパターンに乗せて歌や演奏が盛り上がってゆく曲。
すごい高揚感で、当時はベースが同じフレーズを繰り返してるのに気付かなかった。
その同じベースのフレーズを繰り返す、というパターンはピクシーズの「Gigantic」やストーンローゼスの「I wanna be adored」でも使われる。
直接の影響があるのかどうかは知らない。
「Gigantic」はニルヴァーナの「Smells like a teen spirit」のヒントになったようだ。
ピクシーズの静かな演奏から急に激しくなるパターンは、レディオヘッドの「クリープ」に影響を与えているはず。
おそらくブーラドリーズとかにも。
その「クリープ」のパターンは90年代の日本のロックでも散々引用されている。
僕もやった。
そんな影響の流れを分析するのも楽しい。
こういうのは心底好きなので、多分一生そんな事を考えてるんだろうなと思う。
平和と言われればそうなのだが、役に立たない事をやっているという点では病んでいると言えるのかも知れない。

整骨院に通った時に、慢性の腰痛や股関節痛は精神的な原因もあるから、夢中になれる楽しい事を探すといいと教えられた。
そうなるとやっぱりギターと音楽になるのだな。


例えばある人にとって、鉄道が好きで休みの日は電車に乗りに行ったり写真を撮りに行ったりするとか、または好きなアイドルやミュージシャンの新譜やライブやテレビ出演を楽しみにしてて、それが日々の生活にハリを与えてくれる、とかあると思うのだが、最近エレキギターが僕にとってそんな感じになっている。
こないだスタジオにアンプを持って行って音を出した感触が忘れられず、また音を出すのを張り合いにして生活している。

AC/DCのアメリカでの1stアルバムを引っ張り出して聴いてみたら、ギターの音がとても良かった。
生々しい。
T.REXの「電気の武者」の一曲目のギターが好みの音で最高だと思っていたが、それに匹敵する好みの音だ。2ndアルバムをレコードで持っていたが、それも聞き直してみたい。
実家に眠っている。

木と真空管とコンデンサーの音、って思って聴いている。
ほぼノイローゼである。
自分はミュージシャンというのではなくて、ギター愛好家である。
それでいい。
愛好家ってのは幸せなのである。
iPodに入ってる色んなロックのエレキギターを聴き比べてたら、目眩がした。
豊穣だ。
なぜあの人達は若いのにエレキギターの本質を突いたような音を出せたのだろうか。
命がけだったんだろうな。
音楽の世界では、若くして何人も死者が出ている。


休みの日に、ギターアンプをチャリのカゴに乗せ、えっちらおっちらスタジオまで行った。
写真は我が愛機フェンダージャパンのTL62B-95である。




曲を録音してみた。
小型のMTRはこういう時に便利だ。
大きいととてもアンプと一緒に運ぶ事などできない。
タスカムいい仕事をするなぁ、と思う。



エフェクターを5個持って行ったが、使ったのはせいぜい2個くらい。
このやり方で、色々録音してみてYouTubeチャンネルを作りたい。
アメリカのアンプマニアに届いたら面白いなと思うのだが。
とりあえずそんなのが今んとこの目標と夢、、


エレキギターのサドルのパーツが届いた。
ちょうど休日の前の日だったので、次の日、早朝から交換して、弦高やオクターブピッチの調整、それからフレットを磨いてレモンオイルを塗り、弦も張り替えた。
作業中にYouTubeで、鮎川誠とチャーの対談&セッション動画を観てた。
鮎川さんの弾くギターはカッコ良かった。
二人とも話が通じる相手なので、喋るのが楽しそうだった。
そういや、持ってた写真集にシーナ&ザ・ロケッツの写真があったな、と探していたらYMOと隣のページだった。

