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カテゴリー「雑記」の記事一覧
人生とは何かと考えてしまう。
あと10年くらいで子供が成人する。
10年なんてすぐだ。
その間に何をしてやれるんだろう。

自分の事を思い出すと、人生の主導権を早いうちから自分で握るのが大事な気がする。
その為には反抗期が必要なのかもしれない。
こんな親から早く独立してー、と思わせた方がいいのかも知れない。
何か明確に大事な物事をしつこく言って、うるせーなーって独立した後、あー父さんの言ってた事、役に立った、と思うくらいがいいのかもしれない。

愛情をもらった事からくる自己肯定感が、僕の場合、役に立った。
当面、それを第一にしてるんだけど、人生を幸せに生きれるなんらかのポイントを、伝えられんもんかな、と思う。
僕の実家で植物を育てたりとか、夕食の準備の時、母が鼻歌を歌ってたりだとか、生活の知恵だとか、役に立ってるものはある。

だけど、人生を幸せに送れるポイントって何だろう?
じいちゃんが「友達を大事にせえよ」とよく言ってたが、そういう事か?
「幸せとは愛する者が側にいる事だ」と手紙に書いてくれたりもした。
それなのかもしれない。
人を大切にできる人間に育ててやる事かな。
それから、今、幸せだと気付ける事も大事だ。

自分の大事なもの、好きな事を知っておくというのも大切だと思う。
色んな事をやって、人と関わる事。
人間はそれぞれの課題を自分で解決しないといけない。
その為の心の体力と柔軟性も必要だ。
苦労や挫折しないと得れないものも多い。
人が人に対してできる事って限りはあるのだろうか?
色々考えて、悩むのである、大事な10年だ。
中学生か高校生の頃かな、おじさんに海に連れてってもらった。
10歳下の従兄弟と一緒に。
島根の海だった。
ひとしきり泳いで、浜辺の松林でテントを張ってキャンプをした。
バーベキューみたいなのをした気がする。
男3人でテントで寝た。
おじさんのイビキがうるさかったのを覚えている。
真っ暗で怖かった。

次の日起きると、砂浜には誰もいない。
平日で人が少なかったみたい。
とっても綺麗な日本海の砂浜を貸し切りだった。
今思えば、よく連れて行ってくれたな、と思う。
いい思い出だ。

子供達が物心ついてきたので、何かしてやりたい。
考えた挙句、釣りセットを買ってみた。
簡単な川釣り用のやつ。
夏休みの間に、釣りをさせてやろうかと思ってる。



夏になぜか聴きたくなるアルバム、細野晴臣の「Calm」と坂本龍一の「サウンドトラックス」。
どちらもベストアルバムである。
昔、夏に聴いた記憶が残ってるのだろう、この時期にその2枚を思い出す。
大学生の頃住んでたアパートの窓を開けて、水色のガラスの小さい灰皿を使いタバコを吹かす。
その感じを思い出す。
そして涼しい気分になぜかなる。
「Calm」が、YouTubeにあった。
BGMにどうぞ。

"Calm" The Best Instrumental Music Of Hosono Haruomi
ブルーレイレコーダーが壊れ、ななこと一緒に買いに行った。
こういう機械ものは、フォーマットが変わったりして厄介だな。
機械類の入れ替わるサイクルの、体感時間が若い時より短い。
同じ7、8年でも、今と子供の頃ではまるで長さが違う。
それで、新しい物に次々変わるように感じるんだろう。

カメラで撮った動画を、母親に手軽に見せる方法はないかと検討してる。
ファイルの形式、サイズ、ややこしい。
DVDに焼くより、メディアプレイヤーで動画ファイルをそのまま見れるようにしようかと思ってる。
しかし、日本製で手ごろなものがない。
老人でも使いやすいものがあればいいのに。
いっそ母親にネット関連の物を教えようかな。
ややこしい。


