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カテゴリー「雑記」の記事一覧
ちょっとだけクリーニングの仕事に慣れてきました。
 思えば今までシワを伸ばす仕事ばかりしているような気がする。Tシャツ工場では台にTシャツをシワなく貼る仕事だったし、ビデオ屋ではビデオをパックするフィルムをドライヤーで伸ばしていた。なんだかおかしなもんだと思う。

 毎日、自転車通勤の途中で昔住んでいた深江橋を通る。
 深江橋に住んでいた時は、我ながら頑張っていた頃だったと思い出していた。とにかく一生懸命働いてお金を貯めて、ギターを練習して、曲を作ることばかりの生活だった。半年の期限で結果を出そうと思って、カレンダーを毎日塗りつぶして暮らしていた。結局、結果は何も出なかったけど、友達はたくさんできたような気がする。その頃のジョギングコースを、自転車通勤していると、ちょっとまたがんばろうと思ったりします。

 ところで、この前ひょんな事から小学校の卒業記念に描いた自画像の写真を入手した。自分の将来の夢も書いていた。記憶では「ゲームプログラマーになりたい」と書いてたと思ったが、「コンピューターの仕事」と書いてた。懐かしかった。


この前、友人夫婦とfudanというお店に昼食を食べに行った。子供らがちょっとずつ大きくなっていて面白い。前会った時よりお兄さんになっていた。僕を覚えてくれていて、下の名で呼ばれている。
 家に帰ってから、「タカダワタル的」という映画のDVDを久しぶりに観た。その夫婦がちょっと映っているのです。出会ったのはもう9年前になる。早いもんだ。
 映画の冒頭の「仕事さがし」という歌が、いいなーと思った。今までと違って聴こえた。そういうもんなんだね。やっとわかった。

 8月に入ってから新しい仕事に行き始めた。クリーニング業。向いているような気がする。とにかくまず体を仕事に慣らさないといけないなーと思う。
 暑くてのどが渇くので、巨大な水筒を買った。昔から見れば水筒はハイテクになっているね、使い易い。
実家に帰省してきました。

 友人がくれたメールに、僕のブログの文章が変わったので少し心配していた、と書いてくれていた。申し訳ないなと思います。
 失業中だったので、急いで自分の問題や望みを整理して方向を転換しようともがいていた。文章を書くとそんなのが滲み出てくるので、嫌だなーと思いつつ自分を奮い立たせる為に書いてた。
 何とか希望する仕事に決まったので、もう大丈夫だと思う。あとはその職場で頑張ろうと思います。
 とにかく思ったのは、失業はしんどいなーという事、自信や希望を持つのは容易ではない。それから、自分の望む事をはっきり意識しとかないといけんなーと思いました。希望を持てれば出口は見えてくるのではないだろうか。

 その友人に感謝。それから新幹線の中、電話をくれた友人にも。嬉しかった。また前みたいに集まって呑みたいな。

 帰省中に高校野球の県予選を見ていた。出身校が決勝進出していた。15回戦で0対0で再試合になった。今日が再試合なのだが、どうなるだろうか。

 それから家の前で蝉の脱皮を見た。この前助けた幼虫の恩返しだろうか?初めて見た、ダイナミック。

 


作家の田口ランディが本の中で書いていた。
 子供の頃に田口という苗字の男の子が好きで、「結婚して田口という苗字になれますように」と祈っていたら、大人になってから別のたまたま田口という名の男の人と結婚したというような事。
 神様は願いを叶えてくれるが、割と大雑把に叶ってしまう、のかも知れないと書いていた。

 僕は10代の頃にレンタル落ちの中古のレコードを安く手に入れる事ができた。そしてそのたくさんのレコードを聴きながらジャケットのレンタルシールを剥がしている時に幸せだなーと思ったことがある。
 それから、大人になって僕は中古ビデオ屋で働いていて、同じ状況になっている事に気がついた。有線放送を聴きながら中古ビデオのレンタルシールを剥がす事が仕事になっていたのだ。
 なんか違うんだけどーと思った。確かにその作業は自分に向いているんだけど、別に僕は音楽を聴きながらレンタルシールを剥がしたかった訳ではない。好きな音楽を聴きながら好きなレコードのレンタルシールを剥がすのが幸せだったのだ。変な叶い方をしちゃったなーと思った。

 もし神様がいるのなら、大雑把なのかもしれない。自分で具体的に考えないと変な叶い方をするように思う。とりあえず勉強になったので良しとするけど。


しばらく前に、そうだ、砥石で包丁を研いでみよう!と思いインターネットで研ぎ方を調べて研いでみた。するとまぁ切れ味が全然違うので、やった甲斐があったと思えた。それでこれからは月一で研ぐことにした。
 しかし、包丁を研いでいると、昔話の人食いの鬼婆をイメージしてすこし笑える。

 それにしてもインターネットは便利だと思う。そのうち木材を買ってきて日曜大工で棚とか作ってみたいと思う。調べれば色々作り方や直し方、飼い方が分かるのでありがたい。今さらですが。


近所の神社でお祭りをやっていた。先週は玉造稲荷神社、今週は三光神社。
 地元の子供がたくさん行ってて、賑やかでいい感じ。こういうのを見るとホッとする。地域社会がしっかりしているっていいもんだ。

 テレビで真田幸村の特集などがあると割りとよくこの三光神社が映る。それを見ると「俺の神社がテレビに映っている」と思う。我ながら子供みたいな思考回路だと思う(笑)俺の神社…俺の町…俺の山…、子供の発想…

 思い起こせば三光神社には本当にお世話になっている。不安になると神社にお参りする。
 だけど、この神社はすごいものでもう4つ願いを叶えくれた。ありがたい。本当にお世話になっている。今日なんか財布に小銭が無かったから、お賽銭なしで参ったのにキチンと4つめの願いを叶えてくれた。