訃報が続く。
ザ・テレビジョンのトムヴァーレインやデビッドクロスビーも亡くなったそうな。

その後、こないだ修理の終わったギターアンプを自転車のカゴに乗せて、背中にはギターを背負ってスタジオまで行った。
大変だが、その手間もまた楽しい。
想像どうりに良い音だった。
赤いフェンダージャパンのギターの生鳴りの音がとても良くなっていたので、きっと良い音が出るに違いないと思っていた。
満足。
それから、すごく懐かしい事を思い出した。
ボスのコンプレッサーが調子悪かったのだが、そういやACアダプターの規格が違ったんだった。
当時のボスのエフェクターはアダプターの種類が違うのもあって、歪み系やコンプレッサーは電池で使っていた。
いや懐かしい。30年前の記憶だよ。
電池だとやっぱりちゃんと作動した。

大阪市内にも、パラパラとみぞれのようなアラレのような雪が降った。
子供達と外に出ると、犬のように走り回っていた。
珍しいもんね。
空を見上げると、降ってくる雪が綺麗だった。
時々大きい雪が見えるので、それを追いかけ回していた。
子供らが楽しそうでなによりだった。

その後、お風呂で子供らに「チャージ」ってゲーム知ってるか?と聞かれ教えてくれた。
小学校でやってるようだ。
リズムに合わせて「チャージ」「バッキュン」「ミラー」のいずれかを手で形を作り言う。
じゃんけんのようなもので、「バッキュン」は「チャージ」に勝ち、「ミラー」に負ける。
「チャージ」と「ミラー」同士はあいこで、あいこなら続けてどんどん言っていく。三回「チャージ」を言うと「かめはめ波」が言えて、「かめはめ波」は無敵なようだ。
一緒にやったが、かなり難しい。
その難しさが癖になるようだ。
脳みそは活性化すると思う。

外で遊んだり、そういう遊びをして欲しいが、子供達は任天堂スイッチの「星のカービィ」に夢中だ。
夕食の時にカービィについて語り合っている。
「やっぱ武器は◯◯だよなー」とか。
非日常に夢中になっている。

僕も、聴く音楽の中に入り込んでいる。
ライブ盤などは生々しく臨場感があってよい。
ギターがブチブチ、ガリガリ、ピー、と鳴ってるのがたまらない。
フーのライブ盤「ライブ・アット・リーズ」。
ベースがギターみたいに激しく、それでうまいことアンサンブルが成り立っていていいな、と思う。
ギターもベースもいい鳴りをしている。
ドラムももちろん良い。
「やっぱロックはリアルさだよなー」と思う。
非日常に夢中になっている。
僕も、子供らと似たようなものかな、とも思う。
49歳になって、今の自分にとっては、19歳の頃って30年前なんだという事を考えた。
19歳の頃って印象深い。
この歳になると30年前ってそんなに昔と思えない。
割とこないだの事のような気がする。

僕が産まれた年の1974年は、30年前と言えば第二次世界大戦の頃のなる。
そう考えれば、当時の自分のじいちゃんの世代にとって戦争は、そんなに遥か昔の事ではない物なんだろうと想像する。

僕が19の時の1993年、30年前の1963年は、ビートルズがデビューした頃。
ビートルズは遥か昔の音楽だと思っていた。
今から30年前って、レディオヘッドの1stの頃じゃん。
いかに若い頃と、歳をとってからの時間の感覚が違うかがわかる。

ならば最近の文化についてとやかく言うのは控えておこうと思う。
僕の好む物は過去の物だと自覚しなければならないのだろうね。
昔の物が暖かい感じがして好きなんだな。
若い子達が90年代の音楽を面白がったりカバーしてたりすると、世代が入れ替わったのを実感する。


エレキギターの弦を買いに楽器屋さんに行った。
もう10年くらい弦を替えてなかった、、
ボスのエフェクターにループステーションというのがあった。
よく弾き語りの人がコードをループさせて、音を重ねていってるやつのエレキギター版なのかな。
アドリブの練習や作曲に便利だろうなと思った。


スピッツの草野マサムネのラジオ番組では、新春恒例企画という事で3週に渡ってメンバーが一人ずつゲストで来ていた。
聴いていたら、仲が良いな、と感心した。
それにみんな音楽好きだ。
昔のロックを嬉しそうに語っている。
年とって仲良さげなバンドっていいね、羨ましい。
そして中学生みたいな、ただのロック好きな感じ、共感する。
僕は今エレキギターのモードなので、時間が空いたらスケール練習している。
楽しいんだけど、りえちゃんは「もっと父親としてやる事あるだろうに」と思っているに違いない。
申し訳ない、、

