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再びお酒を断とうとしています。
たしなむくらいの量なら良いかと思ってたけど、どうも調子が悪いのである。
日に焼酎100mlくらいの量だったのだけど、アルコールの常習性はすごいもので、毎日欲しくなる。
そしてそのくらいの量でも次の日だるい。
なんとなく腸の消化具合で、腸の善玉菌が減ってるのがわかる。
血のサラサラ度が減って疲労物質などの排出が滞っている感じもする。
さらにアルコールの分解に内蔵のエネルギーがいき、他の内蔵の働きが悪くなってる感がある。
このあたりは個人差があるだろうから、ぼくの体質にアルコールが合わないんだろうと思う。
だから特に皆に禁酒を勧めるわけではない。

三日くらいやめたら体調は良くなった。
それ以外にも、職業病として肩と背中のコリがあるのだけど、本で読んだ筋膜リリースをしっかりとやったら楽になる事が分かった。
このまま晩酌で増えていた食事量も気持ち減らして、消化する内蔵の負担を減らしたい。。
どうもぼくは内蔵の負担が増えると、血液をろ過する機能が弱りダルくなるようだ。
気をつけようと思う。

やりたい事を考えた。
ホントに些細な望みなんだけど、イオンモールをゆっくり見て回る事、映画のDVDを見る事、近所のインドカレー屋さんに行ってみる事が望みだった。
寝台列車で出かけて飛行機で戻ってくるというのも思いついたけど、無理なので却下。。
休みの前の日にスーパーに行きゆっくり見て回った。
体に悪くなく食べたいものを探した。
ちくわ、バナナチップス、大根のカクテキキムチを買った。
質素でしょ、笑。

そんで早朝に、ちくわを食べながら「リスボン物語」という映画を観た。
この映画はヴィムベンダースの作品で、リスボンで映画を撮っている友人を訪ねて行く音響効果録音技師のお話。
映像と音がとても綺麗で、大作ではないけど心に残っている映画。
二十歳頃に観た。
大学生の時に映画研究会によく冷やかしで行ってたので、自主映画を撮るのも何度か手伝ったりした。
その頃の友人は上京して助監督になり、なぜか「リング」の貞子の目を演じて、沢山の人を怖がらせた。
そんな事も思い出した。

イオンモールをぶらぶらしたけど、その後に行った個人営業の本屋さんが良かった。
イオンの本屋さんより海外小説が多くて、昔持ってた本「ピーターパン」「トムソーヤの冒険」「秘密の花園」「青い鳥」なんかが新訳で出ていた。
ぼくは子供の時代を引きずっていたので、そういう子供の本は好きだったし、作詞のテーマだったりした。
その中から「ピーターパンとウェンディ」という本を買った。
年取った分、ピーターパンという永遠の子供を描いた作者の気持ちがより切実に分かる気がする。
夏休みに「海底二万里」を読み、夜には天の川を眺めていた。
そういうのを何度も思い出す。
ある意味それは永遠なのだろう。

なつは前歯が抜けて、歯抜けさんになった。
ダイソーの対戦カード「虫神器」に夢中である。
ななこは「ピクミン神器」を手書きで作ろうとしている。
そうやって工夫して手づくりするのいいね。
仕事中に気分が上がるように、仕事着用にダイナソーJrのTシャツを買った。
「グリーンマインド」のジャケットの子供をプリントしたもの。
微妙に誰にも分からない感じが気に入っている。
しかし、ななこには「可愛くもないし、カッコよくもないTシャツ」と言われた。
まあ、確かにそうかもしれない。。


だいぶ前、なつが幼稚園児だった頃、ローリングストーンズの曲に「ぶっさい音楽やなぁ」と言っていた。
素直な感想で面白かった。
そろそろストーンズのアルバムが出るようだ、聴きたいなぁ。

