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いつも昼ごはんを食べてる公園のベンチに座ると、目の前の木の根元に祠のようなものがあった。
ゴールデンウィークの子供達が作ったんかな。
しかしよく見ると結構手が込んでいる。
大人の手も加わってるのかな。
平和だね。

公園で昼食をとるようになって、4、5年(たぶん)になる。
もう達人である。(なんの?)
雨上がりの日には、手ぬぐいを半分に折り、間にビニール袋を挟む。
それをベンチに置くと濡れずに座れる。
手ぬぐいは汚れても、仕事がクリーニングなのでなんとかなる。
そして普段と違う天気の時も、かえってなんか楽しい。
鳩なんかが気持ち良さげにしているのを見ると、鳩のように自分の中の野生が満たされるのを感じる。

元々、公園で昼休憩をとるようになったのは、股関節痛をやってからである。
ほんとに椅子にも座れない状態になり、歩けばマシになるということで、休み時間に外に出るようになった。
その時にメンタルにすごく良いことに気づいてしまった。
セロトニンでも出るんだろう。

それから、公園で遊ぶ子供を見るのも好きだ。
無邪気なこと。
こっちもつられて無邪気さを少し思い出す。


親戚のおばさんから電話があった。
子供の頃に可愛がってもらったおばさん。
もう90手前なのだけど、ぼくの母の墓参りに行ったよ、という電話だった。
おばさんは結婚するまで、ぼくの母ちゃんや爺ちゃんたちと一緒に暮らしてたんだよね。
ぼくが生まれるはるか前のこと。
人それぞれ思いがあるね。
おばさんの声が、ほんとにとても優しくて、泣きそうになった。
というか、少し涙が出た。


金曜ロードショーでやってた「君たちはどう生きるか」を観た。
鳥男が出るくらいしか知らずに観始めたら、いきなり母親の死で始まり、その後も母親に関して結構キツいな、と思って観てた。
録画なので、半分くらいでとりあえずその日は寝よう、と中断した。

次の日に後半を観たら、その母親の死に関してちゃんと昇華してて、その点だけでもとても良かった。
すごく暗喩を多用したストーリーなので、分かりにくいとか意見は分かれてるようだけど、ぼくはもう母親の描き方だけでとても良い映画だと思った。
この登場人物は高畑薫とか鈴木プロデューサーのイメージだろうなとか思って観てたけど、たぶんその辺りを紐解いてもそんなに意味なさそうだ。
とりあえずぼくにとっては。

ぼくが良いと思ったのは、ヒミという女性の描き方。
年齢、性別、親子、時間、そんなのを超越して、異性や親としてでなく、この世界にやってくる魂として主人公と並んでいた。
肉体がないからか、親だからか、はたまた監督が年齢的に枯れたからか、今までのヒロインにいつも薄っすら描いていた性(エロス)が無い、それがいい。
ぼくは、はるか昔、好きな異性のタイプを聞かれると、ナウシカのような人、と答えていた。
ヒミはナウシカより良かったな、と思う。




おっさんになったな、と思うことがる。

例えば警官に対しての接しかたとか。

奥さんのお下がりのピンク色の古い自転車に乗ってるからか、よく警官に防犯登録確認で止められる。
4回目くらいまでは、はいはい、と対応してたんだけど、5回目でさすがに嫌になって「なんじゃ、おっさんがピンクの自転車のったらあかんのか?」と食ってかかってしまった。

それで、「あのな、人生勉強と思って聞け。結婚して子供ができたらな、子乗せ自転車買うやろ、そんでな、使わんようになった奥さんの自転車を大事に乗っとるんじゃ。安月給やから物を大事にするんよ、それが庶民の暮らしじゃ。他の警官にも、この辺はピンクの自転車に乗ったおっさんがおるけえ、言うとけ。めんどくさくてかなわん」とまくし立てた。
まぁ、結局笑って終わったんだけど、若い頃ならそんな事は言わなかったと思う。