休みなので子供たちと遊んだ。
ななこは遊びのルールを作るのが好きなので、うちではそれを「ななこルール」と呼んでいる。
前に書いた、積み将棋もそうだ。
今日はそのななこルールで、三人でそれぞれ固有名詞を言い、それでお話を作るというのをやった。
例えば、「鳥」「傘」「公園」の三つのお題が出たら、「鳥が飛んでいました、雨が降ってるので上からは傘がたくさん見えます、そのまま公園の木にとまりました」みたいな短いお話を作る。
なかなか楽しかった。

もう一つは、目を閉じてる人に音で場所を特定されて、指さされたらアウト。
バレないように、こっそりカードを写真に撮るというゲーム。
ななこもなつも白熱してらっしゃった。
そういうゲームを作る才能はあるようだ。
誕生日で、なつは終始機嫌よく過ごした。
子供が喜んでいると、親も嬉しい。
ななこは最近練習してるリコーダーで、ハッピーバースデーを吹いた。
なつがプレゼントに欲しがったのは、アニアという可動式の動物や恐竜のフィギュア。
嬉しそうにそれで遊んでいた。
ななこは、手作りの化石の恐竜をプレゼントしてた。

「旅立ちの時」と言う映画の中に、誕生日のシーンがある。
好きなシーンだ。
主人公のリバー・フェニックス演じるダニーが、自分の母親の誕生パーティに、ガールフレンドのローナを招く。
それぞれが手作りのプレゼントを、母親に渡す。
プレゼントは買ったものではいけない、という決まりなのだ。
ローナは、自分の家と違う暖かい雰囲気にいいなと思う。
食後に片づけをしながら、ジェイムス・テイラーの「ファイヤー&レイン」でみんなが歌いながら踊る、というシーン。

いい演技なのだ。
脚本も演技も良い。
家族というものをちょっと考えてしまう。
エンディングの、ダニーが家族と別れるシーンでもう一度「ファイヤー&レイン」が流れる。
そういう演出も良い。
何度も観なおしてしまう。

パーティのシーン、youtubeにあった。
布袋寅泰の自伝を読んでた。
音楽はちゃんと聴いたことないが、面白い。
丁寧に書いた誰かの自伝は面白いね。
自分の人生の事だから丁寧に書くんだろうな。

家に帰ると、なつが歯が抜けたと行って見せに来た。
そのままテンションが上がって走り回り、抜けた歯を無くしてしまった。
見つからず、夜まで大騒ぎ。

我が家では、抜けた歯を枕元に置くと、妖精さんがプレゼントを持ってくるのだ。
なつは、妖精さんに手紙を書いてた。

「歯が抜けたけど、無くしました、写真もあります」



毎日書いてると、だんだんと書くことが無くなってくる。
なんかあったとしても、読んでもつまんないだろうな、とか考え出す。
そして昔の事とか、人生とかからほじくり出そうとしたりする。
そういう時になんだか頭を使うので、良いような気がする。
なので無理やり何か書こうとしたりする。

朝の通勤ルートで、町の商店街を通るようになった。
アーケードのせいで暗い商店街を抜けた時の、駅前の空が開けてくる感じが好きなのだ。



今日は高田渡とマーティン・カーシーの入ったカセットテープを聴いていた。
高田渡は、なんでいいんだろう。
僕は特に日本のフォークが好きな訳ではないのだ。
フォークが好きだと言うと、割と面倒な誤解が生じるのである。
その辺りの説明がややこしい。

60年代から70年代の日本のフォークは、おそらく大雑把にボブ・ディランとピーターポール&マリー等に影響を受けた音楽なんだろうと思う。
フォークって、元は"民間の"みたいな意味だ。
アメリカでのフォークリバイバルの頃に、働きながら歌う労働歌、子守唄、過去の事件を歌った伝承歌みたいなのを取り上げて歌う人達がでてきた。
ブルースとかも大まかにはフォークなのではないか。
たくさんの人を通って、膨らんで伝わって来た歌を、元々はフォークって呼んだんだと思う。
歌詞を変えたりもしたし、そういうのも全然OK、著作権フリーみたいな世界のはず。
それが著作権とか言い出して、やれツェッペリンや、ポールサイモン、が盗作だ、となってきた。
そして根無し草みたいになって行く。

