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落ち葉が増えてきた。
秋も佳境のようだ。
今年は二度ほど大きな公園に家族で出かけた。
なつの行きたかった久宝寺公園。
ななこが行きたがった服部緑地公園。
どちらも天気がよく気持ち良い日だった。
素敵なカタツムリ公園があった。
ザリガニ、ヤゴ、小鯉、イトトンボ、ミミズク、てんとう虫、たくさん生き物を捕まえたり見たりした。
良い思い出になりました。





前に書いてた、舞茸と椎茸を炒めて酢とオリーブオイルに漬けてみた。
いつものサラダにそれと、キクラゲ、パプリカ、ラディッシュ、ピクルスなんかを加えたらすごい美味しくなった。
すごく美味しいが、どれが効いたのだろう、わからん。
ピクルスとパプリカと椎茸は主張が強いのでそれらのせいか?
なんにしても美味しかった。

おにぎりもお米が美味しい。
田舎から送ってもらったお米だからだろうか。
と思ったがいつものスーパーのお米だった。
なんか違う。
味覚が変わったのだろうか。
同時に心も変わってきた気がする。
なんか成長したような。←自分で言うなよ。。

ひとつ分かったのは、今まで何かを考えてると思っていたのが、実は雑念をこねくり回していたのだ、ということ。
本当に考えられてなかったし、音楽も実はちゃんと味わえてなかった。

のような。
気のせいだったりして、と思うが、気分はいい。
秋の陽気のせいかな。



最近スーパーというものが好きだ。
普段使いはサンディなので、たまに他のスーパーに行くと「へー、こんなのあるんだ」と楽しくなる。
サンディは安いけど、品数は少ないのね。
少し前に他のスーパーにラディッシュを置いてるのを見つけて嬉しくなった。
ラディッシュは使いやすかった、色もきれいになる。
ユーチューブで業務スーパーのおすすめ食材の動画をみてキュウリの酢漬けを買ったりもした、そういうのが楽しい。
キクラゲも試してみた。
キクラゲは海藻じゃなくて、キノコなのかと知った。
ちょっといいヨーグルトや納豆を今週は食べようとか、テンション上がるのね。
庶民だよなぁと思うが、工夫したらなかなかお金をかけずに贅沢な気分になれるのね。
食事は大事なのだなと、最近になって実感してきたよ。
今度キノコのお酢漬けを作りたい。

仕事が忙しい時期になると、仕事休憩食事睡眠ばかりになるが、そういった食材はそういった単調さにほんの少し変化をくれる。
ほんの少しだけど、全然違う。
旬の物も調理したいなと思う。

夕食の時にななこが「お父さんは遺言書かないの?死んだらお父さんの物を捨てていいの?」と聞いてきた。
テレビでそういうのをみたんだな、きっと。
りえちゃんにたしなめられていたが、ちょっと後で考えた。
たくさんあるCDや本の中で、これは良いものだから残しておいて、自分が歳をとった頃にじっくり聴いたり読んだりしなさいと書いて残しておいてもいいかな、と。
でも選ぶの難しい。
ま、おいおい考えよう。
まだまだ生きるもんね。
できれば遺言ではなく、直接教えたいなぁ。

木枯らし1号が吹いたそうな。
ここんとこ寒い時は寒いね。
秋になると思い出す秋ソングに、キンクスの「オータム・アルマナック」がある。
タイトルにそのままオータムってあるもんね。
へんな転調の多い名曲。
またキンクスには「昼下がりの陽だまり」という歌がある。
こちらは「みんなあくせく働いてるけど、僕は日向ぼっこしてればしあわせさ」という歌。
歌詞にサマードレスと出てくるから初夏の歌なのだろうか。
こちらも働き疲れた人に染みる名曲。
キンクスには優しい歌が多い気がする。
その辺りはレイデイビスの人柄か。
この時期の昼間の日向ぼっこは気持ちいい。

ユニコーンのニューアルバムを買った。
なんとなく、ユニコーン、スピッツ、ザ・クロマニヨンズは新しいアルバムが出たら買おうかと思っている。
洋楽はなぜかユーチューブで新作が聴けるので、最近買うのは邦楽が多くなってる。
ストーンズのニューアルバムもカセットテープに録音して聴いてる。
皆さん歳でもそれなりに違う方向に振り切っていて、聴くのが楽しいので、中年以降のロックが好きだ。


