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Minecraftのボスのようなヤツ三種類を倒した。
いずれも、なつをお供に連れて行き、ほとんどなつが戦って倒した。
そして手に入れたお宝で何やかんや作った。
スイッチは良く出来ていて、子供と一緒に冒険できるのでありがたい。
これだけハマったのも、子供たちとやりとりできるからだろうと思う。

ひと段落して、サンプラーとMTRをいじっている。
部屋の整理は進まないので、機材でとっ散らかっている。
楽しいので片付けを後回しにしてしまうのだ。

以前はアコギやエレキギターを休日にいじっていたが、どうも週にまとめて2、3時間しか音楽に使えないので限界を感じていた。
集合住宅なので音を出せないというのもある。
これはもうデジタルなヘッドホンミュージックしかないと考えた。
早朝や深夜でも気兼ねなく音楽ができる。
そしてやっぱり何か出来上がると嬉しい。
だけど、身体を使わないから運動不足になってしまう。

とりあえず試しにあれこれやってみて、少しずつ向上していければと思うのだけど、ぼくのことなので半年くらいで飽きるかもしれない。

サンプラーで作ったやつのページ


休日。
何日か前に、ビー玉、ハサミ、ジッポーライターの音をサンプリングして作っていた基本パターンにメロディと編集を加えて、曲っぽくなった。
早々に仕上げた事にして、手離すことにした。
あまり手を加えないほうが、軽い質感になる気がした。

その後、藤子不二雄のTPボン3巻を買いに出かけた。
五年生くらいにはちょうどいい漫画のような気がする。

オアシスが再結成するらしい。
と聞いたが、わたくしオアシスをほとんど聴いていなかった。
ストーンローゼスとザ・ラーズを先に聴いてたから、(オアシスに影響与えたらしい)インパクトを感じなかったのかもしれない。
惜しいことをした。

同じく有名であるニルヴァーナもあまり聴いていない。
当時のメタル雑誌でアルバムのレビューを見てたから、ミクスチャー系のメタルバンドと思って最初に聴いたので、そういう先入観で終わってしまったようだ。
これも惜しいことをした。

世代的なものもあるのかもしれない。
ぼく的には1992年と1993年に出たアルバムは思い入れが強い。
その一つはレディオヘッドだった。
93年にファーストアルバムが発売されて「クリープ」のギターがガッと来るやつが流行った。
あれはピクシーズの影響らしいと最近知った。
ニルヴァーナの「スメルズライク〜」もそのピクシーズの影響でできたらしい。
ガッと来るやつは、90年代に日本でも流行り、くるりや椎名林檎もやっていた。
ぼくもバンドでガッと来るやつをやってた。
ガッと来るやつは、シンプルで独特の陶酔ができる。

ブーラドリーズの「giant steps」は93年。
その中の「leaves and sand」も、ガッと来るやつ系の曲。
しかし、感情で盛り上がる感じではなく、もっと美しい感じだ。
続く「butterfly mcqueen」も静と動の対比が美しい。
スマッシングパンプキンズなんかに近いのかもしれない。
そういえばスマパンの「today」も、ガッと来るやつだった。

どうでもいいことをつらつらと書いているが、その当時の音楽の雰囲気や新しいことが始まる感をよく覚えている。
その新しいことが始まる感はオアシスとブラーのブリッドポップ興亡あたりで消えてしまった。
ジャンル名ができて、型にはまってしまったような気がしないでもない。
しかし、当時の英米のシーンの持ってた、歪んだギターで新しいことが始まる感を懐かしく思い出す。
シューゲイザーなんて言葉はなく、もっと混沌としていた気がする。

そのガッと来るやつの源流は、U2の「with or without you」とか、ポリスの「見つめていたい」などの、シンプルな構成でジワジワ来るやつ、にあるような気もする。
そしてもっと前の、ビートルズの「ディア・プルーデンス」なんかもそうなのかもしれないなと思う。
そのあたりの手法をピクシーズなんかが無邪気に自分らのやり方でやったのが、汎用性が高くて広まったのかもしれない。
ジワジワ来させるにはテクニックがいるから、ガッと来るやつで広まったのかもしれない。
ま、知らんけど。。