そんなこんなあって、住んでる町では防犯登録確認はされなくなった。

それがしばらく前、遠出した先でまた防犯登録確認で止められた。
内心「はい、きた!」と思い、「なんじゃ、ピンクのチャリじゃけ止めたんか」とまず一声。
「ジェンダーの問題とかになるけど、ええんか?」
「よし、防犯登録見てもええが、もし違ったら一筆書け、この人はピンクの自転車ですが、盗難車ではありません、どこそこ交番の誰々って」
てな具合。
我ながらめんどくさいやつ。。
まくし立てたが、“ピンクの自転車”というのがパワーワード過ぎてお互い笑ってしまった。
警官も「いや、おしゃれな格好の割に自転車が古いので」などと言うので、「なんや、おだててごまかそうとしよるやろ?」と言い返す。
「このダウン、古着で千円やで」
「ほんまですか?どこですか?」
みたいになり、「いや、急いでるんやて」と言う。
それから「ええか社会勉強やと思って聞け、結婚したらな、、」と前のくだりをまた演説した。
ほんで、最後に警官さんは「いやー、楽しかったです」と言ってはった。
楽しかったやあるかいな、と思ったが、まぁこちらも悪い気はしない。

しかし、なんだか面倒な人だよな、と反省もする。
昔はそんな偉そうにしなかったよな、とも思う。



疲れている時ぼんやりしてると、頭に色んな事が思い浮かぶ。
雑念というやつだろうか。
仕事の忙しさで、疲れがピークになってると特にどんどん頭に何か巡っている。
働き過ぎなブラック会社なので、一応防御を張っているのだが、それでも脳がバグってくるようだ。


二年前くらいか、ユーチューブのおすすめで瞑想のやり方が上がってて、それの通りにやったら、初めてなのにビビるくらいにできた。
ほんの20分程度で、おーん、っていう音だけに包まれる境地に達した。
しかし、あまりにビビったので「これは深入りしてはいけない世界だ、、」と思い、結局、瞑想はその一度しかしていない。

その体験で、自然と頭に思いが浮かぶ、そしてそれは消せる、と知った。
そして、“頭に浮かぶ思い”を確認、矯正しようと思い、半年くらいシコシコと詩を書いていた。
学んだのは、物事の感じ方は操作できるのね、という事。
思いを意識して呼吸に集中して消せば良い。
しかし深入りすると、ヤバいヤツっぽい気もするので程々にしてる。
そっちの世界には行かない。


初恋の事を思い出してた。
未練とか、甘い思い出とかではなく、これからの子供の成長を先回りして、自分の過去を振り返るような仕組みらしい。
そのように脳が出来ているのではないか。


中一の時、ゲームから洋楽鑑賞に目覚めたアホな男子だったぼくは、自分の近くで頻繁に女子二人がコソコソと二人で話してるのに気づいた。
どうも、片方の女の子がもう一人に「いっちゃえ、いっちゃえ」みたいに言ってる感じだった。
「え、わしのことか?いやいや、地味男子のわしがモテる訳ないか、、」と
打ち消した。
しかし、なにかドキドキしていた。

二年生になった4月のある日、下駄箱に手紙が入っていた。
ラブレターだった。
差出人は書いていないが、一年生の時の文集の筆跡と比べると、その女の子だった。
「え、ほんとにそうだったのか。こんなスクールカースト上位でないワシを好きになってくれるなんて」と当時スクールカーストなんて言葉は無かったが、そんな風に思った。
いつのまにかぼくもその子が気になるようになっていて、半年くらい「両思いじゃん」と幸せの絶頂で過ごしたが、アホだったので、特に何もせずウキウキと過ごした。
秋頃に、友達グループでみんな告白をしようぜという流れになり(アホな流れだ)告白して撃沈。
勘違いか?いや、確かにその気配はあった、時機を逃した、速攻で反応するべきだった、と悔やんだ。
多分失恋でおかしくなっていたんだろう、そのせいかどうか分からないが友達にしばらくいじめられ、「よし、嫌な友達のいる部活を辞めて、やりたい事をやろう」とエレキギターを買った。
そういう経緯で音楽をやり始めたのであります。