音楽やりたいなーと思う。
現実的にとても現実的に考えて、まず、ぼくは子供らの為に長生きしたいのである。
それはぼくの父親が果たせなかった、ただ生きていてやる、という事をしてやりたいのである。
その為に食事に気をつけ、睡眠をしっかりとり、ストレスをためない、それを最優先にしている。
それで長生きできる保証はないが、とにかくそれをやっている。
7、8時間眠ると、後は仕事、休憩、食事、風呂で一日終わる。
そして休日、体や頭を休めて、さて音楽に取りかかろう、と思うと1時間しか残っていない、、という事になる。
なるほどこれでは無理だなと気付く。
とても芸術作品などできない。
彼らは24時間命がけでやっているのだ。
ぼくは命も時間もかけないで何かできるだろうか。
いやはや、行き詰まりである。
ブルースのような短歌のような二行だけの詩はどうか、とふと思った。
メロディは借り物でもいいではないか。。


気持ちのいい場所を求めて街を散策すると、大概ご老人がそこにいる。
猫は家の中の居心地のいい場所をよく知っているが、街の事はご老人がよく分かっているようだ。









釣りをしておられる





安く手に入れた
20歳過ぎの頃に買った、ボブディランの「John wesley harding」。
いま聴くと穏やかで落ち着く良いアルバム。
当時はピンと来なかった。
なぜこうも音楽に心を開けていなかったのかと不思議に思う。

中一の頃よく聴いたKUWATA BAND。
こういう仕組みになってたのかと、今更気付く。
わからない気付けていなかった事だらけの人生だ。
多かれ少なかれみんなそうなのだろうか?
なぜボブディランは26才であんなアルバムを作れたのだろう?



最近、煮干しを食べるようにした。
ほかに、豆腐、納豆、ヨーグルト、ハチミツ、シナモン、鶏むね肉、海藻、キノコ、トウモロコシ、お酢、大豆、ナッツ、多めの野菜とか、体に良さげなものを毎日食べるようにしている。
腸の調子が良いのか、セロトニンが出ているのだろうと思うのだが、ここのところ幸せを感じて暮らしていけている。
朝焼けが雲に反射してるのとか夕暮れを見るとか、休日の前の日にスーパーに行き一品だけなにか買うとか、好きな音楽を聞くとか、ただそんな事だけど小さい幸せを感じる。
ありがたいことだ。
セロトニンとか自律神経とか、心の表層は単純な仕組みで出来ているようだ。

奥底のもっと深い心の問題はやっかいだ。
その辺りは心の声を聞かねばならない。
自動的に現れる表層の感情や考えを仕分けて消していくと、奥底の心の中が見えてくる。
僕の場合は、「父親がいなくて悲しい」という事だった。
その事と、それに関係したややこしい事を普通に人に話せるように消化するのが僕の人生の課題だった気がする。
それをするのに25才から38才までの13年の年月が必要だった。
作詞してた事がそれに役立ったみたいだ。
出会った人たちのおかげも大きいけどもね。
これもありがたいことだ。

ボブディランが歌作りについて言っていた事が、なんとなく分かるようになってきた。
「現代の暮らしではたくさんの刺激を五感に受けているので、頭にたくさんの思い(thoughts)が浮かぶ。
その思いを仕分けて心を惑わす無意味なものを捨てる。
すると向こうからは惑わされることのない場所ができる。
その場所が歌の作れる場所だ」
みたいな事。
たぶん職業的な歌作りについての事ではなくて、アートとして魂に根づいた歌作りについて語っているんだと思う。
「インスピレーション」という本に書いていた。
それはとても役立つ僕好みのアーティストたちの歌作りについてのインタビュー本だ。
こんな人たち。




こないだ、公園でお弁当を食べていると、知らない子がやってきて、「お漏らしをした、どうしよう?」と相談された。
2、3才の子供だ。
お父さんお母さんは?と聞くと、「いない、なーくんと来た」と言う。
近くに大人がいたので「大丈夫、なーくんに相談してごらん」とアドバイスした。
なぜ僕のとこに来たのかわからんが、穏やかなオーラが出てて相談されたのだとしたら、ちょっと嬉しい。
再びお酒を断とうとしています。
たしなむくらいの量なら良いかと思ってたけど、どうも調子が悪いのである。
日に焼酎100mlくらいの量だったのだけど、アルコールの常習性はすごいもので、毎日欲しくなる。
そしてそのくらいの量でも次の日だるい。
なんとなく腸の消化具合で、腸の善玉菌が減ってるのがわかる。
血のサラサラ度が減って疲労物質などの排出が滞っている感じもする。
さらにアルコールの分解に内蔵のエネルギーがいき、他の内蔵の働きが悪くなってる感がある。
このあたりは個人差があるだろうから、ぼくの体質にアルコールが合わないんだろうと思う。
だから特に皆に禁酒を勧めるわけではない。