400時間以上マイクラをやっていた。
さすがに飽きてきた、というかする事がなくなった、というか、興味あるする事がなくなったと言うべきか。
別に何でもいいか、、とりあえずゲームを離れて日常に戻れればそれでいいのだけれども。。

20代の頃になけなしの金で買った音楽機材、MTRやサンプラー、キーボードの音源を引っ張り出してきた。
すごいものでまだ使える。
海外製のビデオデッキやCD、DVDデッキよりしっかり作ってあるようだ。
FOSTEX、ヤマハ、アカイ、良い仕事している。
おそらく中のパーツに変なものを使っていないんだろう。

これを上手く部屋に配置して使いたい。
マイクラのなかで家の中の物の配置や収納をひたすらやっていたので、現実世界でもそれを活かしたいのだ。
ゲームの中の家の方が素敵になり過ぎてしまった。
いかん。
ゲームにはまっているような感覚で、これらの機材で遊びたい。
その為には使いやすく配置せねば、、
配置は重要、これは仕事から得た知恵だ。。


とりあえず断捨離して場所を作る。
本がたくさんあるが、もうそんなに読まないので(老眼で読むのが辛い)、減らすことにした。
村上春樹はほんまに思い出のあるのは3、4冊くらい、あとは読みたくなったら図書館で借りたらいい。
田口ランディは絶版になったのが多いので売らない。
詩集の類いも売らない。
ドストエフスキーとかヘッセとか思い出のあるのも手放せない。
漫画は別にいいかなと思う。
友達からプレゼントしてもらったりとか、思い出のあるのもやっぱり手放せない。
じいちゃんが面白いからと貸してくれた「冬のソナタ」のか三島由紀夫についての本だとかも、読まないけど売りたくない。

そう思うと、ほとんど読むからとかではなくて、思い出だから手放せないんだな。
そして2、30年前の思い出の本は、紙が古くなっていたりする。
いっそ新しく買い揃えてもいいかもしれない。

しかし本を整理してて思い出したのは、子供の頃に本や漫画で色んな夢を見たこと。
まだ知らないこの世界についての夢。
本という物自体より、その見た夢の方が大事である。


そして、今まで書きためた歌詞のノートや、コードやアイデアのメモ、ライブの記録や思い出の品を捨てた。
これを捨てれたのは本当に素晴らしいこと。
十代から今まで、それらに価値があると思い、ため続けていた。
自分を信じていた証でもあるが、今となれば過去に囚われている証でもある。
ある意味呪縛である。
これを捨てたことで、まっさらになれる気がする。
歌詞を清書したのは残してるけどね。

さて、これからどうなることやらね。。
何か変わるかいな。




1カ月くらいブログ書いてなかったのね。
以前ブログをアップしてた早朝に、マインクラフトをする習慣ができた為なのである。。
しょぼいね。
ただ、子供らと共通の遊びができて嬉しい事は確か。
それにしても、ニンテンドースイッチのアカウントやデータ保存、その他設定のややこしさはかなりのもので、世の親は皆これをこなせているのであろうかと、心配し、そして不思議になる。


お盆に田舎へ帰省してきた。
地震や台風でどうなることかと思ったけど、無事電車も遅れることなく行き来できた。
親戚や幼馴染、近所のおじさんと会うことができ、大きくなったな、年取ったな、と。。
子供らもとてものびのびしていた。

毎朝いつも通りに目が覚めるので外はまだ暗く、やる事もなく一人居間で持ってきたスイッチでマイクラを30分くらいやっていた。
外が明るくなると、なつが起きれば一緒に、起きなければ一人で近所をぶらついた。
昼は暑いので、朝の時間が一番良い。
クワガタ虫を探したが、蜂とカナブンばかり。
朝の山は気持ちよかった。
鹿も鳴いていた。

田舎に帰ると、自分の先祖がこういう暮らしをしてこういう性質を受け継いで、巡り合わせの結果、自分がこういう人生になったと分かる。
年取ったぶん余計にそれが分かり、諦めと感謝を感じる。
それなりに幸せを感じて暮らしていられるのは、肉親が徳を積んできたからだろう。
立派な人たちだと思う。
ぼくも子供らにまわるくらいの徳を積まねばと思うが、やはり至らない。
歳を重ねても人としてのスケールは変わらないものなのかもしれない。
それが先に書いた諦めである。

