ゲームにハマった
ニンテンドースイッチのソフト「なつもん」を買ってからひと月経った。
夏休みもあと少しで終わり、“あぁ、夏が終わってしまう感”を感じている。
相変わらず一日の終わりには、まだ遊び足らないと思うし、景色は綺麗だ。
ゲームの中のいろんなことが懐かしい。
今は世話になったシェアハウスのおばさんに、まだ作って貰ってないイシガレイを料理してもらう為に、釣りに興じている。
いちおうゲームなので達成度は出るのだが、もはやそんなものはどうでもいい。
町を歩き回って、町の人との会話を楽しんでいる。
そして思い出の地を巡っている。
達成度よりも思い出が大事なのだ。
そういう所に生きることへの教訓が含まれている詩的なゲームである。
登場人物も文化的な人が多い。
登りたかった山にも登頂した。
頂上からの景色を楽しみにしていたのに、視界の悪い土砂降りの雨の中、登山を決行した。
当然何も見えやしない。
その“わし、何やってんの感”が愛おしかった。
そして大雨の中、山頂からマントでダイブ。
いっこうに何も見えず、ただ滑空して行く。。
なんだこれは、という感じ、楽しかった。
そして最難関の灯台の頂上も制覇した。
たまたま頂上に着いた時に花火が上がった。
そしてまた、マントで滑空。。
この高い所から滑空するのが気持ちいい。
これまた楽しく景色は最高だった。
そんな風に、ゲームの中の体験が現実の体験と比べて遜色なく脳内に残るのがとても面白い。
この現実世界が実はバーチャルリアリティなのではないかという素っ頓狂な考えが存在するのも、少しだけうなずける。
なんだか映画のマトリックスの世界に似てきている。
子供たちは、そのうちオンラインのゲーム空間で友達と遊びはじめるような気がする。
Minecraftなんかのバーチャル空間でみんなで遊んでいるのを見かけると、とても楽しそうだ。
先日、なつがMinecraftで近所の市営団地や公園を作りたいというので、カメラを持って撮影しに行った。
そして実際にななこと二人で作っていた。
ぼくも少し手伝わされた。
これが面白いのだ。。
やばい。。
子供の頃の実家の周りの風景を作ってみたくなる。
しかしそれは抜け出せない沼のようにも感じる。
《どうでもいい追記》
イシガレイはあきらめて、サバ料理を作ってもらうことにした。
ゲームの中まで成果にこだわるなんてバカげてる気がしてきた。
のんびり楽しむことにした。
サバならすぐ獲れる
とはいえ、虫コンプリートの誘惑は大きい。。
あと14種類、、マップは広いのだ。
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