子供らと過ごす事で、ダンゴムシやいも虫、蝶の世界を思い出した。
子供の頃慣れ親しんだ世界だ。
自然の中で生きている。
ゲームの世界も進化してて驚く。
ななこはマインクラフトが欲しいとずっと言っている。
きっとクリスマスまで言い続けるだろう。
ぼくはノーマンズスカイというゲームが気になっている。
宇宙の中を巡るゲームらしい。
1800京個ある惑星を探検するゲームのようだ。
またユーチューブで寝台列車の旅の様子を見た。
個室もあるようで、寝っ転がって外の景色を眺めてたらさぞかし気持ちいいだろうと思う。
飛行機の個室も素敵だった。
なんと知らない世界のたくさんある事か。

最近自分の小ささを考えるようになった。
自分だけで知れる世界なんてダンゴムシの世界のように小さいのかもしれない。
家と職場の往復だもの。
もしかするとカラスの方が広く世界を見ているかもしれない。
価値観も凝り固まってくるだろうと思う。

そんな中でも、目や心を開いて見れば、色んな人が違った価値観をチラッと匂わせてくれる。
どうもぼくの五十代はその辺りが課題なのでは?と思う。
自分の小ささをちゃんと意識して、目と心を開く事。

図書館で吉本隆明が若者に向けて書いた本を借りた。
その中に、「社会的な個人」「家庭の一員としての個人」「個人としての個人」を分けて考えた方がいいと書いていた。
例えば仕事を頑張る事で個人として認められようとするのではなく、チームや社会の中での役割を果たす事が必要で、個人として認められようとするのはまた別の事と考える、みたいな。
上手く要約はできてないだろうけど、何か腑に落ち楽になった。
頑張って働かずとも、役割を果たせばよいのだ。
多分ぼくは「社会的な個人」というものがかなり欠けている。
ずっと「個人としての個人」で生きていた。
その辺りも課題。
世界が狭いのだな。


橋の上からの写真。
空が広いのだな。
盆地育ちなので、広い空は新鮮。
仕事帰りに時々立ち寄る。

運動会がありました。
前日の夜まで雨が降っていたので、仕事を休む為に人の手配などしてもらっていた身としては、ハラハラしてたけど、なんとか予定通り開催された。
観覧制限のない運動会は小学校に入って初めてで、ななこが年中さんだった時以来だ。

さすがに人が多く(生徒数800くらい!)撮影の場所取りに追われました。
去年は学年で入れ替えだったので、撮影はし易かったのだけど、老眼と近眼のせいで、なつの姿を見失い可哀想な事をした。
せっかくかけっこで一等になったのに微妙な動画になってしまいました。
なので今年は緊張した。
ななこの学年のダンスの撮影の時、あまりの生徒数の多さにパニックになった。
ほぼたまたま望遠で見つけ出し、見失わないようにしてたのにダンスの演出で動き回る。。
運悪く前の人の頭に重なり、わし、パニック。。
そのパニックの様子が手ブレと、映った空と校舎に表れていた。
かけっこは上手く撮れた。
なつ一位、ななこ転んでビリ。。
足元が悪かったようで可哀想。

人が多いので、生徒や親を見るのも楽しかった。
六年生大きい!
個性的な親、しっかりしてそうな家族、保護者会の人、勉強になった。
我が子のクラスでの様子も見れて良かった。
終わり頃の高学年の競技や演技は、撮影の緊張から解放されてたので、しっかり見れて感動した。
我が子より知らん子の方でウルっとするってどうなのよ?と思うけどね。。
カメラの撮影より肉眼で焼き付けた方が良いのかな?よく分からん。。

終わってから、なつと川に亀探しに行った。
なつは運動会より川遊びを楽しみにしてたようだ。
あいにく亀はいなかったが、小魚、川エビ、ヤゴを捕まえた。
近所の小学生もいて、「ウナギやスッポンもいるよ」と言っていた。
通りがかりのオッチャンは、ナマズもいると言ってた。
子供といると警戒心を持たれないので、知らん人と会話できる。