日本のフォークソングみたいなCDを借りた時、高田渡だけ古くなかった。
ミシシッピ・ジョン・ハートみたいなギターの弾き方だったから古く聞こえなかったんだろう。
そういうルーツに根付いていた。
当時そういう人は珍しかったんだと思う。

ミシシッピ・ジョン・ハートの歌を和訳したり、あちらの曲に日本の詩人の詩をのせたりしてたみたい。
元歌はアレだよとかネタにされていたけど、フォークって本来そういう音楽なのだ。
自分自分してない音楽。

当時僕は、躁鬱症の後で、音楽のオリジナリティを追求して狂気の世界に行くのがとても怖かった。
だから、そういう人と繋がってる歌、自己表現でない音楽にとても救われた。
そういうのに僕も繋がりたかった。
マーティン・カーシーもそういう強い音楽だった。

そういう説明し辛い独自な事をしてると誤解も多いんだろうか、渡さんは酒に溺れていった。
ライブのMCで西岡恭蔵さんの自殺に触れて、「死ぬなら水を張った洗面器に顔をつけて死んだら、あー、あの人は根性があったなと言われるよ」、とおっしゃって笑いを取っていた。
渡さんが亡くなった後に、そのMCを思い出して、酒の入った洗面器に顔をつけて亡くなったようなもんだと思ってしまった。
それ以来、高田渡の歌を聴くのがちょっと辛くなった。
年取っても音楽をやっている希望、みたいな感じの人だったので、余計に。

「タカダワタル的」のサントラCDを最近は聴けるようになった。
スタジオ録音やそれ以前のライブより、何か抜けてる感がある。
とっても幸せそうだ。
力みのない、そういう境地にいたんだと思う。
凄い人だったんだと思う。
だが僕は酒は嫌だなと思うのだ。
笑いを取れる、親しみの持てる弱みではあるけど、身体を壊すまで飲んじゃダメだ、、


夏だ、どこを見ても夏だ。
今くらいが一番いい。
この一週間だな、きっと。

子供の頃の夏は、八月最初の週に地域の子供会で廃品回収をし、海に行き、十日に小学校の早起き会があり、楽しみが八月上旬に集中してた。
いまだに、夏の今くらいが一番いいなと思う。
なつなりが生まれたのもこの時期、僕の躁鬱症の発症もこの時期、、
きっと生命力の強い時期なんだろう。
蟻もせっせと蝉の死骸に群がっている。



母親に電話したら、お茶の葉を揉んでたとこだ、と言ってた。
そういや昔、はっぴいえんどのベスト盤をラジカセで鳴らしながら、お茶もみを手伝った。
母がそれを覚えてて、CMでレヨナ?が「風をあつめて」を歌ってるのを見て、あの歌だねー、と言っていたのを思い出す。

職場で暑いので、涼しいかなと思って麻のパンツを買ってみた。
そんなに通気性が良かった訳ではないけど、ちょっと開放的な気分になった。
それで今日は機嫌良く、ずっと、今の時期いいなーと思いながら働いてた。
なんやろ、ほんまにすごくよい。
何をする訳でもないが、ただぼんやりするだけで良い。
こないだ雷が鳴って、夕立ちがあった。
天気雨で虹も出て、子供らがはしゃいでた。
なんかいい。
やっぱり今の時期はいい。
汗をかくのまで、良く思えてくる。

トンボが川岸に卵を産んでいる。
チョンチョンと水面におしりをつけている。
ヌートリアの子供もいた。
小さいからか、泳ぐのが早い。
でかいカニが出てきた。
ほんとに横歩きだ。
魚も多い。
横腹の模様が綺麗なヤツがいる。
なんていう魚なんだろうか?