何かに夢中になって忘れたかったのだね。
「銀河鉄道の夜」が好きな女の子だった。
その女の子は成人してから図書館で働いていて、頭のイカれてた時期に「おかげで音楽に目覚めて人生が変わった、ありがとう」とお礼を言いに行ったことがある。
音楽に夢中になって全てを忘れて、アホな中学生の自分を永久保存したのかもしれない。
そしてアホな部分の残ったままで、大人になった。
いや、わりかしそんな自分は好きだが。。

脳みそを休めようと思い休日に公園でぼんやりしたが、まだ色々と脳がざわついている。
働き過ぎはよくないね。。

桜が散ったら、ここからはまた、別の植物の楽しみがある。
桜の散った直後からくらいが好きなのよね。
日々、青々としてくるのを見るのが楽しみだ。
花とか芽とかね。
天気によって表情を変える。
梅雨が始まると亀が卵から羽化し、蚊が飛び始める。
その頃までは過ごしやすくいい季節。
そのかわり仕事が忙しい、笑。。
今は寒くもなく暑くもない。
しかし梅雨も夏も好き。
ええな、これから、と思う。
生き返る気がする。

暑くても寒くても、それなりに楽しめるのと似て、バンドやったりライブしてなくても、聴くほうの音楽の別の楽しみが生まれる。
歌の入って来かたが違うように思う。
色々なアーティストを聴いて、すげー才能だなと驚愕することが増えた。
自分でも音楽やってると、必要なものをどうしても選んで聴いて、何かしら分析も入ってたのかね?
無防備に全開に音に素の心で入っていってなかったのかな。
もう最近は、音楽に身を委ねて、素直にその才能にひれ伏している。
昔はプライドなんかがあったのかな、すでに消えてしまった、笑。
この世には才能があるれているのに気づいた。
素直にひれ伏すけど、ちょっぴり悔しさもあるんだろうな。
その悔しさも吹き飛ばす才能を聴くのは痛快でもある。
才能に刺激を受けて、ギターをさわるが、手が鈍ってる。。
動かん。
けども、いいよなと思う。

FMラジオでサンデーズポストという好きな番組があります。
映画「おくりびと」の脚本を書いた小山薫堂さんの番組である。
手紙をテーマにした番組で、毎回多彩なゲストが招かれる。
こないだ知ってる人がゲストで来ててビビった。
弾き語りでライブやってた時にご一緒した紙芝居をやってる方で、たしか雲州堂でのライブで会ったはず。
あれからずっと続けてたんだな、と感動した。
不意にライブでご一緒した方の名前や歌がいきなりラジオで流れてきてビビることがある。
ラジオ面白い。

そのサンデーズポストに、だいぶ前にデビューしたてくらいのyoasobiがゲストで来てて、視聴者からの手紙を元に歌を作るという企画をやってました。
小学生か中学生だかの女の子の書いた、“音楽”に宛てて書いた手紙が採用されたんだけども、その一連のやりとりを聴いてて、「なんて心の綺麗な人たちか!」とyoasobiに感銘を受けた。
それ以来、yoasobiは好きである。
技術的なうんぬんというより、その心の綺麗さが素晴らしい。
歌詞に出てる。
なかなかあんな風に心の中にのび太くん的なものを保ったままで第一線に行けないよな、と感心する。

という風に、仕事に疲れた中で「ツバメ」という歌を聴いてて思いました。
サラリーマンと職人の狭間でやさぐれた心のトゲトゲが消えた。

ツツジきれい。
フジは良い匂い。






春、になると、少し気分が良い気がします。
ブログ書いてると思う。
ちょっと気分が変わってきた。
しかし、書いても載せない事が多く、たぶん自分のために書いてるんだろうな、と思います。
文章書いてると心の安定になるんかな?

