母の亡くなった日に実家に、お米30キロが3袋、農協から配達されました。
母宛の配達で、こちら○○さんですね、と聞かれとっさに「あ、今朝亡くなったんですよ」と答えてしまいました。
配達員さんは何て思ったんだろうかと気になる。
今思うと、なんかちょっとコントみたい、笑←(不謹慎ね。。)
今年はクリスマス感まるで無しでいたので忘れてたが、もうクリスマスではないですか。
ぼくの好きなクリスマスソングの「メリークリスマス・イン・サマー」を聴いてみた。
KUWATAバンドね。
これを聴くと、気持ちが幸せだった中1に戻ります。
去年この歌を練習してて気づいたのですが、英語の語感に近い日本語を選んでて、よくできているなと。
「恋は」→「goin' what's」、「神様が」→「come inside my girl」みたいに。
ぼくの10代は洋楽派だったので(もうそういう人は絶滅したのではないだろうか、日本の音楽の力か?)そういう英語っぽい発音にした邦楽は大好きだった。
CHARAもあからさまにそんなんやってたね。
英語っぽい日本語、と思って聴くと面白いです。
母ちゃんは杉山清貴の「最後のホーリーナイト」が好きだったようで、ぼくが覚えてる限りでは唯一、自分でレコードを買ってステレオで何度も聴いていました。
そういえば若い頃は橋幸夫も好きだったようで、タンスの引き出しから橋幸夫の写真が出てきました。
本屋さんにこないだ行ったら、橋幸夫が表紙の雑誌があって、元気だなーと感心しました。
それから、ぼくが二十代の頃にライブを観た、とある弾き語りの方、クラブウォーターのスケジュールを見ていたらその人の名前を見つけて、この20数年、いや、もっと長い間ツアーミュージシャンとして生きてきたのかと、感動しました。
母と同じくらいの年齢。
凄いなと思います。
元気に自分のやるべき事をして生きてるって素晴らしいなと。
この世にはすごい生き方の人がたくさんいるもんだ。
母宛の配達で、こちら○○さんですね、と聞かれとっさに「あ、今朝亡くなったんですよ」と答えてしまいました。
配達員さんは何て思ったんだろうかと気になる。
今思うと、なんかちょっとコントみたい、笑←(不謹慎ね。。)
今年はクリスマス感まるで無しでいたので忘れてたが、もうクリスマスではないですか。
ぼくの好きなクリスマスソングの「メリークリスマス・イン・サマー」を聴いてみた。
KUWATAバンドね。
これを聴くと、気持ちが幸せだった中1に戻ります。
去年この歌を練習してて気づいたのですが、英語の語感に近い日本語を選んでて、よくできているなと。
「恋は」→「goin' what's」、「神様が」→「come inside my girl」みたいに。
ぼくの10代は洋楽派だったので(もうそういう人は絶滅したのではないだろうか、日本の音楽の力か?)そういう英語っぽい発音にした邦楽は大好きだった。
CHARAもあからさまにそんなんやってたね。
英語っぽい日本語、と思って聴くと面白いです。
母ちゃんは杉山清貴の「最後のホーリーナイト」が好きだったようで、ぼくが覚えてる限りでは唯一、自分でレコードを買ってステレオで何度も聴いていました。
そういえば若い頃は橋幸夫も好きだったようで、タンスの引き出しから橋幸夫の写真が出てきました。
本屋さんにこないだ行ったら、橋幸夫が表紙の雑誌があって、元気だなーと感心しました。
それから、ぼくが二十代の頃にライブを観た、とある弾き語りの方、クラブウォーターのスケジュールを見ていたらその人の名前を見つけて、この20数年、いや、もっと長い間ツアーミュージシャンとして生きてきたのかと、感動しました。
母と同じくらいの年齢。
凄いなと思います。
元気に自分のやるべき事をして生きてるって素晴らしいなと。
この世にはすごい生き方の人がたくさんいるもんだ。
気づかない間に財布を失くしていました。
落としたのか、なんなのか?
