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カテゴリー「雑記」の記事一覧
初めてブラックフライデーで買い物をした。
ボブディランのアルバム「シャドウキングダム」が千円切ってたの。
早速、ブックレットの歌詞を見ながら聴いた。
お腹いっぱいな気分になる。
濃すぎて少量ずつしか消化できない。
だが、良い。
サンタクロースが歌っているイメージ。

それから、ランディ・ニューマンを引っ張り出してきて聴いてた。
ランディ・ニューマンは作曲についてのインタビューを先に読んでいて、それからアルバムを手にいれて聴いた。
なので作曲の人というイメージがある。
日本人でいうとKANのイメージに近い。
ふざけてないシリアスなKANがランディ・ニューマン。
そんなイメージだ。
この人の曲は冬に合う。
ピアノとストリングスを使った曲が多いので、いままであまり聴いてなかったのだろう。
ずっとギターメインの人ばかり聴いてたから。

あとは、ローラ・ニーロのファーストアルバム。
当時1966年でローラ・ニーロは19歳!
なんか、色んな事が早すぎるような。
発売も年齢も10年先を生きてるような。
古びていないアルバム。
この人もピアノだ。
歌はジャズのメロディパートみたいだ。
「Lazy susan」という曲でそう感じた。

今年は、ななこに三回くらい、サンタクロースは本当にお父さんじゃないの?と聞かれた。
一応、違うとは言っておいたが、最初は誕生日よりクリスマスに高いものを頼んだ方が得だから、クリスマスはスイッチ2を頼む、と言っていたのをゲームソフトに変えていたから、うすうす感づいているのだろうと思う。


「ブルージャイアント」の好きなコマ。
作曲をめぐるエピソードが面白かった。

歌詞を書こうとして、休日をまるまる潰してしまう。
いったい何をしてるんだ、という思いもあるが、複雑な思いもある。
自分の小ささが浮き彫りになる、そういう風に思える。

気分を変えに外に出たりして本屋に行った。
色んな人の考え、作品、世界の風景、閉塞、開放、などが並び、くらくらしてくる。
そのなかで、映画特集の雑誌を見かけた。
パラパラめくると、色んな映画がのっている。
観たやつ、観てないやつ。
さらにくらくらしてくる。
小さな本屋の中に人間の営みが並び、その中の一冊にまた営みが並ぶ。

子どもの頃も、こうだったと思い出す。
家が山に囲まれていたので、空と山と近所しか見えない中で暮らしてた。
少し自転車で出かけ、本屋やレンタルレコードビデオ店に行くと、そこに広い世界が並んでいた。
そこから一つの本、漫画、レコード、映画を選び、それが広い別世界を見せてくれた。
そんな訳で、本、レコード、映画、というものが好きになった。
それを思い出した。

だから何だというのだ。
と思いながらも、歌詞を書き上げた。
日が変われば、あかんな、と思うかもしれない。
とりあえず今日のベストは尽くした。


休みです、今日は雨です。
雨ですが公園でぼんやりしています。
ぼんやりというか、コーヒー飲みながらこのブログの文章を書いてます。

スマホを持ってないので、ipodで書いてます。
最近はアイディアを思いついたらipodがあるので便利です。
昔はメモ帳とテレコを使ってました。
ブログ書くのも、詩や歌を作るのにも使える。
スマホの方が便利なのだろうけど、ネットと繋がってないのも利点な気もします。


FMステーションの全米チャートを見てた。
1986年の6月。

マドンナの「リヴ・トゥ・テル」が売れてる。
ヤバいね、10代で聴いた歌は脳に刻み込まれてる。
YouTubeでこの曲を聴いてたら、ミュージックビデオにショーンペンが出てた。
そのMVのマドンナがやたらと綺麗だった。
マドンナってこんなに綺麗だったんだと、驚いた。
調べてみると、そのアルバムが出た1985年当時に、ショーンペンと結婚したらしい。
すごく納得した。
人が輝いてる時って、いいな。
「リヴ・トゥ・テル」が余計好きになった。

それからザ・ビートルズを聴いてた。
アンソロジー4が発売されたようで、最近やたらと耳にする。
いい写真があった。

ジョンレノンのボス感がすごい。
有能な弟分を連れたボス。
かなりのボス体質なんだろう。
ジョンレノンの声は相当な人たらし声。
甘い声、強い声、情けない声、さみしげな声、いかれた声。
人の揺さぶり方を知っている声。
遠くから聴くには良いが、近くにいたらそうとうなヤバい奴なのだと思う。
だから惹かれたのね、中学生のぼくは。