仕事帰りにスーパーで、あるものを見つけた。
明星鉄板焼きそば!
少し前に結構探し回って見つからなかったやつ。
子供の頃の思い出の味なのねー。
マジで、嬉しい。
仕事の疲れが吹き飛んだ。

さてさて、ななこが6年生になります。
少し反抗期らしいものもあるっぽいけど、それほどウザがられもせず仲良く暮らしている。
switchや漫画なんかの、共通の話題があるからいいかも。

ななこもなつも、ゼルダにハマっていて、すでに四神獣を解放して防具を強化している。
ゼルダを購入したのはぼくだが、神獣を一つ解放しただけで、防具もメチャ弱いのだ。
ななこが一度間違ってデータを消してしまい、かわいそうなのでゲームが進むまで待っていたら、その間にぼくがマイクラのハードコアモードにハマってしまった。
なので遅れている。
ハードコアモードは死んだら全て終わりなので、緊張感がハンない。
そこがいい。

どうもゲームに関して甘すぎるかも、とも思うが、自分自身が友達とファミコンで遊んだ思い出が良いもので、歳をとっても思い出すと幸せになるくらいなので、ついつい甘くなる。
それに実はゲームから学び人生に役に立ったというか、影響の大きなこともあって、まあ、いいのではと思ってしまう。
それは自分の世界を作ってゆく楽しさ。
それを誰かと共有できること。
結局ぼくの人生で、それが結構な大きなものだった。
ほぼ音楽の土台になっている。

漫画のほうはね、「ふつうの軽音部」という漫画に、ななこもぼくもハマってしまった。
ぼくが高校で軽音部だったし、次に来る漫画大賞を取ったようなので、なんとなく買った漫画。
とても青春感があっていい。
4月4日に6巻が出るのね。
楽しみ。

漫画の中では、実在するバンドの曲を演奏したり歌ったりしてる。
読んでて思ったが、日本のバンド系の音楽は昔より過去のバンドが多くなった分、層が厚くて、若い子は邦楽だけで充分に聴き甲斐があるだろうなと。
わざわざ洋楽の古いものを掘り起こさなくても楽しめそうだ。
漫画で出てきたバンドの曲をちょっとずつ聴いてみようと思う。

ああ、もう一度若くなりたい。
若い子の音楽はやっぱりカッコいいよと思う。
キラキラしている。
これから生きてゆく上での戸惑いとか、覚悟って美しいな。
ほんまに羨ましいな。。





暖かくなってきて、桜も咲き始めましたが、うちの地域の名産の、「いなだもも」の花が咲いてました。
今年初めて、いなだももの花を意識した。
知らんかった、綺麗。

それから、映画を観ました。
「ドラえもん のび太の絵世界物語」です。
前評判が良くて期待してたけど、確かに良かった。
ドラえもんは映画になると、家や町が少し魅力割り増しで描かれる。
丁寧に。
それが好き。
そして、映画のドラえもんではたいてい毎回涙が出る。
理由はわかっている。

もう40数年前、保育園の頃、ふじわらきょういちろうくんを相手に「ドラえもんって知ってる?テレビで始まったんよ」と話してた記憶がある。
その時、園庭にドラえもんの絵を描いて説明した記憶があります。
まだ覚えている。
ドラえもんものび太も、自分には幼馴染のような付き合いの長さである。
その分、のび太くんやドラえもんの心情は、心の奥底にすんなり入ってくる。
それで泣かされる訳。。

前回の映画は音楽、今回は絵がテーマである。
のび太のお父さんは画家を目指していた人である。
残業の翌日でゴロゴロしてるお父さん。
良い絵について語るお父さん。
今回はお父さんにも泣かされた。