夜疲れて寝っ転がってテレビを観ているぼくの上に、子供らが乗ってきて場所の取り合いの喧嘩になった。
喧嘩はいかんが、くっついてくれるので嬉しいのだった。

1986年に発売された、ロッド・スチュワートのアルバムを聴いていた。
このアルバムは当初「Rod Stewart」というセルフタイトルで発売されたが、後に「Every Beat Of My Heart」に変更されていた。
なんでだろう?
調べてみたところ、セルフタイトルで発売されたのは日本とアメリカで、イギリスでは「Every Beat Of My Heart」で発売されたようだ。
なるほど。。

なんにしても、本人にはある程度、会心の出来だったのでは、、と思われる。
しかしこのアルバムは洋楽の歴史の中で埋もれている作品である。。
でもぼくにとっては、特別なアルバムである。
なぜなら、ぼくが人生で2枚目に買ったLPのレコードだからなのだ。
それはもう、何度も何度も聴いた。
だから魂に沁みついているアルバムなのである。

A面はアップテンポな曲、B面はメロディアスな曲という構成。
ゲストとして、ギターにスティーヴクロッパー、鍵盤にニッキーホプキンス、コーラスにアルバートハモンドなどが参加しているようだ。
特に好きだったのはB面の「Love Touch」とビートルズのカバーの「In My Life」。
ぼくが初めて買ったLPレコードがビートルズの赤版ベストだったので、「In My Life」は、「あ、おなじ曲だ」と嬉しかったのを思い出す。
「Love Touch」は今聴いてもキャッチーな曲だ。

当時ぼくは中一で新しい環境で、洋楽という新たな楽しみを見つけてとても幸せだったのを思い出す。
特にこのアルバムはいかにもエイティーズな音で、その後あまり聴いておらず、そのせいでかえって当時の自分が真空パックされていて、聴いていてたまらなくなる。
特にロッドが大人な一面を見せている穏やかなB面が良い。

高校生になり、ロッドの過去の「Never A Dull Mornent」というアルバムも聴いたが、そちらも大好きだ。
この2枚がぼくにとってのロッドスチュワートなのだ。

先日、メルカリでこの「Every Beat Of My Heart」のカセットテープを見つけて思わず買ってしまった。
レコードもCDも持ってるのにカセットテープも買ってしまいました。。
バカだねぇ、、と思います。
でもそれでいいのです。。



先週の休みの日、なんだか気力が衰えていた。
とりあえず緑地公園に行き、木の下にシートを敷いて寝転がった。
しばらく風で揺れる枝葉の音を聞いて眺めていた。
これで整う気がする。
ぼーっとする事も必要なのだろう。

少し考えた。
この気力の衰えは、インスタント麺と魔のコンビニが原因と思われる。
筋トレ柔軟も、サボっている。
少しの事がすぐ気力に直結する、それだけ体力が落ちているんだろう。
芸能人が筋トレしてマッチョになるのは、こういう気力の問題もあるんだろうなと思った。
立て直さねば、しんどい。
魔のコンビニ、恐ろしや。。

とりあえず、加工食品の添加物、塩、あたりは避けたい。
景気の悪い話ですみまそん。。


こないだ近所の草むらにスミレ科の雑草を採りに行った。
ツマグロヒョウモンという蝶の幼虫を飼っていて、そのエサなのだ。
家から外に出ると、スズメガが大量にいた。
捕まえにくい虫なのだが、4匹も捕まえれた。
ツマグロヒョウモンの幼虫もたくさんいたし、カメムシも多い。蚊も。
気候のせいなのかな?
エレベーターを使わずに階段で帰ろうと子供らが言うので階段を登っていたら、巨大な昆虫がいた。
立派なトノサマバッタだった。
今まで見たトノサマの中で一番でかい。
草むらに逃がしてやろうとしたら、ものすごく羽ばたいて飛んでいった。
蝉ぐらい飛んだ。
ビルの5階くらいまで飛んだんではなかろうか。
印象的だった。

後で昆虫図鑑で調べたらトノサマバッタではなくて、イナゴではないかという話になった。
すごい生命力を感じる虫だった。
あれが大量発生したら、たしかに怖いなと思った。