それから、ローリング・ストーンズのイギリスの3rdアルバムの「OUT OF OUR HEADS」を聴いてた。
手元にCDが無いので、US盤にYouTubeから数曲録音したのを足して、自作した。
初期のストーンズは、後のロック大御所に与えた影響が大きいので、聴いてて想像が広がって面白い。
あ、ここの影響がボブディランに、ルーリードに、クラプトンに、ヴァンモリスンに行ったのね、みたいな聴き方。
ラフでルーズでやんちゃ。
自分に無い要素なので、惹かれる。

それからそれから、ストーン・ローゼスのベーシストのマニの訃報を聞いた。
一度、広島でライブを観れた。
7列目くらいで観れて最高だった。
高校生の頃から、定期的にファーストアルバムを引っ張り出して聴いてる。
歳を追うごとにすごいバンドだったと感じる。
わしの青春だった。

雨、上がった。
秋。
母の一周忌で帰省してきた。
子供の頃の日曜学校で馴染みのお寺で、よく知ってる住職さんにお経をあげてもらった。
母も仏教婦人会に入っていて、まめに寺にいってたようなので、ぼくも母の事もよく知ってくれている。

それから、墓参りと家の周りの草刈り、掃き掃除をした。
部屋のタンスの移動もした。
寒かったから石油ストーブを使った。

お骨の入ってた立派な箱を畑で燃やした。
頑丈な造りで良い木を使っているので、なかなか燃えなかった。
でも、いったん火が回るとよく燃えた。

子供らと近所を散策した。
柿をもいだり、魚を採ったりした。
落ちてたまだ綺麗な柚子を拾い、風呂に入れた。
良い香りでした。


帰って来て、よく働いた。

仕事が早く終わった日に、楽器屋でギターを試奏した。
マーティンのOOO-15というの。
マホガニートップで、強く弾いた時の反応が鈍く、もさっとした印象。
ネックの感じは最高。
今持ってるギターは、ネックが細すぎるのと広すぎる二本で、両極端だ。
マーティンのOOO-28を使ってみたいけど、めちゃ高い。

それから音楽。

若い頃よりも音楽から感じ取るものが増えた気がするる。
昔は歌詞を書く時に人生経験が足りないと思う事もあったけど、人生経験も増えた。
それから脳の老化により、恥じらいや配慮ができなくなってきた。
それで歌を作ろうとすると、映画監督の晩年のように、あの世に足を踏み入れたような、分かりにくいメタファーだらけの自分丸出し、垂れ流しの物ができるんだろうな、と分かってきた。

それでふと、歳をとったなりの、今までと違う面白いものが出来ると思えた。
今の方が昔より良い歌を作れるポテンシャルがあるかも、そう思えたら楽しくなってきた。
演奏と歌はそうはいかない。
練習できる時間が減り過ぎている。
そこは自覚してる。

と思って、最近空き時間にブツブツ歌い、作曲しようとしてる。
寝る前に、ななこが、何してるの?と聞いてきた。
「歌を作ってる、歌の中では何でもありで自由で楽しいよ」と伝えた。
ななこは歌詞が書けそうにない、と言ってたが曲なら作れそうな気がするんだろうか。
最近学校の合奏でピアノになれて喜んでいた。
よく練習してるし、音楽もスマホでよく聴いてる。

なつは、ぼくがコードやメロディを探ってる横で、適当なメロディを作って口ずさんでいた。
こういうの、子供の記憶に残るのかな。

父さん、なんか歌を作ろうとしてたなって。

ユーチューブで、シェリル・クロウが歌うイーグルスの「New Kid In Town」を聴いた。
シェリル・クロウの声が好きなのもあるけど、原曲の良さに畏れ入った。
いや、良さは知ってたよ、知ってたけど10代から当たり前のように聴いてたから、イーグルスの編曲や演奏、歌唱の素晴らしさが忘れがちだったというか。
これはいかんと、イーグルスのアルバムから何曲か引っ張り出してきて聴きなおした。
そして歌を作るということや、音楽の豊饒さに気づく(いや、遅いっちゅうねん、、)。

24の頃を思い出した。
大学を休学して実家から心療内科に通院してた頃、少し躁だったぼくは母親に言った。
「音楽に感動していつでも泣けるよ」
そしてその場でイーグルスのアルバム「Eagles Live」を聴いた。
曲は「Take It To The Limit」だったかな。
それで、泣いた。
そう、心が不安定だったのか、ほんとに音楽が好きだったのか。
音楽好きなんだろうな、やっぱり。