なんとなく自分の中に、怠け者だけど優しいのび太くんが居座っている気がしないでもない。
子供の頃に繰り返し漫画を読んだから、相当な影響を受けていると思う。
自分の中に、のび太くんを持ち続けるために音楽を続けていたのかもしれない。
それでたまに映画のドラえもんを観ると、初心に戻されて泣いてしまう。

漫画を読み直すと、今でしか分からない親の気持ち、別離も描かれていて、今でこそ泣ける場面も多い。
やれやれ、よ。
歳とったなと思う。。

あいみょんの主題歌が良かった。
ラジオで聴いてたけど、主題歌として劇場で聴いた方が良さがよく分かった。
ドラえもん愛があった気がする。




また実家に帰ってきました。
片付けです。
とりあえず墓掃除をして、家のどこに何があるかの確認して、あと4回くらい行ったらスッキリするかな、というのが見えてきました。
ま、朽ちるのはある程度仕方ないし、無理をして体を壊したりしたら、あかんなと思いました。
大阪は大阪で、家の環境を整えたいし。
子供でかくなってきたしね。

実は行く前は結構気持ちが沈んでました。
墓掃除が良かったかもね。
先祖と向き合って、一人じゃないねえ、と思えた。

実家の前の川辺にね、鹿がいまして、動かないの。
弱ってるっぽくて。
おばさんに伝えたら、やはり日々鹿の被害に悩まされてるから、田舎ではかなりの害獣扱いなのね。
二軒隣の猟友会に入ってるお兄さんがちょうど通りかかったので、駆除してもらう流れになりました。
すぐ隣でライフルの銃声を聞きました。
銃声でかかった。
弾は鹿の眉間に命中して、エグいことに。。
頭が仰け反り、目玉は飛び出し、肉片は飛び散る。
ぼくも軽トラックに乗せるのを手伝いました。
初体験で、ショック大でした。
スーパーのお肉などは、大切に頂かねばならないね、と思うし、なかなか生きるのは残酷ね、とも思った。

家を片付けてたら、懐かしの写真や手紙。
忘れてたこと多々。
生かされてるから、元気に明るく行こう、と思えました。

ぼくの昔貰った戒名を見てきました。
釋 善證 ですと。
意味がはっきり分からないな。
爺ちゃんは智導、母ちゃんは慈優です。
父ちゃんはすごく長かった、覚えられないくらい。

大事なカセットテープ。
好きだったので、後に全てCDでそろえました。



気分転換が欲しくて、映画を観に行きました。
映画館に行く途中、一人で映画を観るなんていつぶりだろうと考えていました。
たまのドキュメンタリー映画を観に行ったのを覚えているから、15年ぶりくらいかもしれない。

観に行ったのは、ボブディランの伝記映画の「complete unknown」というやつです。
なぜか無性に観たくなり、「わし、そんなにディラン好きだっけな?」とも思ったり。
しかし家にあるこの映画関係のDVDと本を出してみたら、結構な数ありました。



色々考えてて、ボブディランは自分にとってご先祖様のようなものだと考えてみたら納得しました。
子供の頃に聴いてたエイティーズの音楽を母親に例えるとしたら、ビートルズとかサイモン&ガーファンクルとかの、その頃に後追いで聴いてたのが祖父。
その辺りが直接の好みのルーツ。
それからハマったハードロックとかは憧れの先輩。
90年代のギターバンドは友達。
早逝したミュージシャン、Tレックスやトミーボーリン、ニックドレイク、ジミヘンなんかは父親として例えれば自分にとってのそれらの音楽が占めるポジションがわかりやすい。
(個人的な分類です)
先輩への憧れはそのうち卒業して、友達と肉親が残り、歳をとるにつれご先祖様が気になってきた、みたいな。
そして今回の映画に出ているディラン、ウディガスリー、ピートシーガーなんかはご先祖様な訳である。
そしてぼくは墓参りなどが好きで、ご先祖様を大事にするたちである。