 神社、すげー。後でお礼を言いに行こうと思う。
希望を持つことは大事なことだと思うようになった。もう3、4年希望について考えている。

 その為に自分の心に問わねばならない。一番大事なものをはっきり持っておくこと、その他に大事なものの優先順位をはっきりさせておく事。自分はそうしていなかったから、手段がいつの間にか目的に変わってしまって道をそれたりしたのだと分かった。一番の目的を決めていないと人に流された時に行く先を見失う。目的がはっきりしていれば、人に流されず影響や刺激を得れる。つまり目的が定まっていないと本当に上手く人と関わる事ができない。そういう風に考えている。
 
 だけれど、自分の心と向き合うのは難しい。根強い無意識の恐怖、劣等感がもしあるのなら、それらと向き合わねば自分の事は分からない。
 無意識に余分な物がくっ付いていない人は幸いだ。そういう人は実に素直に歩んで行ける。親の力なのだと思う。
 僕は自分の無意識の場所に何か恐怖があるように思えた。だから父親の事を書いてそれに向き合おうと思った。
 病気の事を書くのは自分に向き合う為ではない。人には色々事情があると言うこと、それから事情に振り回されている人に、僕もそういうのがあるのだと知って欲しかった。病気の事はもうクリアできた事。学んだ事も多い。事情があることで得する事もある。人と深く関われる。

 そういうことを色々書いても結局は、自分の視点からわかった事でしかない。だけど、僕は何か書きたかったのだ。自分の得たものは何なのか知りたかった。それに、自分の無意識の恐怖も知りたかった。

 小学生の時に怖い夢を見続けた事があった。それで眠るのが怖くなった。起きた時には夢を覚えていなくて恐怖だけが残っている。もう眠りたくないと思った。
 中学に上がった頃にその夢をまた見た。そしてその時は内容を覚えていた。海の上の道をわたって行く夢だった。その道の先で怖い事が起こっていて、自分はそこに向かって進んでいて、引き返す事ができない。そんな夢だった。
 その夢をはっきり思い出せた後、もうその夢は見なかった。僕はそれは死への恐怖が見せた夢だと思った。
 だけども、ここ数年、その夢は自分が胎児だった頃の記憶が夢になって出たものではないかと思うようになった。父親が事故死した時の母親の思いが伝わった記憶ではないかと思った。

 考えすぎだろうか?

 だけれど、自分では納得できた。僕には父親の死の悲しみが刻み込まれている。だけど、それは孤独な事ではない。人それぞれもちろん色々あるのだから。
 僕は、色々ある人と深く交流する事ができた。それは、やっかいな事を背負っていたおかげだ。

 差し引きゼロならば、大きく悲しければ、大きく喜ぶ事もできる。

 そんなものなのだろう。希望は誰かが親切にも与えてくれるのだ。
今朝は、自分で編集した中1セレクションを聴いて走った。中学1年の時に聴いていた音楽を詰め込んだもの。1986年頃の洋楽と、桑田バンドのシングルが入っている。ホイットニーとかジェネシス、ヴァン・ヘイレン、スターシップ、ロッド・スチュワート、スプリングスティーンなど。
 これらが走るのにすごくいい。中1の時僕はとても気分良く毎日を過ごしていたので、そういう気分に戻れるみたいだ。別に今が苦しいと言う訳ではないけれど、1986年は幸せな気分で過ごしていた。悩みがまるでなかった気がする。ラッキーだったのか。
 そしてまだギターを弾いていなかったので、本当にギターの音もあまり気にせず、楽しんで音楽を聴いていたかもしれない。
 という訳で、1986年の音楽は僕の耳に特別に聴こえるらしい。ありがたいことに。

すこし前に蝉の幼虫を見た。歩道を這っているのを見つけたのだ。
 蝉の幼虫などは初めて見た。夕方に見たけれど、体内時計が狂っていたんだろうか?歩行者に踏まれそうだったので、拾いあげて木につかまらせてやった。後で抜け殻があったのでうまく脱皮できたようだ。良い事をした気になった。
 恩返しにこないだろうか。


 ベランダのアジサイの花が緑色になってきた。それはそれで綺麗なのだけど、白からピンクや薄紫になる頃が一番綺麗に思えた。

 その頃の写真。

3日続けて書いてみた。ろくな事が書けないから、書かなかったのだけど、文章を書いてみよう。1歩進むには、9ぐらい失敗せねばならず、9ぐらい「ああ、書かなければ良かった」と思っても、それでいいように思う。
 それは色んな事に言えるのではないだろうか。進んで恥をかくぐらいの気持ちで自分の場合ちょうど良い様に思う。

 そんなモードになった。


 さっき、走りながらVAN HALENの”5150”を聴いていた。今、自分に必要な音楽だ。喝を入れてくれるような音。そして凄く懐かしい音。

 今は必要な音楽しか聴かない時期みたい。5年おきくらいにそうなる。

 20歳の時はT.REXや、パワー・オブ・ドリームス。25の時はジェイムス・テイラーや、高田渡。
 30で、アメリカルーツのフォーク。35で、学生の時に聴きたくても結局聴けなかったバンドを聴きあさった。
 で、今が、中高生の時に聴いてたロックをこのんで聴いている。

 思えばフォークは鎮痛剤のような音楽だった。今はリボビタンDみたいなのが必要みたいなのだ。

 そういうのはたまに聴くぐらいでいいみたい。BGMなら、今は何を聴いてもそれなりに楽しめる、というか心地よく聴き流している。


 暑いけど、またまめに走ろうかな。
   
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