それから、そうやって心の内を母にさらせて良かったなとも思う。
心の病気というとネガティブだけど、今から見るとその療養期間は人生の恵みの時間でもあったな、と思う。

休みです。
仕事残業多いです、少し疲れぎみです。

こないだうちの工場で出会った社員が何人辞めてったか数えたら17人いた。
一度辞めて戻ってきた3人をふくめると20人になる。
対して、いまだ続いてる人は3人。
ぼくもその3人のうちの1人だが、他の2人を見るとかなりくせ者だ。
と言う事はだ、、おそらくは、ぼくもくせ者なのだろう。

その2人は別工場に移動したので、ぼくが最古参である。
が、出戻ってきた3人がいるので、それなりに責任は分け合っている。
長年工場長なるリーダーがいないので、そろそろあかん感じになってきている。
責任を背負う人がいない、しかし誰かが責任を背負うとおそらくメンタルか体を壊す。
まあ、人手不足。
外国人だらけだ。
騙し騙し適度に無理せずやってこう。


ななこがゲームに飽きてきて、最近はよくキーボードを弾いている。
ヘッドホンをしてるので、何を弾いてるか全然聴こえないが、なんか左手もちゃんと使うようになっている。
ぼくとしては嬉しい。
音楽を楽しむ方法を覚えたら一生豊かさを得れる友になるからね。
一流になろうとしたら、楽しむどころではなくなるかもだけど、それでも音楽を聴くのや、奏でるのに浸る事ができれば、多幸感を得れる。
お酒よりも具体的な多幸感だ。

最近歌を作ろうとしてる。
種みたいなメロディができたら、移動中や仕事中に転がして続きを作る事ができる。
その種をたくさん用意してたら、仕事中に作曲できそうな気もする。
ポップスを作ってみたいなぁ、キャッチーなの。
でもね、今日は法事の準備しなきゃな。

正和堂書店に行き、本と漫画を買った。
自分への慰め。
いつ行っても良い本屋さん。
読むのだけじゃなくて、見て回る、買う、のでも癒される。
ブックカバーも素敵なのたくさん用意してくれてるの。
牛乳石鹸のカバーにした。

寒くなりました。
気温が急に変わると仕事が増えます。
忙しいです、はい。
しかしまあ、元気です。

少し前に運動会があり、次はななこの修学旅行です。
伊勢志摩方面に行くようです。
その後、なつの遠足。
その後、授業参観、それから一周忌の法事。

仕事は忙しいのですが、何かこう、役に立ってる感を感じるので、気分は悪くないです。
若い頃に節約のために服や機械を修理してた事、前のバイトで新人に仕事を教えてた事、委託DVDの回収作業、エレキギターを分解調整した事、そういうのが巡り巡って今の仕事に役立っている。

ぼくはアイロンの蒸気レバーの微調整が得意なのだけど、それはギターを調整してたからだと思う。
自分の道具をバラして調整するってのは、ギタリストと職人に共通の事のように思う。
自己責任でアイロンをバラして直してたら、仕組みがわかるようになった。
勝手にやってることなので、最初は壊したら怒られるのでハラハラしてたけど、覚えてしまえば、自分のスキルになるらしい。
そういう特技を増やしていったら、あまりとやかく言われない楽なポジションに落ち着いた。
なので、忙しいが気は楽。

と、ここまで書いて後日。

ななこが修学旅行から帰ってきた。
お土産にベイクドショコラを買ってきた。
子供が買ってくれるって嬉しいのね。

ふと、自分も修学旅行でお土産を買い、父方の祖父祖母に届けたな、と思い出した。
あの頃、お土産を買った相手はみんな亡くなってしまった。
これが人生の後半なのかと思う。
さみしいね。

今日は休日です。
先週用事を片付けたので、午前中の公園のベンチで、木と空を時々眺めてぼんやり。
ええね、ちょうどいい気温と天気。
Amazonでスピッツの「色色衣」というアルバムを買ったので聴いている(400円!)。
大学生の頃1stアルバムを聴いて、凄い才能の人が普通に埋れてるのね、と思ったけど、今ではラジオでしょっちゅうスピッツが流れていて、こんな未来になるとは思わなかった。
なんにしても、売れて現役でずっと新しい曲が聴けるバンドになって良かった。