前置きが長くなった。
映画はニューポートフォークフェスティバルを結構な割合で描いていました。
自分は実はディランより先にピートシーガーとかミシシッピジョンハートが目当てでニューポートのDVDを買ったり、ピートシーガーのTV番組のDVDを買ったりしてたので、前半のその辺りの描写が凄く面白かった。
こんな時代だったのか、と分かるのは映画ならではものかもね。

実は理由もよくわからないけど、凄く涙が出ました。
前半部分で。
何が良かったのかよく分からない。

ピートシーガーとか、ジョーンバエズとかマネージャーのアルバートグロスマンとかは凄く本人に似てた。
多分ぼくの持ってたDVDの映像を元に作ってるな、と思った。
後半は、上手く再現してるなー、とか、そこ違うよなとか、詰め込みすぎだな、とかそんな見方になり、その辺りは想像通りでした。

ここからはボブディランの持論。

ボブディランはある種の格好良さに人が集まるという例になり、それ元にロックが商業的にどんどん力を持つようになったけど、当の本人はまた別の事をやり出して、去ってしまったという感じ。
それは早逝する道だとわかってたんだろう。
天才とは物事の本質を若くとも嗅ぎ分けれる人のことである。
ほんとその後に早逝するミュージシャンは多く、それは命がけでやっていて、その命がけの格好良さが人を惹きつけるのあり、そして金を産むのだけど、歳をとるとその命がけのものではなく、持続可能な生きる道を求めるようになる。
やる方も聴く方も。

ぼくもそんな持続可能を求めて30代でピートシーガーなんか聴いてたのだけど、そんなロック的な格好良さと持続可能のせめぎ合いの時期を思い出す映画でありました。

なんかつい語ってしまう。
歳のせいでしょうかね。。
だんだん主観だけで音楽を聴くし、生きるし、客観性が必要無くなってる気がします。


他にも気分転換を求めてたら、「普通の軽音部」という漫画を見つけました。
こちらはとても面白くて、学生の頃を思い出す事ができました。
ななこも気に入って読んでいました。

呑み続けている薬かあります。
尿酸値を下げる薬です。
先日、病院に薬を貰いに行くと、医院長が体調不良の為しばらく休診との張り紙がありました。
医者の不養生、という言葉が脳裏をよぎりました。。
そんなことあるのね、って感じです。

どうも尿酸値が高いのは、遺伝的なものもあるようだし、アルコールも良くないらしい。
NHKの番組で見たのですが、尿酸値を下げるには牛乳が良いらしく、最近飲むようにしています。
しばらく牛乳で尿酸値を上げないように、しのがねばなりません。


なつが、友達がやってるからフォートナイトをやりたいというので、ゲームをダウンロードしました。
ちなみにフォートナイトは無料です。
子供はゲームばかりしています。
ぼくもです。

やはりマインクラフトが面白いです。
自分の進めているワールドに人を招くことができるのが良いです。
この武器使っていいよ、とか、あの資材を集めてきてよ、とかできるのであります。

ゼルダの伝説は、ななこのデータが誤って消えてしまい、可哀想なことになりました。
あんまりぼくばかり先に進むのもアレなので、少しななこの進展を待っています。

なつはお年玉などの臨時収入があると、マインクラフトの課金をしています。
恐竜やモンスターや強い武器などの出るアドオン課金を好んでいます。
戦いが好きなようです。

マイクラ繋がりで友達ができたようで、時々家に招いて一緒にマインクラフトをやっています。
そして今度はオンラインで友達と繋がり、一緒にフォートナイトをやったりもしています。

なつの友達に「はるくん」って子がいたのですが、クラスの子と合わないらしく、転校することになったようです。
人なつこい子だったし、ウチにも遊びに来てたので残念です。
子供は子供で大変なようです。