三日くらいやめたら体調は良くなった。
それ以外にも、職業病として肩と背中のコリがあるのだけど、本で読んだ筋膜リリースをしっかりとやったら楽になる事が分かった。
このまま晩酌で増えていた食事量も気持ち減らして、消化する内蔵の負担を減らしたい。。
どうもぼくは内蔵の負担が増えると、血液をろ過する機能が弱りダルくなるようだ。
気をつけようと思う。

やりたい事を考えた。
ホントに些細な望みなんだけど、イオンモールをゆっくり見て回る事、映画のDVDを見る事、近所のインドカレー屋さんに行ってみる事が望みだった。
寝台列車で出かけて飛行機で戻ってくるというのも思いついたけど、無理なので却下。。
休みの前の日にスーパーに行きゆっくり見て回った。
体に悪くなく食べたいものを探した。
ちくわ、バナナチップス、大根のカクテキキムチを買った。
質素でしょ、笑。

そんで早朝に、ちくわを食べながら「リスボン物語」という映画を観た。
この映画はヴィムベンダースの作品で、リスボンで映画を撮っている友人を訪ねて行く音響効果録音技師のお話。
映像と音がとても綺麗で、大作ではないけど心に残っている映画。
二十歳頃に観た。
大学生の時に映画研究会によく冷やかしで行ってたので、自主映画を撮るのも何度か手伝ったりした。
その頃の友人は上京して助監督になり、なぜか「リング」の貞子の目を演じて、沢山の人を怖がらせた。
そんな事も思い出した。

イオンモールをぶらぶらしたけど、その後に行った個人営業の本屋さんが良かった。
イオンの本屋さんより海外小説が多くて、昔持ってた本「ピーターパン」「トムソーヤの冒険」「秘密の花園」「青い鳥」なんかが新訳で出ていた。
ぼくは子供の時代を引きずっていたので、そういう子供の本は好きだったし、作詞のテーマだったりした。
その中から「ピーターパンとウェンディ」という本を買った。
年取った分、ピーターパンという永遠の子供を描いた作者の気持ちがより切実に分かる気がする。
夏休みに「海底二万里」を読み、夜には天の川を眺めていた。
そういうのを何度も思い出す。
ある意味それは永遠なのだろう。

なつは前歯が抜けて、歯抜けさんになった。
ダイソーの対戦カード「虫神器」に夢中である。
ななこは「ピクミン神器」を手書きで作ろうとしている。
そうやって工夫して手づくりするのいいね。
仕事中に気分が上がるように、仕事着用にダイナソーJrのTシャツを買った。
「グリーンマインド」のジャケットの子供をプリントしたもの。
微妙に誰にも分からない感じが気に入っている。
しかし、ななこには「可愛くもないし、カッコよくもないTシャツ」と言われた。
まあ、確かにそうかもしれない。。


だいぶ前、なつが幼稚園児だった頃、ローリングストーンズの曲に「ぶっさい音楽やなぁ」と言っていた。
素直な感想で面白かった。
そろそろストーンズのアルバムが出るようだ、聴きたいなぁ。

子供らと過ごす事で、ダンゴムシやいも虫、蝶の世界を思い出した。
子供の頃慣れ親しんだ世界だ。
自然の中で生きている。
ゲームの世界も進化してて驚く。
ななこはマインクラフトが欲しいとずっと言っている。
きっとクリスマスまで言い続けるだろう。
ぼくはノーマンズスカイというゲームが気になっている。
宇宙の中を巡るゲームらしい。
1800京個ある惑星を探検するゲームのようだ。
またユーチューブで寝台列車の旅の様子を見た。
個室もあるようで、寝っ転がって外の景色を眺めてたらさぞかし気持ちいいだろうと思う。
飛行機の個室も素敵だった。
なんと知らない世界のたくさんある事か。