それから、すごくひさしびりにTVのドラマを観てる。
三谷幸喜のやつなのだけど、面白いのでネットで調べてみたら、えらい視聴率悪いようだ。
確かに初回はぜんぜん面白さがわからなかったな。
神木隆之介がうまいなぁと思う。
うーん、眠れない。
そして、秋だから?少し”哀しさ”を感じてる。
この心情をどう言い表せば良いか、調べた。


Sadness:一般的な「悲しさ」
Sorrow:「哀愁」や「悲哀」
Grief:「深い悲しみ」、「悲痛」
Melancholiness:「物悲しさ」、「物憂さ」


この中では、”Melancholiness”だな、やはり。
鬱、というほどではない。
原因は、母の一周忌だろうか。
心が、もやもやを整理しようとしているのを感じる。
親を亡くしたことで、故郷も遠くなるのを実感する。
望郷の念?ノスタルジー?
ウィキペディアで調べた。


『ノスタルジア(英: nostalgia)またはノスタルジー(仏: nostalgie)は、異郷から故郷を懐かしむこと、またその懐かしさ。同義語に郷愁(きょうしゅう)・望郷(ぼうきょう)など。過ぎ去った時代を懐かしむこと、またその懐かしさ。同義語に懐古(かいこ)・追憶(ついおく)など。また上記の2つの意味から派生して、懐かしさに伴う儚さ、哀しさ、或いは寂しさ、しみじみ想いを馳せる心境のこと。→エモーショナル(若者言葉の「エモい 」と同義)、センチメンタル、メランコリックな感情をもたらす。と定義される。』

これだな、ノスタルジア。
メランコリネスとノスタルジアの最中。。
過ぎ去った過去を懐かしんでいるのか?



中学時代に、家に一人部屋を用意してもらったのを思い出してた。
高校で家を出たので、がっつりとそこで過ごしたのは、中学の三年間だ。
ベッドを買って貰い、枕元にラジカセと”ハイスクール奇面組”の漫画を置いた。
じいちゃんやおじさんが、ステレオを貸してくれた。
壁には(土壁)ロックのポスターを貼った。
そして、少しずつカセットテープ、レコード、CD、漫画を集めた。

カセットテープは、確かこの順でそろえた。
ヴァン・ヘイレン 「5150」
ホイットニー・ヒューストン 「そよ風の贈り物」
ブルース・スプリングスティーン 「ボーン・イン・ザ・USA」
サウンドトラック 「ロッキー4」
スターシップ 「フープラ」
ハート 「ハート」

レコードは、
ザ・ビートルズ 「The Beatles 1962-1966」
ロッド・スチュアート 「Every Beat Of My Heart」
ジェネシス 「インヴィジブル・タッチ」
ボストン 「サード・ステージ」
ブルース・スプリングスティーン 「 Live/1975-85」
シンデレラ 「ナイト・ソングス」
ビリー・ジョエル 「イノセント・マン」

CDは、
ボン・ジョヴィ 「Slipply When Wet」
ブルース・ホーンズビー&ザ・レインジ 「The Way It Is」
スターシップ 「ノー・プロテクション」
エアロスミス 「パーマネント・ヴァケイション」
ボン・ジョヴィ 「夜明けのランナウェイ」

そんな順だった、気がする。
漫画は、ジョジョの奇妙な冒険、マスターキートン、ブラックジャック、なんかを集めてた。

当時、その部屋ですごく気持ちが満たされていてたようだ。
ギターの練習もたくさんした。

大学生の頃に、おじさん家族が引っ越して来て(その家は、じいちゃんの持ち家で、一緒に暮らす事になった)、部屋は引き渡した。
失ってしまったからか、余計にその部屋を大人になってからよく思い出す。
ほんとに音楽漬けだった部屋。
当時の音楽を聴くと、その部屋に心が舞い戻る気がする。

去年、当時の雑誌のFMステーションを、メルカリで手に入れた。
その中のcashboxの全米アルバムチャートトップ100。
ざっと拾いあげると、その週の100位にチャートインしてる中から、これだけのアルバムを、後々手に入れて聴いた。