R.E.M.の「グリーン」を聴き返しました。
中学の時に、NHKでチェッカーズのリーダーが音楽番組をやっていて、そこで紹介されてた曲を聴いて買ったアルバムです。
聴き返せば、メンバーそれぞれが凄く、曲が個性的で変わっているのにキャッチー。
ほんとに音楽的な魅力だけでのし上がったバンドという気がします。

大学に入った時、そういうR.E.M.的な要素のあるバンドをやりたくて、でも再現が難しいと思いました、サウンド的に。
大抵ギターを複数重ねて録音してるのね。
そこでその頃見つけたバンド、THE LEMONHEADS。
こちらは自分たちでも手の届きそうなサウンドでした。
「IT'S A SHAME ABOUT RAY」というアルバムで出会ったバンドですが、メンバーが固定せず、一流にはなり損ねたという印象があります。
しかし、2000年代に入ってインディから出したセルフタイトルアルバムが良く、とても感動的でした。
多分唯一無二の存在ではないけれど、ぼくはそのアルバムは好きでたまりません。

自分でもやってたのでトリオのバンドが好きです。
ジミヘンのセカンドを聴き返しました。
思ったよりスカスカの音。
ギター一本、ドラム、ベースだけで成り立ってる音はぼくの好み。
それで成り立っているのは、ベースとドラムも上手いのだと気がついた。
それでジミヘン、歌いながらギターも歌わせている、脳みそどうなっとるんかな?


そして昨日ギターを弾いてたら、ななこに奪われました。
背が伸びて、なかなかエレキギターが似合うようになってきたな、と写真に収めました。
カッコいいじゃん、と。


久しぶりに友人のジャンボンさんと会いました。
一緒に三銃士というグループをやってた、すみさんのお店でのお食事です。
楽しかったです、あざっす!

色々コンプライアンスでネットには載せれないような話もして、音楽の話なんかもしました。
ギターのエフェクターの話題とか、音楽の趣向が結構違うよな、とか。
なんでしょね、結構違うのですが、音楽好きという共通点あるので、刺激になるのです。
例えば、ぼくはエフェクターならビッグマフの古いのとか憧れるのですが、ジャンボンさんは使わなそうな、みたいな。

ジャンボンさんが、ストーンズとディランがイマイチ良さが分からないと言ってまして、そうだよなと思いました。
どちらもそのイメージがデカすぎて、当人たちの世に出てきた時に与えたインパクトの核心部が、摸倣やパロディでボヤけて薄れてしまっている。
ただ、カッコいいとか、バカだよなとか、なんか知らんが気持ち良いなとかの肉体性が、伝説や本人らの長い活動の試行錯誤の作品や、本質でないのに受けてしまって部分とかで薄れてボヤけてしまっている。
そんな風に思います。
というように、ぼくはヘンコなので、なかなかめんどくさいリスナーであります。
ジャンボンさんもそうなのかなと思います(良い意味で)。

ストーンズとディランも映像で観るのが良いのかもかしれない。
ぼくも3、40代になって映像でストーンズとディランはやっとハマりました。

ボブディランは、ミシシッピ・ジョン・ハートとピート・シーガー目当てで買ったDVD、「ニューポート・フォークフェスティバル」の映像で、ボブ・ディランってカッコいい人だったんだと、やっと知りました。
「ウィ・アー・ザ・ワールド」とかの心を閉じたようなイメージが強かった。
その後観た「ドント・ルック・バック」と「ノーディレクション・ホーム」が良かったです。
今でもボブ・ディランはその二つの映像作品を字幕付きで観るのが、アルバム聴くよりいいんではないか、と思っています。

ローリング・ストーンズはこの辺り、80年前後の頃が好き。
ミック・ジャガーのバカ顔がたまらない。
なかなか人前で己れを開いてこんなバカ顔はできない、と思っています。
miss you

曲単独では「respectable」。
そういう曲調が好き。

   
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