最近自分の小ささを考えるようになった。
自分だけで知れる世界なんてダンゴムシの世界のように小さいのかもしれない。
家と職場の往復だもの。
もしかするとカラスの方が広く世界を見ているかもしれない。
価値観も凝り固まってくるだろうと思う。

そんな中でも、目や心を開いて見れば、色んな人が違った価値観をチラッと匂わせてくれる。
どうもぼくの五十代はその辺りが課題なのでは?と思う。
自分の小ささをちゃんと意識して、目と心を開く事。

図書館で吉本隆明が若者に向けて書いた本を借りた。
その中に、「社会的な個人」「家庭の一員としての個人」「個人としての個人」を分けて考えた方がいいと書いていた。
例えば仕事を頑張る事で個人として認められようとするのではなく、チームや社会の中での役割を果たす事が必要で、個人として認められようとするのはまた別の事と考える、みたいな。
上手く要約はできてないだろうけど、何か腑に落ち楽になった。
頑張って働かずとも、役割を果たせばよいのだ。
多分ぼくは「社会的な個人」というものがかなり欠けている。
ずっと「個人としての個人」で生きていた。
その辺りも課題。
世界が狭いのだな。


橋の上からの写真。
空が広いのだな。
盆地育ちなので、広い空は新鮮。
仕事帰りに時々立ち寄る。

運動会がありました。
前日の夜まで雨が降っていたので、仕事を休む為に人の手配などしてもらっていた身としては、ハラハラしてたけど、なんとか予定通り開催された。
観覧制限のない運動会は小学校に入って初めてで、ななこが年中さんだった時以来だ。

さすがに人が多く(生徒数800くらい!)撮影の場所取りに追われました。
去年は学年で入れ替えだったので、撮影はし易かったのだけど、老眼と近眼のせいで、なつの姿を見失い可哀想な事をした。
せっかくかけっこで一等になったのに微妙な動画になってしまいました。
なので今年は緊張した。
ななこの学年のダンスの撮影の時、あまりの生徒数の多さにパニックになった。
ほぼたまたま望遠で見つけ出し、見失わないようにしてたのにダンスの演出で動き回る。。
運悪く前の人の頭に重なり、わし、パニック。。
そのパニックの様子が手ブレと、映った空と校舎に表れていた。
かけっこは上手く撮れた。
なつ一位、ななこ転んでビリ。。
足元が悪かったようで可哀想。

人が多いので、生徒や親を見るのも楽しかった。
六年生大きい!
個性的な親、しっかりしてそうな家族、保護者会の人、勉強になった。
我が子のクラスでの様子も見れて良かった。
終わり頃の高学年の競技や演技は、撮影の緊張から解放されてたので、しっかり見れて感動した。
我が子より知らん子の方でウルっとするってどうなのよ?と思うけどね。。
カメラの撮影より肉眼で焼き付けた方が良いのかな?よく分からん。。

終わってから、なつと川に亀探しに行った。
なつは運動会より川遊びを楽しみにしてたようだ。
あいにく亀はいなかったが、小魚、川エビ、ヤゴを捕まえた。
近所の小学生もいて、「ウナギやスッポンもいるよ」と言っていた。
通りがかりのオッチャンは、ナマズもいると言ってた。
子供といると警戒心を持たれないので、知らん人と会話できる。

夜疲れて寝っ転がってテレビを観ているぼくの上に、子供らが乗ってきて場所の取り合いの喧嘩になった。
喧嘩はいかんが、くっついてくれるので嬉しいのだった。

1986年に発売された、ロッド・スチュワートのアルバムを聴いていた。
このアルバムは当初「Rod Stewart」というセルフタイトルで発売されたが、後に「Every Beat Of My Heart」に変更されていた。
なんでだろう?
調べてみたところ、セルフタイトルで発売されたのは日本とアメリカで、イギリスでは「Every Beat Of My Heart」で発売されたようだ。
なるほど。。

なんにしても、本人にはある程度、会心の出来だったのでは、、と思われる。
しかしこのアルバムは洋楽の歴史の中で埋もれている作品である。。
でもぼくにとっては、特別なアルバムである。
なぜなら、ぼくが人生で2枚目に買ったLPのレコードだからなのだ。
それはもう、何度も何度も聴いた。
だから魂に沁みついているアルバムなのである。