今まで財布を失くしたことはなかったので、もしかしてワシすごく疲れてる?と思い、次の日の仕事を休むことにしました。
リフレッシュずる休み。
ずる休みも初めて、というか、ずるしないと休めない会社ってどうなのよ、と思う。
最近どうも会社がおかしいと思う、年明けたら労基に行く予定。
というわけで、心を休ませる時間をとりました。
でも免許証、マイナンバーカード、キャッシュカードの再発行はしないといけない。
のんびり再発行の手続きまわりです。
最近手続きばかり。
やれやれ、疲れてると愚痴もでるわね、リフレッシュ、リフレッシュ。
谷川俊太郎さんの詩集をパラパラと読んでいました。
「ベージュ」という本で遺作になった作品のようだ。
実は母と谷川さんは同じ日に亡くなっていて、大好きだったのもあり気になってたの。
母が救急搬送された時にも、落ち着かず、その「ベージュ」を少しめくって読んでいました。
その時には谷川さんもまだ生きていた。
へんな感じ。
昔の写真や、昔の音楽を聴いても思う、この時は母も祖父も元気で生きていた、って。
やっぱり疲れている、、
大まかに四十九日と手続きが終わったら、気が抜けたみたい。
すごく眠いし、甘いものが欲しくなる。
ネットで見てた。
大事なものを失くすのは、厄が落ちるという意味もあるんだって。
だといいけど。
他に、財布を失くすのは、金銭トラブルの前兆だから、お金の使い方に気をつけてとも書いてた。
確かに、葬儀代や香典、お布施、香典返しなんかで、たくさんのお金が動き、このところ大変でした。
いつも通りの質素な生活に戻らなきゃね。
再発行の手続き、1日じゃ終わらない。
しかたなく、また出直すことにした。

大きなくすのき

ドラえもん
落としたのか、なんなのか?
今まで財布を失くしたことはなかったので、もしかしてワシすごく疲れてる?と思い、次の日の仕事を休むことにしました。
リフレッシュずる休み。
ずる休みも初めて、というか、ずるしないと休めない会社ってどうなのよ、と思う。
最近どうも会社がおかしいと思う、年明けたら労基に行く予定。
というわけで、心を休ませる時間をとりました。
でも免許証、マイナンバーカード、キャッシュカードの再発行はしないといけない。
のんびり再発行の手続きまわりです。
最近手続きばかり。
やれやれ、疲れてると愚痴もでるわね、リフレッシュ、リフレッシュ。
谷川俊太郎さんの詩集をパラパラと読んでいました。
「ベージュ」という本で遺作になった作品のようだ。
実は母と谷川さんは同じ日に亡くなっていて、大好きだったのもあり気になってたの。
母が救急搬送された時にも、落ち着かず、その「ベージュ」を少しめくって読んでいました。
その時には谷川さんもまだ生きていた。
へんな感じ。
昔の写真や、昔の音楽を聴いても思う、この時は母も祖父も元気で生きていた、って。
やっぱり疲れている、、
大まかに四十九日と手続きが終わったら、気が抜けたみたい。
すごく眠いし、甘いものが欲しくなる。
ネットで見てた。
大事なものを失くすのは、厄が落ちるという意味もあるんだって。
だといいけど。
他に、財布を失くすのは、金銭トラブルの前兆だから、お金の使い方に気をつけてとも書いてた。
確かに、葬儀代や香典、お布施、香典返しなんかで、たくさんのお金が動き、このところ大変でした。
いつも通りの質素な生活に戻らなきゃね。
再発行の手続き、1日じゃ終わらない。
しかたなく、また出直すことにした。
大きなくすのき
ドラえもん
先週末に、49日法要と納骨で帰省しました。
その前に帰った時はとても寂しかったけど、今回は前ほど寂しさはなかったです。
奥さん子供らが先に行って待っててくれたからかも知れません。