ホイットニー・ヒューストン 「そよ風の贈りもの」
ヴァン・ヘイレン 「5150」
ジャーニー 「Raised On Radio~時を駆けて」
ザ・アウトフィールド 「プレイ・ディープ」
ピーター・ガブリエル 「So」
ハート 「ハート」
ジューダス・プリースト 「ターボ」
フィル・コリンズ 「ノー・ジャケット・リクワイアド」
ZZトップ 「アフター・バーナー」
ジョン・クーガー・メレンキャンプ 「スケアクロウ」
Mr・ミスター 「ウェルカム・トゥ・ザ・リアル・ワールド」
GTR 「GTR」
イン・エクセス 「リッスン・ライク・シーヴス」
オジー・オズボーン 「罪と罰」
メタリカ 「メタル・マスター」
オリジナル・サウンドトラック 「トップ・ガン」
バングルス 「シルバースクリーンの妖精」
フーターズ 「眠れぬ夜」
スターシップ 「フープラ」
ブルース・スプリングスティーン 「ボーン・イン・ザ・USA」
ラヴァーボーイ 「ラビング・エブリ・ミニット」
モトリー・クルー 「シアター・オブ・ペイン」
ザ・カーズ 「カーズ・グレイテスト・ヒッツ」
スティング 「ブルー・タートルの夢」

100位圏内の内、四分の一をほどを聴いた事になる。
シングルも、たいていのヒット曲は、毎週聴いていたラジオで知っている。
だから1986年前後の音楽は、特別に自分の中に刷り込まれているようだ。

その辺りの音楽を聴くと、確かに元気になるが、心があの部屋に戻ってしまう。
良い事なのか悪い事なのか、よくわからない。
その部屋から自分の心を出す必要があるのかどうか、それがわからない。
そういう思いを、曲にしたら面白いかもしれないな。
気持ちを整理できるかもしれない。
とにかく、ノスタルジアの最中よ。

今日はこういうプレイリスト。
アーティスト名が、出てないな。。
順に
シンディーローパー
ジョンクーガー
ナイトレンジャー
ハワードジョーンズ
プリンス
ジャーニー
トト
ハート
です。



iPodに入ってるジョギング用のプレイリストを聴いてる。
80’sの音楽ばかり。
聴いてた中学生の頃、ジョギングをしていた時期があった。
その辺りがリンクして、ジョギングと80’sが結び付いている。
今思えば、中学生は初恋の頃で、いい男になりたい、という思いの持って行きどころが分からず、とりあえず走っていたようだ。

プレイリストはクワタバンドの「Merry x'mas in summer」で始まっている。
初めて買ったFMステーションで、クワタバンド特集をしていた。
それで自然と聴くようになった。
この曲は、今、歌えるように練習しているとこ。

次の曲は、「Training Montage」。
映画ロッキー4の挿入歌である。
当時、映画館に友達と観に行き、1、2、3も友達とレンタルビデオを借りて一緒に観た。
ジョギングにはピッタリね。

ロッドスチュアートの「Love touch」。
当時の、小ヒットなので、メジャーな曲ではないけど、二枚目に手に入れたレコードなので、さんざん聴いた。
良曲ですよ。
アルバムは、去年カセットテープでも買ってしまった。

その後、ホイットニーヒューストンの「All at once」。
この前書いたけど、人生で二枚目に聴いた洋楽アルバム。
カセットテープをダビングさせてくれた友達は、今、京橋で働いてる。
近い。
こないだ彼の誕生日だった。
小学生の頃に彼の誕生会に行き、他の友達はブラモデルとかをプレゼントに持って行った中、ぼくはパイナップルを持って行って、少し恥ずかしかったのを思い出す。

次がヴァンヘイレンの「Why can't this be love」。
この曲は、ほんとにヤバい。
初めて買ったFMステーションの全米シングルチャート一位で、ぼくが音楽に初めてちゃんと触れた歌。
いつまで経っても最高の曲。
こんなの聴いたらエレキギター買っちゃうわな。

ブルースホンズビーの「Mandlin rain」。
CDプーイヤーを買ってもらい、その時、一枚好きなCDをオマケでもらえたのだけど、その時選んだのはボン・ジョヴィの「Slipply when wet」。
その次に初めて買ったCDが、ブルースホンズビーだ。
当時の自分の選択を褒めてやりたい、笑。
いいアルバムだった。

その次、またクワタバンドで「BAN BAN BAN」。
これは、もう最高です。
自分の中では、もう、青春って感じ。

スターシップの「Sara」。
これは確か、5枚目に聴いたアルバムに入ってた。
ヴァンヘイレン、ホイットニー、スプリングスティーン、ロッキー4、ときて、スターシップの順にカセットテープを手に入れた。
これもヤバいね。
青春ね。