A面はアップテンポな曲、B面はメロディアスな曲という構成。
ゲストとして、ギターにスティーヴクロッパー、鍵盤にニッキーホプキンス、コーラスにアルバートハモンドなどが参加しているようだ。
特に好きだったのはB面の「Love Touch」とビートルズのカバーの「In My Life」。
ぼくが初めて買ったLPレコードがビートルズの赤版ベストだったので、「In My Life」は、「あ、おなじ曲だ」と嬉しかったのを思い出す。
「Love Touch」は今聴いてもキャッチーな曲だ。

当時ぼくは中一で新しい環境で、洋楽という新たな楽しみを見つけてとても幸せだったのを思い出す。
特にこのアルバムはいかにもエイティーズな音で、その後あまり聴いておらず、そのせいでかえって当時の自分が真空パックされていて、聴いていてたまらなくなる。
特にロッドが大人な一面を見せている穏やかなB面が良い。

高校生になり、ロッドの過去の「Never A Dull Mornent」というアルバムも聴いたが、そちらも大好きだ。
この2枚がぼくにとってのロッドスチュワートなのだ。

先日、メルカリでこの「Every Beat Of My Heart」のカセットテープを見つけて思わず買ってしまった。
レコードもCDも持ってるのにカセットテープも買ってしまいました。。
バカだねぇ、、と思います。
でもそれでいいのです。。



先週の休みの日、なんだか気力が衰えていた。
とりあえず緑地公園に行き、木の下にシートを敷いて寝転がった。
しばらく風で揺れる枝葉の音を聞いて眺めていた。
これで整う気がする。
ぼーっとする事も必要なのだろう。

少し考えた。
この気力の衰えは、インスタント麺と魔のコンビニが原因と思われる。
筋トレ柔軟も、サボっている。
少しの事がすぐ気力に直結する、それだけ体力が落ちているんだろう。
芸能人が筋トレしてマッチョになるのは、こういう気力の問題もあるんだろうなと思った。
立て直さねば、しんどい。
魔のコンビニ、恐ろしや。。

とりあえず、加工食品の添加物、塩、あたりは避けたい。
景気の悪い話ですみまそん。。


こないだ近所の草むらにスミレ科の雑草を採りに行った。
ツマグロヒョウモンという蝶の幼虫を飼っていて、そのエサなのだ。
家から外に出ると、スズメガが大量にいた。
捕まえにくい虫なのだが、4匹も捕まえれた。
ツマグロヒョウモンの幼虫もたくさんいたし、カメムシも多い。蚊も。
気候のせいなのかな?
エレベーターを使わずに階段で帰ろうと子供らが言うので階段を登っていたら、巨大な昆虫がいた。
立派なトノサマバッタだった。
今まで見たトノサマの中で一番でかい。
草むらに逃がしてやろうとしたら、ものすごく羽ばたいて飛んでいった。
蝉ぐらい飛んだ。
ビルの5階くらいまで飛んだんではなかろうか。
印象的だった。

後で昆虫図鑑で調べたらトノサマバッタではなくて、イナゴではないかという話になった。
すごい生命力を感じる虫だった。
あれが大量発生したら、たしかに怖いなと思った。



最近気に入っている場所。
寝屋川の横にJRの車庫があり、だだっ広いので、空が広い。
飛行機も通り、川にはでかい鯉も徘徊している。
今の時期、高い所の雲と低い雲と飛行機が交差すると、空が立体的で美しい。
あ、空だけで幸せな気分になれるんだ、と気づく。

こういう場所で自分の心に問いかける。

君は何がしたいのだ?
まずは家族の時間を大事にしたいのだね。
それから自分の為には?
そこでスッと「音楽」と出てこない。
何かやり方に煮詰まってるのだね、足りない物に気づいたのではないかい?
そうだ、やっと満足な歌い方で録音できたんだけどそこで気づいた。
何に?
昔作った詞には今の心がフィットしてない事、声に如実にそれが表れる事に。
じゃあどうすればいい?
新しく曲を作る、もしくはカバーをしてみる。
それはワクワクするかい?
うーん、やってみないとわからないな。