昨日は、なつがヒキガエルを飼いたいと言ってた。
なんでヒキガエルなんだろ。
昔、実家の裏庭でヒキガエルに遭遇した話をしたら、嬉しそうに聞いていた。
僕もヒキガエルが好きだったのだが、一度しか見た事がない。
その時は網を取りに戻ったらいなくなっていた。
カエルなのに、なんだか風格があった。
自然の中の生き物っていいな。

尾崎裕哉という人の本を借りた。
尾崎豊の息子さんである。
とても面白て、スラスラ読んでいる。
デカすぎる父親の存在が付いて回る。
音楽をやろうとしたら、どうしても尾崎の息子、として注目される。
懸命に自分の歌を作ろうとするのが切ない。



ゆずの歌を、アメリカ人が歌ってる映像が面白かった。
腹痛くなった。

ゆずの


この時期は、光が強いので景色が綺麗だなと思う。
入道雲がモクモクの所が、見てて気持ち良い。
こういう感じの光はそんな長く続かない気がする。
数週間ぐらいじゃないだろうか。
暑い地域ではもっと長く続くのかな。

ところで、筆が滑るという言葉がある。
調子に乗って書かなくてもよい事まで書いてしまう、という意味だそうな。
文章を書いていると、よく筆が滑るような気がする。
正確には筆ではなくて、指なのだけど。
昨日もブログを書こうとして、筆が滑ったようだ。
どうしようかと思ったが、そのまま載せますので、筆が滑ったんだな、と思ってお読みくださいまし。
とりあえず、真面目には書いております。
きつい話も書いたので一応前置きを書いた次第です。

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今年は父親の五十回忌である。
僕の生まれる前の事なので、だいぶ昔である。
父の死はおそらく、僕の生まれた時から人生の課題であり続けたと思う。
それを消化するのに38年かかった。
その課題は、父親がいなくて寂しかったと自覚する事、その影響が根深いものだと知る事、人に普通に公言できる事だったと思う。

子供の頃、定期的に恐ろしい夢を見ていた。
目が覚めても覚えてなくて、恐怖だけが残っていた。
あんまり怖かったので、母親に寝るのが嫌だと泣きついた程だった。
中学の時にやはりその夢を見たのだけど、その時初めて覚えていた。
海の上の真っ直ぐな道の上を、出口に向かって少しずつ自動的に動いている夢。
前後に人はいるけど、その人のとこに行くことも会話することも出来ない。
いつ出口に着くかわからないが、その出口の外で怖い事が起こり、何も出来ず、ただ進んで行くという夢。
この夢を覚えて意識化できてから見なくなった。

30代の頃、あの夢は母親の胎内にいた時の記憶ではないかと思った。
胎内にいた時の母親の強いショックが伝わってたのではないかと思う。
大学生の時、急性の躁鬱症を発症したのもその時のショックが原因ではないかと思う。
無意識のとこに何か残っていたのではなかろうか。

散々、そういう口にできない物を抱えてたのが、芸術に興味を持ち、音楽に固執した理由だと思った。
ある時、そんなもん、もういい年だし、普通に話す事にしよう、と決めた。
そしたら不思議なもんで、結婚して子供ができた。
いや、子供ができて結婚した、、
なんかそれで完全に乗り越えれたように思う。

そういう生まれた時からの宿題みたいなのが、人それぞれあるんではなかろうか、と思う。
先祖からの何やかんや。
僕はどうも父親が見守ってくれてたんではないか、と思う。
先祖もいたかもしれない。
躁鬱症の時や、結婚前にたくさん偶然があった。
僕だけの意思ではないものがあったように思う。
そういう色々な事にとても感謝している。
墓参りくらいしかできないけど。
家族にも感謝している。

昔、タイムマシンのように、という歌を作った。
その中で歌った未来に連れて行く君、は自分自身であり、父親であり、聴いている過去に囚われた人であり、歌そのものであり、大事な人であり、色々な気持ちを込めたつもり。
だけどあんまりに説明不足で、伝わらないとは思う。
しかし効果はあったように思う。
多分、繰り返し歌の事を考えて作るという行為は"まじない"になるんだと思う。
僕は音楽やってて、その"まじない"の部分には触れる事が出来た。
それだけは満足できている。

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