こうやって少しずつ慣れるのかしらね。
今回は祖父の命日と合わせてやったので、祖父の方も参ることができた。
祖父と過ごした家でお経を聴いていると、子供の頃を思い出しました。
幸せだったな、子供の頃、としみじみ思い出した。
今は今で良いんだけど、みんな若くて元気だったのね。
それが大きいです。
納骨の日は朝から雨や雪が降ってたんだけど、なんとか納骨式の時はほぼ降らず無事に済みました。
墓の中に骨壷を入れたのですが、父ちゃんの横に母ちゃんの骨を入れれて、感無量という思いです。
しかしまあ、墓の周りは濡れてるし、骨を納める穴は深いし、骨壷を割ったりひっくり返したりしたら大変だし、喪服だし、大仕事でした。。
両手を入れられないので、骨壷の端を親指人差し指でつまみ、骨がこぼれないように少しずつ降ろす、、とても神経を使いました。
でもうまくいった。
その後に家に戻って49日法要でした。
実は読経の間、オイルヒーターの真横だったので直接風が当たり、ずっと「暑っ、暑っ」って思ってました。
集中できなくてね、すまん母ちゃん、って感じです。
しかしそういうのも、リアルな生きてる実感なのかも、と思います。
悲しさばっかりじゃなくて、暑っ、とか腹減った、とか。
その後、お供えをくれた隣のおばさんに会いに行きました。(隣とはいえ離れている)
もう本当に子供の頃以来、話してなくて、少し前に火事で家が焼けて旦那さん亡くなったり、自身も事故したりで大変だったんだけど、母が亡くなった時にすごく泣いてくれて、ぼくを見たらすごくニコニコしてくれるのです。
なんか笑顔見てたら元気になるの。
そして、空き家になるから色々と片付けたり準備したりしてましたが、正直時間が足りなくて少ししかできませんでした。
ま、気長にやるしかない。。
いっそ家があるなら引っ越すってのもありなのね。
でも、家族全員の事を思うと簡単には決断できなくて。
子供たちには大阪が故郷で、ぼくも一緒に遊んだ思い出の場所がいっぱいある。
もうホームタウンって感じで。
でも、故郷も実家も大切で。
困ったなあという感じ。
そして一人になると、寂しさがやって来る時があります。
50年ずっと繋がっていたのに、もういないんだ、と妙な気持ちになります。
今は空き家になってしまった実家の建ててた頃の写真を見てた。
あぁ、このイメージがあるから、ここ一年半くらい好んでオーバーオールを着てるのかもしれない。
子供の頃ってピカピカしてる、そのピカピカが一生自分を温めてくれる。
町で遊んでる知らない子供たちも、ピカピカできる世の中であり続けて欲しいなと思います。
その前に帰った時はとても寂しかったけど、今回は前ほど寂しさはなかったです。
奥さん子供らが先に行って待っててくれたからかも知れません。
こうやって少しずつ慣れるのかしらね。
今回は祖父の命日と合わせてやったので、祖父の方も参ることができた。
祖父と過ごした家でお経を聴いていると、子供の頃を思い出しました。
幸せだったな、子供の頃、としみじみ思い出した。
今は今で良いんだけど、みんな若くて元気だったのね。
それが大きいです。
納骨の日は朝から雨や雪が降ってたんだけど、なんとか納骨式の時はほぼ降らず無事に済みました。
墓の中に骨壷を入れたのですが、父ちゃんの横に母ちゃんの骨を入れれて、感無量という思いです。
しかしまあ、墓の周りは濡れてるし、骨を納める穴は深いし、骨壷を割ったりひっくり返したりしたら大変だし、喪服だし、大仕事でした。。
両手を入れられないので、骨壷の端を親指人差し指でつまみ、骨がこぼれないように少しずつ降ろす、、とても神経を使いました。
でもうまくいった。