などなどと問いかける。。
その他にも些細だけどやりたい事など考えてたら、少しずつ元気と気力が出てきた。

職場の帰り道を少しだけ外れた所に、ヤバいコンビニを見つけた。
百円ローソンなのだが、知ってる普通のコンビニと全然違って、見た事ない品揃えなのだ。
お酒に特化しているようで、酒の品揃えが豊富で、おつまみも種類が多い。
そして頻繁に値引きをしてて(30%off)とか、リーズナブルだ。
店員さんも味があり、手作り感が豊富。
客層も面白い。
穴場の店という感じ。。
正直、行くのが楽しい。。しかしお酒の量が増える。。やめれない。。

割とへんぴな場所にあるのだ。
大阪では川や線路をまたぐと、区や市の管轄が違い、町の雰囲気が全く違ったりする。
その違いを感じるのもまた楽しいのだ。
色んな暮らし方が見れて面白い。
川沿いにJRの車庫があるので、川と空と列車を眺めながら飲むのがいい感じで、習慣になってしまった。
おかげで、楽しい反面どうも色々ダルくなってしまった。
いけません。。

ダルさに任せてユーチューブを見ていると、オススメでやたらジャニーズ関連の番組が出てくる。
皆がジャニーズの崩壊を面白がっているのが分かる。
ぼくとジャニーズの接点はほぼないのだけど、性暴力などは最低だと思うので、ジャニーズ関連で唯一時々見てた番組「関ジャム」を見ない事にした。
あれだけ大きな事務所でそんな風なら、他の事務所でもあるだろうな、と当然思う。
嫌な話だ、さらにダルくなる。

最近面白かった事。
朝の通勤時。
後ろから楽しそうに歌を歌いながら自転車をこいで来る若者がいた。
酔っているのかもしれない。
ぼくを追い越す時、一瞬歌が止まり、その後に続きを歌った。
「そしたらベンジー♪あーたーしをー♪、、」と御機嫌さん。
こちらにも楽しいのが少しうつった。
歌の力なのか。。


職場にて。
「このシャツ綺麗にできないんですけど」と60代のパートさん。
「あーこのシャツは"古い"から"縮んでて"無理やねー」とわし。
すると「わたしも古いから身長1センチ縮んだわ」との事。
不用意に古いから無理などと言ってはいかんなと反省。
大阪のおばちゃんらしさだな。




ここのところ、本を読み返していた。
若い頃に大事にしていた本、トルストイの「人生論」。
読みにくい文章、例えば"動物的個我"なんて単語が頻繁に出る。
それでも一生懸命に読み、何かしらの感銘を受けたようだ、若い頃のわし。

その頃、自分の好きな本ランキングを作っていて、本棚にその順に並べていた。
「人生論」は二位だった。
一位はヘルマンヘッセの「シッダールタ」、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」は殿堂入りにしていた、わし、、なんだかな。。
三位はリルケの「若き詩人への手紙」か武者小路実篤の「空想先生」のどっちか、もう覚えていない。
ゲーテの「若きウェルテルの悩み」、夏目漱石の「それから」とかもどっかに入れてた。

このランキングは、たまたま読んだ本の中で、たまたまその時の気分に合い作ったもの、普遍性はない。
しかし出会いなんてそんなもので、この「人生論」はきっと自分にとって大事な物なのだろう、そう思ってパラパラ拾い読みをしていた。
そしたら、老いや死にも触れており、やはり当然若い頃よりよく分かる。
もしや、この本は今こそ読むべきかもな、と思った。

この本では動物的個我の幸福の追求を否定しており(むずいよな、、言葉)、そんな本に影響受けてたら人生こうなるわな、、と思った。
でも悪い意味ではなくて、影響受けといて良かったとは思っている。
それなりに人生に満足はしている。
あまり動物的個我の幸福の追求はしてこなかった(笑)

確かにこの本の通りの老いの問題に直面する。
自分の個我は滅びゆくもので、真の生命は自分が愛しても感じても知りもしないこの全世界なのである。
みたいな事が書いてある。
それをどうやって解決したんかな?なんて思って読むと面白い。
ただ、言葉は難い。。
結局最後の方では「愛」だよなとなっている。
ジョンレノンやKAN、ハウンドドックと同じだ。。

しかしトルストイ、前半でやたら色んな人を否定しまくっている。
執筆当時60才くらいらしいが、へんこなじいさんだよな。と半分は距離をとって読む。
それが昔とは読み方の変わったとこ。

もう一冊トルストイの「クロイツェルソナタ」を読み返している。
こちらは読みやすい 。
性にまつわる話だ。
トルストイが俗人であり、聖人であろうと努めていたのが分かる気がする。



   
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