夏休みの最後の日、寝る直前まで宿題をしてた二人。。
漫画のようだった。











家のの収納を増やす為に、服や本を売った。
リーバイスの501xxというやつが4000円で売れて驚き。
多分買った時は2000円くらいだったはず。
それから山岸涼子の「日出処の天子」という漫画が比較的高値で売れた。
売れたお金でスイッチのコントローラーのカバーと司馬遼太郎の「竜馬がゆく」の漫画化されたやつの五巻を買った。
「竜馬がゆく」は少しずつ揃えている。

イーグルスの「呪われた夜」を聴いていた。
よくできてるなぁと思った。
中学の頃はなんだか良いな、くらいにしか思わなかったけど、楽器やコーラスを追いながら聴くと、手間をかけて練られてるのが分かる。
中学の時に新古品で五百円で手に入れたのを覚えてる。
噂のイーグルスや!と思った(実際は関西風ではなく、イーグルスじゃ!か、、)。
A面の1、2、4曲目はジャケのイメージ通り(動物の頭蓋骨を装飾したもの)ドロドロした暗い印象の曲。
3曲めは爽やか。
B面も爽やか。
A面4曲目はバンジョーメインのインストの曲で好きだった。
のちにバンジョーを買ったのはこの曲の影響も少しはあるのかもしれない。
バンジョーの音が好きだった。
このアルバムを聴いてると当時も思い出すし、普通に良い音としても聴ける。
そんで、染みるなーと。。
たぶん今ぼくは空っぽなんだな。
空っぽの所に音楽がよく入ってくる。
中高生の頃の感じと似ている。
特に目標もなく日々生きている感じで。
それはそれで良いんじゃねーかなと思う。


とか書いてたら熱が出た。
ここのとこゲームで寝不足だったから(ゲームでかいな、、)体が弱ってたようだ。
たくさん寝たら治った。
やはり睡眠は大事だなあ。
熱が出て体から悪いものが抜けた気がする。


近頃はゲームばかりしてて、ブログに気が回りませんでした。
そういう風なので、メモしてたマイクラのゲーム日誌でもあげときます。
面白くはないでしょうね。。



6月17日

明日の予定

たいまつを置いて回る 家の周り 雪国の村
雪の村に畑を作る 小麦植える
屋根を階段で作る
ベッドたくさん作り洞窟調査
たいまつ作る

馬街道 中継馬小屋基地
左回りで西側の地図
街道を通り物資を運ぶ
馬小屋基地に地図部屋作る
ひまわり畑と西側の地図を繋げる


6月18日

馬小屋基地に戻り 必要なものを持って帰った
そして雪の村でオオカミを繁殖させた
鉄の発掘作業中に廃坑見つけた←洞窟から繋がっているはず
廃坑のチェストにダイヤあった
溶岩作業所作るも 溶岩使いづらい

明日の予定

雪の村で作物を育てる
羊飼う

廃坑探索
調査しつくした道には柵をして封鎖
危なそうな道も土でいったん封鎖
たくさんベッドを作っておき、まめにリスポーン地点を作っておく
出口の座標をメモしとく
防具の用意
オオカミ連れてく


6月19日

廃坑探索は なつが手伝ってくれた
羊を飼う用意できた
畑も作り小麦を植えた
そして一番最初の拠点まで 馬にて移動
途中林の木がじゃまだが まあ行けないことはない
最初の拠点懐かしい
以前作った運河脇の小屋が役立った
その運河脇の小屋に 馬用の柵を取り付けた
最初の拠点から 足が速くジャンプ力のある馬を 馬小屋基地に連れ帰る
そして馬の子供産まれる
親譲りの良馬である
雷が怖いので馬小屋基地に避雷針を取り付けた

明日の予定

北の陸地にて馬探しと馬ルートの開拓
建設中の楽園に立ち寄る

6月20日

北の陸地いまいち 馬移動しづらい 湿地帯のせい
ひまわり平原の近くに花の平原あり
楽園の事忘れてた
馬小屋基地にて 洞窟のありそうな山に向けて地下での掘削作業
予想どおり溶岩だまりに突き当たり ダイヤモンドも発掘
溶岩を燃料にする 溶鉱炉設置

なつもんの追加ダウンロードコンテンツ発売の知らせが入る
すぐさま購入
しかしマイクラにハマり過ぎていつやろう問題が発生した

6月21日

眠くてゲームやる時間確保出来ず
前日にゲームやり過ぎた
しかし、このサボってしまった感は何?