自分の実感では、子供の頃ってとても重要で、実は人生の大半を占めると思っている。
子供の時間と大人の時間では、進む速さが違う。
10歳の子供にとっての1年は、自分の知ってる時間の10分の一だ。
それに比べて、50歳の人にとっては1年は50分の1に過ぎない。
つまり5分の1に薄まっている。
僕が独自に計算したところでは、人生80年とすると、折り返し地点は14歳だ。
そう思うと、子供は大人の準備期間として我慢するのではなく、子供時代を満喫するべきだと僕は思う。
とは言え、子供の頃はいろんな事が上手くいかないので、大人になって自分の魂の奥に眠る子供が泣いたり駄々をこねている人はとても多い。
その自分の中の子供を慰めなくてはならない。
それを上手くやってやらないと、なぜか同じところから抜け出せなくなるのである。
おそらく、そういう理由で僕はエレキギターを弾くのであろう。
おととしくらいに、ガーナのホワイトチョコにはまって以来、冬になるとホワイトチョコレートを食べたくなるようになった。
今年の冬はホワイトチョコレートを見ないな、と思っていたら最近やっとサンディで見つけた。
早速買って食べました。

こないだ誕生日があり、家族に祝ってもらった。
子供達から手作りのプレゼントをもらった。
カタツムリのでんちゃんの飾りと、足長パンダの部屋。
なんの事だかわからないだろうが、、以前の誕生日にもらったぬいぐるみにまつわる物であります。
前まで僕の誕生日のプレゼントは、自分達のオモチャの中から選んだ物を僕にくれていたのだ。
それがでんちゃんと足長パンダ。
自分の財産であるぬいぐるみの中からプレゼントしてくれたのが嬉しくて大事にしてたらそれにまつわる物を作ってくれた訳なのだ。
成長したものだ。

25歳になる誕生日に大阪に越して来たので、49歳になったという事は、大阪で24年暮らしたということだ。
干支を二週した。
こないだなつが「やっぱすっきゃねーん♪」と歌っていて、思わず笑った。
子供らは大阪ネイティヴである。

休みの前に、日本橋の千石電商に行ってきた。
電気パーツが豊富にあり、その上にギターパーツもなかなかに揃っている。
ギター弾く人にはなかなか便利なお店だ。
そこにブリッジのサドルのパーツをバラで探しに行ったが、無かった。
それならばと、ネットで注文した。
休みの日には、エレキギターの調整をした。
オクターブピッチの調整と、弦高の調整。
それからヤマハのアンプに繋いで音を出した。
アンプの前にARTのマイクプリアンプを通してみた。
一応真空管を使っているので試してみたのだ。
若干、音がウォームになった。
YouTubeで調べたら、おんなじ事をやってる人がいた。
みんなだいたい同じ事を考えるな、と思った。

アンプのリペアショップの店主さんが、「家でアンプ鳴らせないんですよね」と言ったら、「鳴らしたらいいんですよ、エレキギターってそういう楽器ですよ」と言っていた。
そういや、エレキギターやロックって反抗や反体制の音楽だった。
僕はヤンキーの中でもロックを好きなヤンキーは好きだった。
そうだな、僕は"反抗"というものに飢えていたのかもしれない、と思ったのである。
「funk ojisan」というYouTubeチャンネルを最近よく観ている。
エレキギターのリペアショップの店員さんがギターについてギターを弾きながら、ただ楽しそうというのが良い。
そのチャンネル以外にも関連動画で色々出てくるが、いろんな人がエフェクターの種類や年代、またはピックアップの年代やコイルの巻き数などを語っている。
そういうのにハマるのを「沼」と呼ぶらしい。
真空管沼、エフェクターの種類の沼、PAF沼、等いろんな沼があるようだ。
なんだかとても楽しそうな世界だと思う。
この前のギターアンプ修理の人も、アンプ内部のコンデンサーを楽しそうに見てた。
コンデンサー沼か?

