「冬至を挟んだ独り言」
休日に、ブログだか何だか分からない文章を書き始めるも、いつのまにかほぼ独り言です。
まぁ、いいやって感じで。。載せます。
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今、公園にいる。
寒いので人がほぼいないが、快晴なので陽にあたっていれば意外と暖かい。
しばらくぼんやり日光浴も良いかもしれない。
手元に水筒、本二冊、ペンとノート、iPod、などがある。
もうすぐ50才になるのだが、25才の誕生日に大阪に越してきたので、ちょうど広島と大阪で半分ずつ暮らした事になる。
すげぇのう、ホンマかいな?である。
げに長いこと時間が経ったのう、って感じで嘘やろ?である。
ぼく、言うとるが元々わし言うとったし、アイデンティティもよう分からんのである。
見る夢も広島と大阪が混じっとるしのう。
もうワヤですわ。
この25年も早かったが、こっからの25年はもっと早いだろうな。
もう子供の頃の記憶も、青年の頃の記憶も、30代の記憶も遠いので全て同じくらいの鮮明さで同列に並んでいる。
記憶の鮮明さは時間の近さにではなくて、その出来事のインパクトの強さに比例している。
おかしな感じだ。
きっと歳をとって子供返りするのは、子供の頃の記憶のインパクトが強いからだろう。
この前手に入れたジェネシスのアルバムを聴く。
やはり好きだ。
1986年発売だから1986引く1974で、12。
あれ、わし12才の時?
中1って12才なのか。
あと3年で、ななこ12ではないか。
いや、2年半くらいだぞ。
マジか?
あと2年半くらいで一生大事になるような物に出会う可能性があるって事なのか?
人生って貴重だな。
子供だ大人だと分けてる場合ではない。
もう本当にその人生の経験を尊重してやらねば。
良い事に気付いた。
ああ、もうA面最後の曲になる。
何も考えず、ただ聴こう。
あぁ、独り言口調になっている。。
「イン・トゥ・ディープ」だ。
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次の日に独り言の続き
そう、12才で外国の音楽のベテランの本気の仕事を聴いてしまたっのだ。
ぼくの実家の家族はサザエさん一家みたいな構成で、フネさんとマスオさんが不在でワカメちゃんが男という感じで想像してもらえば分かりやすい。
フネさんが亡くなった後、波平さんが父子家庭を支え、サザエが嫁いですぐにマスオを亡くし磯野家に帰ってきて産んだタラちゃんがぼくだ。
波平さんよく頑張ったな、偉い。
タラちゃんのぼくが中学生になった頃、マツダという自動車会社を辞めて家でブラブラしてたワカメおじさんが、音楽に興味を持ったぼくにステレオ一式をまるまる貸してくれた。
挫折を知ってたワカメおじさんは優しかった。
そしてタラちゃんのぼくは当時バブル全盛のその頃、ステレオをいじりラジオやレコードから豊かな音楽の世界を知る事になったのであった。
こうやって書くと自分の境遇を客観的に考えられるもんだなあ。
高校から家を出たぼくにとっては、中学当時の音楽の記憶は家族の愛情とセットになっているようだ。
なのでエイティーズの音楽やカセットテープが、ぼくにとってとても温かい物に感じるという訳か。
じいちゃんは日本は戦争に負けてアメリカに家族制度を壊された、と言っていた。
そうかもしれない。
少子化は核家族化と関係があるんだろう。
それでもぼくは子供らにたくさん経験を与えてやりたいのだが、どうしたら良いんだろう。
こういう言葉を本で拾った。
本当に愛するのなら、詩人であることを止めなければならない
詩人であろうとするならば、彼は愛することを、生きることを諦めないといけない
分かる気がする。
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