明日の予定

溶岩だまりの上のあたりにたいまつを設置して明るくする
鉄の出たあたりもう少し掘る
馬の性能比べ
良馬に名札作る
西側の地図を広げる
徒歩で行く


6月22日

良馬選抜大会開催
足の速さとジャンプ力 総合的な審査の結果 最初の拠点から連れてきた黒馬が優勝
黒馬に皮の馬鎧と名前を与える
名前「初代はやうまちゃん」←ダサい
西側の地図を広げにかかるも湿地帯、林、松林ばかりで村の気配なし
資源は豊富そう

明日の予定

探査から馬小屋基地に戻り鉄の発掘と洞窟の上部分にたいまつ設置


6月23日

西側の地図を作っていると 深い雪の平原にたどり着く
雪に埋もれ何度か死んだ
しかしその先に桜の森を見つけた
そして谷川を挟んだ先に村を発見
これまで見てきた中でも指折りの絶景
その地に質素な家を建てることにした
農家の暮らす平和な村だ

明日の予定

一度拠点に戻り家を建てたり畑を作るのに必要な物を持って行く
地図に目印をつける サトウキビいる
良馬を探す
コップ、ハシゴ、扉、階段、柵、たいまつ、鉄、種、などが必要
旅の友となった馬に名前をつける 「とびうまちゃん二世」←またもやダサい


6月24日

とびうまちゃん二世 名付ける前に粉雪に埋もれ死亡
大きなショック
初代はやうまちゃんと、とびうまちゃんの子供産まれる
初代はやうまちゃんと、とびうまちゃんは種馬として残しておこくこととした
その子供に皮の馬鎧を付けて再度雪山を走行
またも埋もれるが皮の馬鎧のおかげで凍傷になることなく生き延びる
粉雪の恐ろしさを思い知る
桜の見える村に家と農地を作った
その地で馬を探すも、とびうまちゃんたちの優秀さを思い知る

明日の予定

村周辺を探索
安全な雪山ルートの確保
鉄の採掘


6月25日

雪山の走行ルートを整備した
作業の途中 子連れのシロクマに襲われる
桜の見える村の周辺を探査した
松林に村を見つける
住民が多い
新たに足速く跳躍力のある黒馬を発見


明日の予定
桜の村近辺の洞窟探査
たいまつとベッドを用意する
黒馬と共に馬小屋基地まで移動する
初代はやうまちゃんと速さ比べをする




と、こんな感じでMinecraftにはまっており、ブログが滞っていました。。
また、ブログ書きます。
運河つくる→水流ができる、運河の脇に遊歩道をつくる
村人の技術習得→必要な物資の供給法
馬の飼育→鞍なし、釣り?
北側探索

収穫、屠殺→釣り→遊歩道、の流れで暮らしてみる
土をたくさん持ってく

行方不明の馬探し

やること多し
砂利もいる


これはゲームの為にメモしていたものである。

子供たちのやってたゲームMinecraft(通称マイクラ)をためしにやったら、見事にハマっておりました。
なんとなくハマるのではないかと予想はしていたのだが。
ぼくは現実から離れるのが好きなのだろうと思う。
音楽もそう、本もそう、映画もそう。
しかしこのゲームはなかなかの沼。。
マイクラは何年も遊べる。
そして際限なく夢中になってしまう、これはぼくの長所であり欠点だ。
生産性があれば長所になり、なければ短所になる。
が、しかし、幸せは生産性を考えないことの中にあると思う。
生産性という概念が幸せというものと相容れないようだ。
無駄を取り除くと、幸せの実感も減る。