その後に家に戻って49日法要でした。
実は読経の間、オイルヒーターの真横だったので直接風が当たり、ずっと「暑っ、暑っ」って思ってました。
集中できなくてね、すまん母ちゃん、って感じです。
しかしそういうのも、リアルな生きてる実感なのかも、と思います。
悲しさばっかりじゃなくて、暑っ、とか腹減った、とか。
その後、お供えをくれた隣のおばさんに会いに行きました。(隣とはいえ離れている)
もう本当に子供の頃以来、話してなくて、少し前に火事で家が焼けて旦那さん亡くなったり、自身も事故したりで大変だったんだけど、母が亡くなった時にすごく泣いてくれて、ぼくを見たらすごくニコニコしてくれるのです。
なんか笑顔見てたら元気になるの。
そして、空き家になるから色々と片付けたり準備したりしてましたが、正直時間が足りなくて少ししかできませんでした。
ま、気長にやるしかない。。
いっそ家があるなら引っ越すってのもありなのね。
でも、家族全員の事を思うと簡単には決断できなくて。
子供たちには大阪が故郷で、ぼくも一緒に遊んだ思い出の場所がいっぱいある。
もうホームタウンって感じで。
でも、故郷も実家も大切で。
困ったなあという感じ。
そして一人になると、寂しさがやって来る時があります。
50年ずっと繋がっていたのに、もういないんだ、と妙な気持ちになります。
今は空き家になってしまった実家の建ててた頃の写真を見てた。
あぁ、このイメージがあるから、ここ一年半くらい好んでオーバーオールを着てるのかもしれない。
子供の頃ってピカピカしてる、そのピカピカが一生自分を温めてくれる。
町で遊んでる知らない子供たちも、ピカピカできる世の中であり続けて欲しいなと思います。
録画してたサザエさんを少しずつ観ています。
葬儀の後で実家で観たのがすごく胸に響いたのですよ。
家族って移ろってゆくものだけど、ずっと変わらずある家族って、多くの人の夢なんだろうな、だから長く愛されるんだろうな。
前も書いたけど、ぼくの子供の頃の家族構成はサザエさんとよく似ていた。
フネさんとマスオさんがいなくて、ワカメちゃんが男で、ぼくタラちゃん。
性格も母親以外は割と似てました。
そして昭和の頃って、あんな温かい感じだった。
繰り返しサザエさんを観て、自分の無意識に焼き付けようと思う、なんか効果あるかわかんないけどね。
それにしても、有名人の訃報が続く。
人生後半ってこんなノリなのね。
ノリってのも変だけどな。
いつか親はいなくなる、みんなそう。
むしろもしかして居なくなるのを見届けられた方が幸せなのだろうか、順番的に、そして家族構成的に。
でも、なんでいつか居なくなるという当たり前の事を忘れてたんだろうか。
突然過ぎた。
分かってたら、仕事を辞めて実家に引っ越してた。
そう思ったことで、勇気や身軽さを貰えた気がしてます。
それから、今回はたくさんの教訓も得ました。
それを生かして、ちゃんとした人にならねばと思っています。
でも口だけじゃ、駄目なのね、全然。
しかし、人生の折々で信心深くなってゆくと言うか、人生をお膳立てされてる感、上手く事が運び過ぎやろ感、この偶然何なの感、というのがあります。
ぼくを育ててくれた祖父と母は、ぼくが一番近くにいる時に息を引き取りました。
母は、手を握って「母ちゃん、、」と呼んだのに答えるように心臓が停止しました。
返事みたいだったな、と思いました。
祖父はぼくが隣の部屋でテレビを観てる時に亡くなりました。
そういう日常を愛していたんだな、と感じました。
どちらも悲しかったけど、ぼくを大事に思ってくれてたんだな、と感じる亡くなり方でした。
母は、祖父の介護で苦労してたので、ぼくに苦労させたくなかったのかな、無意識に。