僕の持っているRATというエフェクターも、RAT沼というのがあるらしく、シリアルナンバーで製造年が分かるらしく、何年製が良いとかあるようだ。
非常に面白いが、ソニックユースのサーストンムーアなどは機材には無頓着らしい。
僕はソニックユースの「100%」というアルバムが、エレキギターの良さをすごく感じるアルバムだと思っていたので、そこら辺も興味深い。(間違った「Dirty」でした)
音が良ければいい、という訳でもない所もエレキギターの魅力だと思うのだ。

こないだピ家でピザを食べたら、なつが周りの耳のような所を大量にくれた。
そして、やわらかい所ばかり食べていた。

近所の公園は、お爺さんがしょっちゅう掃除をしていて、とても綺麗だ。
お陰で気持ちよく過ごせる、ありがたや。

だいぶ前に買ってその後、壊れて音の出なくなっていた真空管のギターアンプを修理しようと思い立った。
ギターアンプ専門のリペアショップに相談しに行くと、店主さんが話好きなようで、ついついお邪魔かもと思ったが長話をしてしまった。
僕のアンプのメーカーがピアソンだと言うと、なんか少し音楽好きと認めてくれたようだった。
話ではなかなか良いアンプだとの事、嬉しい。
ついつい嬉しくて、カセットテープや田舎の話までして帰って来た。
ふと言われた「ギター弾かないとやってられないでしょ?」という言葉が胸に刺さった。
そうなんだよね、、
いい音楽をやりたいとかじゃなく、真空管で歪ませる事ができれば、満足できるのだ。

ツェッペリンのライブアルバムの中の「レインソング」を聴いていて思い出した。
僕は高校生の時、寮で夜に二時間強ある個室での勉強時間に、毎日ヘッドホンをしてツェッペリンのライブアルバムを聴いていた。
その中の「レインソング」はとても圧倒的な演奏だった。
多感な時期に毎日こんな物を二時間も聴いてたら、ロックに取り憑かれるわいな、と思った次第である。
店主さんもきっとそんな人生なのだろう。
店内にツェッペリンやTOTOのCD、レコード、カセットテープがあった。
とりあえず、理解してくれる人がいれば、孤独ではないのだな。

そういや、ジェフ・ベック亡くなったらしいね。
ちょうど最近、珍しく聴いていたところでした。
近所のマクドナルドに子供ら二人を連れて行った。
二人とも、ワッフルコーンのソフトクリームを注文して、他にハンバーガーとシェイクを頼んでいた。
僕はどれか余ったら食べようかなと、二人が食べるのを見ていた。
スプーンでソフトクリームをすくって食べている。
アイスがなくなったところで、なつがソフトクリームのコーンのところだけくれた。
僕がそれを食べ終わると、今度はななこも食べれなさそうなので、コーンの半分を食べてやった。
結局マクドナルドで、ワッフルコーンだけを一個半食べたのだ。
父親ってこんな風だよな、と思った。
子供らが喜ぶならコーンだけで別に満足なのだ。

一人でマクドナルドの店の中をうろついたなつが、「嫌な事があった」と言い帰ってきた。
どうやら「とうたん」と僕を呼んだのを女子学生に笑われたらしい。
後で、お母さんに「それはなつが可愛かったから笑ったんだと思うよ」と言われ納得していた。
今なつは「ザ・男子」って感じで可愛らしい。
キングコングのソフビ人形をお年玉で買って喜んでいた。

僕の方は、YouTubeでいろんな人が、エフェクターやピックアップ、ギターを比べて「いいねー」と楽しそうなだけの動画を正月の間に観ていた。
もうすぐ49になるが、中学生みたいにロックばかり聴いている。