海沿いの崖の上にガラス張りの簡易的な家を作ったら、夜景が素敵過ぎた。
夜が怖いぶん、安心できる家を作ると達成感がある。
そして怖いからこそ夜が綺麗。
ゲーム自体が、綺麗な要素を多く持っている。
どうりで人気がある訳はずだ。
やってみてよく分かった。

狩猟、開墾、定住、農作、畜産、略奪、炭鉱業、そんな人間の歴史を体験できる。
子供なら、なかなか勉強になると思う。

運河を作ろうとしていたら、ゾンビが現れて死んでしまった。
次の日、仕事しながら前日のマイクラを思い出してたら、そういやぼくの父親は建築の仕事をしていて、仕事中に井戸で亡くなったんだった、と思った。
ゲームで父親の仕事を疑似体験できている。
じいちゃんの仕事、農業と畜産もだ。
先祖の仕事をゲームで体験できていたわけだ。
それから、山を切り開いて、土地をならし、家や畑をこしらえる。
全部先祖がやっていたこと。
何か魂の部分がマイクラに反応してる気がする。

そしてここのところ、ゲームの中の家を整えている。
行方不明になった馬は見つかった。
おー、お前生きてたんか!って感じ。
家の柵を拡張して馬を飼うことにした。
馬の近くに桜の木も植えた。
他に牛とオオカミも飼っている。
別荘ではウサギ小屋を作り飼っている。
農作物も何種か育てている。
不思議なもので、子供の頃の実家に似てきた気がする。
箱庭療法ってやつかもしれない。


続き


北の地図を作りに行き、そこでサバイバル生活
村があれば移住
ウサギ探し
地図完成させる
無職を移住させて子孫で村を作る


あいかわらずマインクラフトである。
村に定住して、動物を飼い田畑を耕していた。
だんだんと家の周りが美しい風景になってきた。
村人とエメラルドというマイクラ内での通貨を介して取り引きをしている。
取り引きを繰り返すと村人は職人として成長して、より良いものを作れるようになる。
革細工師の作る馬の鞍が欲しくて、その為に必要なウサギの皮を得る目的でウサギを飼い始めた。
雪が降ると雪面が持ち上がりウサギが脱走したり、猫が侵入して食べられたりする。
なかなかのにリアルなのである。
その結果、狭い環境でウサギを交配させ、餌でおびき寄せて撲殺するということを繰り返すようになった。
だんだんとウンザリしてきた。
人間の文明の繰り返しである。
便利さの為に無駄に動物を殺め、食べもしない食物を作り金品に変える。
なんと皮肉なゲームなのであろうか。

そこで必要最低限の物を持ち、定住をやめサバイバルしながら世界をさまよう事にした。
だんだんとゲームの本筋のクリアというものから遠ざかってゆく。
しかしそれも許されるところが良い。
人間の文明というものが学べるゲームであるように思う。


そして地図だけを持ち、再度サバイバル生活に戻った。
未知の土地で野宿を繰り返し放浪する。
すぐに物が溜まってくる。
後で必要かもしれないと思うと、物が多くなる。
持たない事の身軽さを味わいたい。
しかしあちこちで宝を手に入れてしまう。
金の何とか、様々な強化アイテム。
所有と力へと向かうゲームだ。
しかしあえて物を持たず綺麗な土地を探して周る。
広いのである。

とある砂漠の村の見える砂の丘の上に家を作った。砂とガラスで作った簡易的な家。
夜は恐ろしいが、窓からは砂漠にいるウサギが見える。
反対側には夜の村の暮らしが見える。
そしてゾンビや恐ろしい生き物たち。
やはり美しい光景。。

そういう綺麗な風景を探して放浪しながら家を建てている。
地下世界は暗いので苦手。
戦いたくない。

馬に乗り平原を走りまわった。
綺麗な風景を求めて世界を放浪する。
しかし放浪するほど、最初の村の風景の美しさに気がつく。
やはり皮肉なゲームだ。
どうやら自分の人生への態度が反映されるようだ。

そして現実の事をおろそかにし、心は架空の別世界に生きている。
しかし子供らとゲームの会話が通じるようになった。
ややこしい単語がぼくと子供らの間で飛び交う。
りえちゃんはチンプンカンプンだろう。