最近気に入っている場所。
寝屋川の横にJRの車庫があり、だだっ広いので、空が広い。
飛行機も通り、川にはでかい鯉も徘徊している。
今の時期、高い所の雲と低い雲と飛行機が交差すると、空が立体的で美しい。
あ、空だけで幸せな気分になれるんだ、と気づく。

こういう場所で自分の心に問いかける。

君は何がしたいのだ?
まずは家族の時間を大事にしたいのだね。
それから自分の為には?
そこでスッと「音楽」と出てこない。
何かやり方に煮詰まってるのだね、足りない物に気づいたのではないかい?
そうだ、やっと満足な歌い方で録音できたんだけどそこで気づいた。
何に?
昔作った詞には今の心がフィットしてない事、声に如実にそれが表れる事に。
じゃあどうすればいい?
新しく曲を作る、もしくはカバーをしてみる。
それはワクワクするかい?
うーん、やってみないとわからないな。

などなどと問いかける。。
その他にも些細だけどやりたい事など考えてたら、少しずつ元気と気力が出てきた。

職場の帰り道を少しだけ外れた所に、ヤバいコンビニを見つけた。
百円ローソンなのだが、知ってる普通のコンビニと全然違って、見た事ない品揃えなのだ。
お酒に特化しているようで、酒の品揃えが豊富で、おつまみも種類が多い。
そして頻繁に値引きをしてて(30%off)とか、リーズナブルだ。
店員さんも味があり、手作り感が豊富。
客層も面白い。
穴場の店という感じ。。
正直、行くのが楽しい。。しかしお酒の量が増える。。やめれない。。

割とへんぴな場所にあるのだ。
大阪では川や線路をまたぐと、区や市の管轄が違い、町の雰囲気が全く違ったりする。
その違いを感じるのもまた楽しいのだ。
色んな暮らし方が見れて面白い。
川沿いにJRの車庫があるので、川と空と列車を眺めながら飲むのがいい感じで、習慣になってしまった。
おかげで、楽しい反面どうも色々ダルくなってしまった。
いけません。。

ダルさに任せてユーチューブを見ていると、オススメでやたらジャニーズ関連の番組が出てくる。
皆がジャニーズの崩壊を面白がっているのが分かる。
ぼくとジャニーズの接点はほぼないのだけど、性暴力などは最低だと思うので、ジャニーズ関連で唯一時々見てた番組「関ジャム」を見ない事にした。
あれだけ大きな事務所でそんな風なら、他の事務所でもあるだろうな、と当然思う。
嫌な話だ、さらにダルくなる。

最近面白かった事。
朝の通勤時。
後ろから楽しそうに歌を歌いながら自転車をこいで来る若者がいた。
酔っているのかもしれない。
ぼくを追い越す時、一瞬歌が止まり、その後に続きを歌った。
「そしたらベンジー♪あーたーしをー♪、、」と御機嫌さん。
こちらにも楽しいのが少しうつった。
歌の力なのか。。


職場にて。
「このシャツ綺麗にできないんですけど」と60代のパートさん。
「あーこのシャツは"古い"から"縮んでて"無理やねー」とわし。
すると「わたしも古いから身長1センチ縮んだわ」との事。
不用意に古いから無理などと言ってはいかんなと反省。
大阪のおばちゃんらしさだな。




ここのところ、本を読み返していた。
若い頃に大事にしていた本、トルストイの「人生論」。
読みにくい文章、例えば"動物的個我"なんて単語が頻繁に出る。
それでも一生懸命に読み、何かしらの感銘を受けたようだ、若い頃のわし。

その頃、自分の好きな本ランキングを作っていて、本棚にその順に並べていた。
「人生論」は二位だった。
一位はヘルマンヘッセの「シッダールタ」、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」は殿堂入りにしていた、わし、、なんだかな。。
三位はリルケの「若き詩人への手紙」か武者小路実篤の「空想先生」のどっちか、もう覚えていない。
ゲーテの「若きウェルテルの悩み」、夏目漱石の「それから」とかもどっかに入れてた。