ブルーススプリングスティーンの「Hungry heart」。
これは、ライブバージョン。
中一の頃、スプリングスティーンの5枚組ライブアルバムが発売されて、母親にクリスマスプレゼントで買って貰った。
その後、ホイットニーをダビングさせて貰った友達が持ってたCDと交換した。
ぼくは手に取りやすいCDが良く思い、彼は写真の充実してるレコード盤が良く思ったのだ。
確かに、付属のブックレットの写真は良かった。
レコードは手元に無いけど、レコードを母親と買いに行った光景は、まだ記憶に焼き付いている。

こんな感じで、20曲ほどプレイリストに入れている。
後はビリージョエル、ピーターガブリエル、ザ・フーターズ、トレーシー・チャップマンなど。
これを聴くと元気になるのね。
ラジオでホイットニー・ヒューストンの「Greatest love of all」が流れた。
懐かしいな、と聴き入っていたが、ふと、「これ聴いたの12歳の時だよな」と思う。
今聴いても、ほんとにいい歌だと思う。
すごい昔の事だ。

また先日、ブルーススプリングスティーンの若い頃のライブ映像を見た。
心の深いとこまで届く。

中一の時に始めて買ったFMステーションの週間全米チャート。
その時どんな風だったか知りたくて調べてみた。
ネットには、あるのね。
便利な時代。

1986.5.17

当時は、そのチャートをみて、シングルチャート一位のヴァンヘイレンを買い、アルバムチャート一位のホイットニーと、ロングセラーのスプリングスティーンを友達にダビングさせて貰った。
だから、まず洋楽はその三枚のアルバムから入ったのだ。
カセットテープの時代。
その辺りのアーティストの思い出喚起力は凄く、「わぁ、面白そうな世界!」という中一の頃の気分に戻る。

長女が来年12歳である。
そのように、ぼくは今だに12歳の頃に聴いた歌を愛聴しているので、12歳の感性は一人前だと思う。
先入観のない分、まっさらだ。
人生は速いな。
凄い時間が経ったが、音は当時の生々しいままで、変な感じ。


アコギの弦。
昔から、ダダリオのブロンズ弦を使っていたけど、650円くらいだったのが、今は1200円。
困ったな、と思ってたら、アリアのフォスファーブロンズ弦が430円であった。
ライブやる訳でもなし、これでいいよな、と張ってみた。
違いが分からん。
ギター自体、鳴りが悪くなってるので、比べようがない。
とりあえず、腐ったサビサビの弦よりはましだろう。


ジョアンジルベルトの「Desafinado」を弾いてみてた。
面白いコード。
勉強になる。
ボサノバは、コードの使い方が刺激的で、凄く影響を受ける。
一時期、その影響を多用してた。
曲に深みが出るような気がする。
13thとか-9とかオーギュメントとかそういうの。

そして最近、YouTubeの動画を観て、発声の練習をしようとしている。
三十代の頃は、似たように脱力と共鳴のトレーニングをしていた。
それで発声ができたら、音域を広げたりとかもしようと思っていたが、ライブや録音に追われ、そこまでたどり着けなかった。
また、二十代の頃は腹式呼吸を練習してた。
元の声が弱いので、やっぱりある程度トレーニングしないと、マシな声にならない。
再び五十の手習いである。

しかし、ブログを書いていて気づいたが、たいてい一年周期で何かにハマり、次の年は別の事をしている。
春の繁忙期にメンタルが抜け殻になり、夏から秋にかけてメンタルを立て直し、そこから何か始める、そういうサイクルらしい。
去年は打ち込みミュージック、おととしはゲーム、その前は詩やカセットテープ、エレキギターなど。
作曲してた年もある。
いやになっちゃうな。
今回はちゃんと続けよう。


それから、また労働基準監督局に行ってきた。
今回はあまり手応え無し。
でも、来年の春までくらいに上手くいけば、また査察に来てくれるかも。
人手不足で次々に人が辞めたり倒れたりしている。
経営陣が二世で世間知らずなのだ。
おそらく会社に未来は無い。
あと八年は耐えるつもりだが、周りが潰れて行くのを見るのは嫌なものだな。
技術と経験で六割の力で働けるので、ワシは元気だが。
そういうノウハウを次の世代の職人に伝えねばならないのだが、経営陣にそういう発想はなく、自分らが職人のノウハウを知っていると思っている。
二世さん、全然駄目だよ。
人というものを知らな過ぎる。
   
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