3Dのオープンワールドのゲームは、現実の体験のようだ。
子供たちは小さい頃からそれが当たり前で過ごしている。
凄い世界になったもんだ。
まるで映画のマトリックスのようだ。
が、しかし、サラリーマンのルーティンをこなしながら、別世界で毎日異世界を放浪するのも悪くないと思うようになった。

ラジオで興味深い事を言ってた。
神経ノスタルジア、
10代の頃に聴いた音楽が、良いらしい。
若い頃に聴いたものが、脳に特別な結びつきを起こすらしい。
そして心理的に良い作用があるとの事。

そういう事だったのね、と納得。
消耗してたからここの所、そういう音楽を求めてたのね。
や、うすうすはそうではないかなと思っていたが。

先月の残業が110時間だった。
実際は125時間くらいいってると思う。
およそ月300時間働いた事になる。
ほぼアイロンかけ続け。
休憩、日に30分。

ふと我に帰ると、三月に比べて脳が働きが悪くなっているのを感じる。
これからひと月ふた月かけて元に戻るだろうか。
ある種のノイローゼである。
昔、月200時間働いて、休みはライブ、合間に準備練習という生活をしていたら鬱になった。
超人でもない限り、もっと休息を上手く取らねばならないようだ。
ノイローゼの向こう側を見るという手もあるのかもしれないが、それはもう無しだな。
睡眠2、3時間だと向こう側に行くらしい。
経験的にだけど。
昔の時は、やりたい事をやろうと思って20代を思い出してエレキギターを買って多重録音してみた。
そして、擬似的な音や加工は本物に敵わないと悟った。
それも神経ノスタルジアだったのかな?

ダイナソーJrの素晴らしい音源を発見した。
たぶんオーバーダブなし。
全部の楽器パートがのびのびしてる。

The Lung

わし、全然のびのびできてない、おそらく、ボーッとする時間か、ほんとに好きな事するが必要ね。

働きづめのせいかしら、脳が昔のことを回想するように働きます。
1992年、18歳の頃を思い出していた。
若かったな、わしと思って、。



90年代的な音楽はまだ聴いておらず、ハードロックなんかも聴いていた。
ツェッペリン、ブラックサバス、アイアンメイデン、とか。
同時代のハードロックのバンドでは、キングスX、イナフズナフなどのビートルズテイストのあるバンドが好きだった。
キングスXの「It's Love」「Legal Kill」、イナフズナフの「Goodbye」「Time To Let You Go」なんて今でも聴ける良曲だと思う。

それまでの昭和で中高生だった80年代は、ほぼ洋楽を聴いていた。
当時、洋楽ブーム。
ぼくにとっては、前にも書いたFMステーションが影響の源だった。
CDが普及し始めて、60、70年代のアルバムがCD化され、その宣伝の為に特集が組まれていた。
そして満遍なく色んな年代、ジャンルを聴き漁った。
そんなぼくと同じ聴き方をしてきた人が90年代にデビューし始めて、日本では渋谷系、海外ではオルタナティブなどと呼ばれるようになった。
多様な音楽から同列に影響を受けた世代。
どうやらそういう流れだったらしい。

ぼく自身は渋谷系でもオルタナティブでもないと思っていたが、だんだん自然にそういう風な音楽をやるようになっていった。
特にT.REXの「タンクス」、R.E.M.の「グリーン」が好きで、そんなのが好きな人とバンドやれたらなー、くらいに思っていた。
軽音サークルに入って、先輩にもそう言っていた。

当時、夜中に暇を持て余し、近くのレンタルショップに行き、レンタル落ちで処分品になっているCDを漁った。
その時にイギリスのザ・スミスとアイルランドのパワーオブドリームというバンドに出会った。
それを最近、懐かしいので聴き直していた。
特にパワーオブドリームスの1stは当時、歌詞の訳を読みながら聴いていたので、懐かしく染みる。
デビューが早く若かったので、同年代のバンドって感じがリアルで良かった。
歌詞も共感できた。