このランキングは、たまたま読んだ本の中で、たまたまその時の気分に合い作ったもの、普遍性はない。
しかし出会いなんてそんなもので、この「人生論」はきっと自分にとって大事な物なのだろう、そう思ってパラパラ拾い読みをしていた。
そしたら、老いや死にも触れており、やはり当然若い頃よりよく分かる。
もしや、この本は今こそ読むべきかもな、と思った。

この本では動物的個我の幸福の追求を否定しており(むずいよな、、言葉)、そんな本に影響受けてたら人生こうなるわな、、と思った。
でも悪い意味ではなくて、影響受けといて良かったとは思っている。
それなりに人生に満足はしている。
あまり動物的個我の幸福の追求はしてこなかった(笑)

確かにこの本の通りの老いの問題に直面する。
自分の個我は滅びゆくもので、真の生命は自分が愛しても感じても知りもしないこの全世界なのである。
みたいな事が書いてある。
それをどうやって解決したんかな?なんて思って読むと面白い。
ただ、言葉は難い。。
結局最後の方では「愛」だよなとなっている。
ジョンレノンやKAN、ハウンドドックと同じだ。。

しかしトルストイ、前半でやたら色んな人を否定しまくっている。
執筆当時60才くらいらしいが、へんこなじいさんだよな。と半分は距離をとって読む。
それが昔とは読み方の変わったとこ。

もう一冊トルストイの「クロイツェルソナタ」を読み返している。
こちらは読みやすい 。
性にまつわる話だ。
トルストイが俗人であり、聖人であろうと努めていたのが分かる気がする。



朝の出勤の時の、草むらの虫の声が大きくなってる。
季節が秋に向かっているのだ。
ここのところ、夏の終わりの気分を引きずっていたが(気分と言うより夏の疲労かも知れない、今年の暑さは応えた)、なかなか良いではないか、と自転車をこいでたら、秋の花や果実が実り始めている。
季節の方が遥かに先回りして次の準備をしている、大したもんだーと秋を愛でてたら、割とぼくと同じような老人が多いのに気づく。
こういうのは老境と言うのか?
やたら自然や季節を見てしまうのはそうなのか。


通勤途中の公園に桃がなっていた。
もいで昼休みに食べたら普通に美味かった。
タダじゃん!と嬉しくなったが、果物って本来ならタダだよな、と気づいた。
食べ物って買うものだと思っていたよ。
農家の子だったのに。
ありがたいよな、朝もいで昼食べる事にしよう。


不意に、インスタントの袋焼きそばが食べたくなった。
子供の頃に家に買い置きしてあった液体ソースに生姜入りの青のりふりかけのやつ。
何軒かお店を巡ったが、日清焼きそばしかないのだ。
日清焼きそばも美味しいけどね。。
最近はカップ焼きそばが主流なんかな?
ネットで調べたら、ぼくの食べたいのはどうも明星鉄板焼きそばのようだ。
子供の頃、小腹すいた時なんかに作ってもらった懐かしい焼きそば。


と思っていたら、インスタント焼きそばの口になってしまって、結局、日清焼きそばを食べた。
日清焼きそばは、はるか昔にバンドのライブの打ち上げかなんかで初めて食べて、あまりの美味さにハマった。
さすが現在独り勝ちの日清焼きそばである。
その時は四、五人前を一気に作ってワイワイ食べた。
楽しかったなと思い出す。

明星鉄板焼きそば、無いとなると余計食べたくなった。
探し回っていたら、別の懐かしいのを見つけた。
金ちゃんヌードルだ!
これも子供の頃によく食べた。
まだ、あったのね。
他にもタイや韓国の味の物、超大盛りの焼きそば、色々あって美味しそう。
結局、インスタント麺にハマってしまったのだ。




調子の悪いCDデッキの取り扱いのコツをつかんだ。
CDを入れるトレイが閉まりきらないのだけど、デッキの底面にある穴に細い棒を突っ込み、トレイを少し持ち上げてあげると上手くしまるみたい。
ちょっと面倒で貧乏くさいなと思うのだけど、使えるうちは使いたい。
古くなって時代遅れになる機械やメディアに、”人間の老い”と同じものを感じて、愛着がわくようになっているのかもね。
そんな気がする。