その間に思った。
80年代から90年代の始めの頃にかけてのバンドブームやオルタナなんかは、身近な生々しい音楽という事で、パンクの精神に基づくものだったように思う。
パンクからあのファッションや定型的なイメージを抜いた物がその後の時代に伝わっていたようだ。
初期衝動や生々しさを持った、自分にも出来そうな音楽、僕はパンクは通っていないと思っていたけど、そういうパンクのマインドに影響を受けたもののが好きだった。
ギターの歪みって生々しくていい。
昔の音楽も、録音が生々しくていい。
ジミヘンの「リトルウィング」とかギターがすごく気持ちいい。
ジミヘンは薬の影響で音に敏感になっていたんだろうか。
そうでもないと納得できないくらいにギターの音が気持ち良くて、官能的だ。
凄いなー、いい音だなーと思う。
あけましておめでとうございます。
いつも閲覧ありがとう。
つまんない事を書いてるかも知れませんが、ま、顔見知りという事でご勘弁くださいまし。
今年もよろしくお願いします。

元旦は、子供らとテレビゲームやカードゲームをして過ごしました。
平和です。
年明け早々に飼っているザリガニが脱皮していました。
縁起が良いです。
子供らにお年玉をあげると、なつがお年玉として僕にカタツムリとパンダの絵と、マフラーをしたカタツムリのフィギュアをくれました。
嬉しかったです。

が、初夢は最低でした。
子供の殺人鬼から群衆が逃げ回っているという、何とも嫌な感じ。
最後に僕が退治したのですが、何ともグロい感じでした。
よりによってなんで初夢で、、って感じです。
いい夢か悪い夢かわかりません。

(ここから文章を独り言風に戻します)

さて、年末年始にかけては、レッドツェッペリンの「2」を聴いていた。
確か中学3年の時に買ったはず。
今聴くとエレキギター主体の音楽だと気づく。
エレキギターの魅力が詰まっている。
というか、僕がそこに惹かれて聴いていたんだろう。
もちろんギター以外のパートも、バンドとしても素晴らしいが、ギタリストにはギターを聴くという楽しみ方が出来るアルバム。
いい音だ。
いい意味の拙さ、粗さがある。
後期にはもっと洗練されるが、洗練されてないギターの音がいい。
これはたまらない。
多感な時期に聴いたので、自分の中のギターのいい音の基準になってしまっている。
そして自分は、エレキギターの歪みが好きだった事を思い出す。

最近そんな風にエレキギターモードなので、年明け早々にまずエレキギターを弾いた。
年末は忙しくて、まるでギターに触れなかったので、とても嬉しい。
用意してたエフェクターボードに繋ぎ、早朝からヘッドホンでギターを弾いた。
自分で歪ませると、とろけそうになる。

バンドも、ましてライブも無いのにエレキギターを弾くなんて意味ないよな、と思うのだが、、。
そういえば元々、ギターを始めた時も嘲り口調で同級生にそう言われた。
「何でバンドも無いのにギター買ったん?」と。
そうだ、僕はギターを弾きたかっただけだったんだ、と思い出す。
別に意味など無く、弾いてみたかっただけだった。
おそらくヴァン・ヘイレンやジミー・ペイジのせいだろう。

ギターショップロージーの一巻でこんなセリフがあった。
「小娘、お前は全然分かっちゃいねぇ。この世には神様のようなギタリストが何人もいる。そいつらの演奏はただの伴奏なんかじゃねぇ。そいつらは、魂とグルーヴで人の人生を変えちまうほどすごいんだ。ナメるんじゃねぇ」
というもの。
ギターなんてただの伴奏でしょ、という子に言うセリフなのだけど、歳をとると、あぁ、ほんとにCDやレコードで人の人生を変える音ってあったな、と実感してる。
たかがエレキギターの音に魅力あるんだよな、と思う。
そしておんなじ様に音にハマっちゃった人と、人生の中で出会って仲良くなるのってとても良い事だった。
「何でバンドも無いのにギター買ったん?」と言った同級生は嫌いになったが、バンド一緒にやろうと誘ってくれた友達には今でも感謝してる。

久々にツェッペリンのアルバムの「狂熱のライブ」の中の「レイン・ソング」を聴いたらめちゃめちゃ良かった。


   
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