ある日、たまたまラジオでレモンヘッズの「ミセスロビンソン」が流れた。
天啓のようだった。
軽音サークルでバンドを組めたので歌い始めた。
レモンヘッズ、ダイナソーJr、ライド、ブーラドリーズ、ラーズ、その辺りのバンドに影響を受けてたと思う。
でもトリオだったので、ライド、ブーラドリーズ、ラーズみたいな音はできなかった。
やっぱギター二本いるね。。
レモンヘッズの2006年のアルバムで、ダイナソーJrのJマスシスがギターで参加してる曲があった。
個人的にとても感慨深かった。
今でもトリオのバンドを観ると親しみが湧く。

と、こんな風に書いてると、わし音楽好きなんね、と思う。

休日にベストヒットUSAでイーグルスがライブで「Take It To The Limit」を歌ってるのを観た。
限界まで行ってみよう、って歌詞だったのね。
外に出ると晴れてて気持ちの良い季節になっていた。



働きづめで多少、脳が働きが悪い。
通勤、仕事、食事、風呂、睡眠だけを3週間繰りあ返すのとそうなるのか。。
職場の先輩が「今月、このペースだと残業100時間いくな」と言っていた。
そこで気づいた、これはいかん、無理したらいかん。
幸いパワハラなどないので、心理的ストレスはないが、一日中衣服と向き合ってばかりだとメンタルがやばい。
日本人、真面目に働きすぎる。
集団になると休息の必要性が分からなくなるようだ。
アホなのか?
工場みんな大変だから、という義理のために働いているようなもの。
いかんな、自分のペースをまもらねばね。。

やりたいことは、思い浮かばないなぁ。。

元気を出すために音楽を聴いていたけど、1993年までだな、グッとくるのは。
どういう仕組みなんだろ?
音楽シーンが停滞した訳ではないだろうに。
自分の感受性の問題なんだろか。
19歳までに聴いた音楽ばっかりだ。
その頃から製作も聴く方もデジタルに移行してるはずだ。
デジタル化が音楽から何か奪ったのだろうか?
いや、10代の感受性が豊かなのだ。
そういうことにしておこう、その方が希望がある。
年齢で衰えるとしても、音楽という生命力の表出が退化するわけはない。

暑くなってきたのでTシャツで働いている。
ダイナソーJr.のTシャツ。
そういやクニツくんもダイナソーのTシャツを着てた。

そういうタイプの音楽が流れてきたのは、90年代初頭、ぼくの青春時代である。
大学に入ってからぼくの青春は始まった。
なぜだろうか?

大学に入ってやっと、勉強や進学という義務から解放されて自由になった。
しかし自由さを持て余したぼくは、たぶん鬱になっていた。
世間知らずだったのだ。
それまで父親の生命保険を貰って田舎で暮らしていたから。
社会に出るということや恋愛や人生が、何がなんだか分からなかったのだろう。
それが一年生の後期になった頃に、躁状態に転じた。
その時に沢山の出会いがあって、ぼくは居場所ができた気がした。
その頃に聴いていた音楽、そういう音楽が沁みるのは当然である。
そして1992年の音楽的な時代の空気感はなかなかに面白かったはずだ。
世間知らずなぼくは、ギターの歪みに包まれるのはたいそう心地よかったのだと思う。
社会に向き合うのを避けて、音楽に没入していったのである。。
しかし社会的に心を開いていなかった分、人には心を開いていた。
そういう時期だった。
実りは多かった。


当時、ギターの歪みに色々なフィーリングを乗せるバンドがたくさん現れてきていて、それぞれに新鮮だった。
時代の空気感。
メランコリー、爽やかさ、葛藤、色気、内向性、いろんなものがギターの歪みによってもたらされた。
それまでたぶん、怒りとか、勢い、みたいなのばっかりだったんだ、たぶん歪んだギターって。
エレキギターで音楽を始めたから、やっぱり歪んだギターは好きだ。

休日にユーチューブで、RIDE、STONE ROSES、SUEDE、DINOSOUR Jr.の当時の映像を観てた。
かっこよいな。。そして若いってよいな。
意外だったのは、SUEDEのギタリストのバーナードバトラーが予想外にロックにいちゃん的だったこと。
勝手に知性派のギタリストだと思ってたけど、ワイルドに暴走していた。
彼のギターは好きだった、すぐ辞めちゃったけどね。





   
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