レコード、カセットテープと再ブームが来て、次はCDが流行るよと言っている人がいて興味深かった。
若い頃からサブスクで音楽を聴いている子供たちが、音楽作品を物として所有できることに新鮮さを感じて、CDなら安いから集めて楽しんでいるんだって。
そんなものなのかもしれないね。

こないだ実家に帰った時に、昔カセットテープ用に買ったレタリングシートや、ラジオ雑誌のFMステーションから切り取ったインデックスカードを大量に見つけた。
僕にとってはなかなかのお宝。
純粋に音楽好きだったな、と思い出した。

久しぶりにカセットテープ関係について調べてたら、TOSHIBAからポータブルカセットプレイヤーが発売されていた。
やっぱりちょっとカセットテープが流行っているようで嬉しい。

10代の頃に手に入れたカセットテープを引っ張り出して聴いた。
広島市内で買ったキースリチャーズのソロと、高校で仲良かった先生に貰ったアメリカのお土産のクリーム。
どちらも輸入テープで、なんかちょっと可愛らしい。


前のお休みの日について書きました。


休みだ。
何をしようか迷っていた。
体が運動不足なので、スタジオで録音はやめた。
どうせ声は出ないだろうし。
まずは、体と心のエネルギーチャージだなと思った。
とりあえず外に出て歩いて、なんとなく銭湯に行った。
早い時間には、体に立派な絵が描いてある人が多い。
それから海にでも行こうかとちょっと思ったが、いまいち気が乗らない。
電車一本で行けるようだが、それでも遠すぎるのだ。
そこで、地下鉄の一日乗車券を買って大阪を見て周る事にした。
日頃の行動範囲が狭いからと思って。
ついでにたくさん歩こうとも思った。

どこにでも行ける、自由!
と思ったが、時間には限りがあるのね。
とりあえず最寄りの駅から南下。
着いたのは今里。
なんとなく図書館をひやかす。
エレベーターで四人組のよく喋るおばちゃんと一緒になる。
楽しそうだ、ニコニコしてて長生きしそう。
いいものを見た。
そしてのんびり鶴橋まで歩いた。
20代の頃に自転車で通勤でいつも通った道だ。
大阪に出てきて、広くて取っ掛かりがいまいち掴めなかった感じを思い出した。
大阪広いな。

鶴橋に着く。
活気があり、少し気後れする。
韓国語が聞こえる。
特に買うものは無い、お腹減ってないし。
ひやかしてまわった。
それから日本橋へ。
やっぱりごちゃごちゃした町が楽しい。
外国人観光客が戻ってきていた。
彼らがレコードを漁っていて、中古レコードCD屋にも活気が戻っていた。
嬉しい。
どんどんレコードを買って日本のCD屋さんを活気づけてくれー、と思った。
他の店では、若い子が店員さんに楽しそうに昔の音楽について色々質問してて、何だか見ていて癒された。
音楽好きが集まる場所があるっていいな。
またもや良いものを見た。

なつのためにおたまじゃくしのフィギュアを買った。
CD屋でローリングストーンズのファーストを買った。
ユーチューブで聴いて、手元に欲しいなと思ってたアルバムだ。
その後のロックを作り出したアルバムの一つだ、持ってて損はない。

結局、知ってる範囲内で行動してしまった。
西成に行ってお酒でも飲むかと思ったが、時間がないので却下。
お腹減ってないし。
帰りに玉造に寄り、三光神社にお参りした。
三光神社は寄りたかった。
10年前、一年半無職だった頃、よく通っていた。
その無職の間は基本のんびりと過ごしてたんだけど、それなりに仕事何しようかとか、定職を持って結婚できるんだろうか、とか不安だった。
考えてもいい考えが浮かばないので「神頼み」と思ってよくお参りしてた。
結局、幸運なことに何とかなった。
あの時はありがとうございました、とお参りする。

しかし、無職期間も病気療養期間も、振り返れば人生で輝いていた時だった。
人生で時には思う存分立ち止まって良いのではないかとも思う。
ゆっくり味わって過ごせたのだもの。

家に帰ったら、予想通りなつがおたまじゃくしを喜んでいた。
一緒におばあちゃん家の田んぼを作ろうと言うので一緒に作った。
ストーンズはやっぱ良かった。
後のブルースロックやディラン等に影響を与えたのが良く分かる。
歴史的に見たらビートルズに匹敵する偉大なアルバムだ。
当時は衝撃的だったろうな。


ふと頭上を見ると、



空めっちゃ青いやんか!の写真。

なんかここ最近、空が凄く綺麗な時がある。
よく雨が降るからかな。
少し得した気になる。

ここ最近の小さな出来事。
図書館でボンジョヴィのベスト盤とビートルズの「レット・イット・ビー・ネイキッド」を借りた。
子供らがピクミン4の真のラスボスを倒したと言っていた。
捕まえたカブトムシが死んでしまった、、悲しい。
お盆だからとお酒を飲んでたら、酒量が増えた。
自転車のハンドルのゴムのグリップを交換した。
くら寿司に行った。
メルカリで安くスニーカーを手に入れたので、古いスニーカーを処分した。
眼鏡を新調しに行き、初の遠近両用レンズにしてもらった。担当者が木村さんだった。
鼻あての壊れていた古い眼鏡を自分で修理。100均で耐震マットを買って切ってくっつけ、一週間しのいだ。
ズボンに自転車の鍵を入れたまま洗濯してしまい、次の日慌てた。
もみじ饅頭が美味かった。
10円クレーンゲームで恐竜のゴム人形を取るのに必死になって6〜700円使った。
蚊を退治したら、クリーム色のズボンに血が付いた。
サンディで売ってる、コンドームみたいなゴムに入ってるアイスがちょうどいい量でよく食べた。



娘が夏休みの宿題で読者感想文を書いていた。
選んだ本は絵本のスイミーだった。
なかなか教科書的な感想文であった。
先生が読むのを想定して書いている気がした。
しかし、本の感想なんてもっと自由に書いていいんじゃないだろうかと思った。
例え後味の悪い文になったとしても。
試しに僕も書いてみたらどうなるだろうか、と思った。
暇にまかせて、ほんとに書いてみた。

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「スイミーを読んで」

子供の頃に読んで記憶に残っていた本だ。
我が家にも子供用に買ったスイミーがある。
今回感想文を書くにあたり、久しぶりに読み返してみた。

まず私は、スイミーが何かの象徴ではないかと感じた。
ではいったい何を象徴しているのだろうか。
可愛らしく楽しく泳ぎ回っていた魚たち、ある日マグロが現れて仲間がみんな食べられてしまう。
どうも私には魚たちが「子供の魂」の象徴に思える。
自由に伸び伸びしていた魂が、ある日食べられてしまう。
子供の自由な魂を食べてしまうものとはいったい何だろう?
学校教育か、集団生活か、常識、社会、いじめ?
そこはおそらく読者によって異なるのだろう。

そして死んでしまった魂たちの中で、地味で目立たない色で泳ぎの速いスイミーだけが生き残る。
私はスイミーとは、"その子供の魂の中の目立たないが奪われる事のないタフな部分"の象徴だと考えた。

そしてスイミーは、孤独、恐れ、不安の中で世界を見て周る。
そうやって広い世界を見た事で、スイミーの物事を見る目は育ったのだろう。
岩陰で怯えて自由に泳げない仲間たちと出会う。
おそらく作者は、子供達もスイミーと同じように孤独の中で世界を観察し、似た仲間と出会う事で新しい自分の魂を発見して欲しいと思い、このお話を書いたのだろう。

スイミーは仲間と協力し大きな魚の目になる。
魂が傷ついても孤独の中で世界の美しさや広大さを見て、仲間を見つけ勇気を持って行動できた者が、世界を見据える「目」と自分自身を獲得できるのだ。
子供達にはそのようにタフなスイミーを心の中に持っていて欲しいと思う。
というか、親として魂の中のスイミーを育ててやらねばならないのだ。


   
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