ほんとに3日くらいで、急に、しかもぼくの心の準備が少しずつできるように段階を経て息を引き取りました。
そういうのは、神さまや仏の配慮なのか、それとも生まれる前に自分で決めた人生プランなのか、知らないうちに自分で選んだのか、何かしら理屈を超えた世界があるのか、と感じます。
ぼくは25歳の時に双極性障害の発作があった時に、そういう理屈を超えた世界をひしひしと感じて、同時にもの凄い恐怖もあり、「知らない方が幸せだ」という態度でその後を生きてきました。
今でもそう思っているのですが、やはり何かあると感じています。
だから、お墓、仏壇、神社などには神妙にお参りするのですが、その辺りで留まっています。
しかし、日付けの偶然や、自然や天候の計らい、そんなとこにも人生の不思議が隠れてるような気がして気になってしまいます。
何にしても心を清くしておくのが、孝行であり、身を守る術でもある気がします。
むずいけども。
葬儀の後で実家で観たのがすごく胸に響いたのですよ。
家族って移ろってゆくものだけど、ずっと変わらずある家族って、多くの人の夢なんだろうな、だから長く愛されるんだろうな。
前も書いたけど、ぼくの子供の頃の家族構成はサザエさんとよく似ていた。
フネさんとマスオさんがいなくて、ワカメちゃんが男で、ぼくタラちゃん。
性格も母親以外は割と似てました。
そして昭和の頃って、あんな温かい感じだった。
繰り返しサザエさんを観て、自分の無意識に焼き付けようと思う、なんか効果あるかわかんないけどね。
それにしても、有名人の訃報が続く。
人生後半ってこんなノリなのね。
ノリってのも変だけどな。
いつか親はいなくなる、みんなそう。
むしろもしかして居なくなるのを見届けられた方が幸せなのだろうか、順番的に、そして家族構成的に。
でも、なんでいつか居なくなるという当たり前の事を忘れてたんだろうか。
突然過ぎた。
分かってたら、仕事を辞めて実家に引っ越してた。
そう思ったことで、勇気や身軽さを貰えた気がしてます。
それから、今回はたくさんの教訓も得ました。
それを生かして、ちゃんとした人にならねばと思っています。
でも口だけじゃ、駄目なのね、全然。
しかし、人生の折々で信心深くなってゆくと言うか、人生をお膳立てされてる感、上手く事が運び過ぎやろ感、この偶然何なの感、というのがあります。
ぼくを育ててくれた祖父と母は、ぼくが一番近くにいる時に息を引き取りました。
母は、手を握って「母ちゃん、、」と呼んだのに答えるように心臓が停止しました。
返事みたいだったな、と思いました。
祖父はぼくが隣の部屋でテレビを観てる時に亡くなりました。
そういう日常を愛していたんだな、と感じました。
どちらも悲しかったけど、ぼくを大事に思ってくれてたんだな、と感じる亡くなり方でした。
母は、祖父の介護で苦労してたので、ぼくに苦労させたくなかったのかな、無意識に。
ほんとに3日くらいで、急に、しかもぼくの心の準備が少しずつできるように段階を経て息を引き取りました。
そういうのは、神さまや仏の配慮なのか、それとも生まれる前に自分で決めた人生プランなのか、知らないうちに自分で選んだのか、何かしら理屈を超えた世界があるのか、と感じます。
ぼくは25歳の時に双極性障害の発作があった時に、そういう理屈を超えた世界をひしひしと感じて、同時にもの凄い恐怖もあり、「知らない方が幸せだ」という態度でその後を生きてきました。
今でもそう思っているのですが、やはり何かあると感じています。
だから、お墓、仏壇、神社などには神妙にお参りするのですが、その辺りで留まっています。
しかし、日付けの偶然や、自然や天候の計らい、そんなとこにも人生の不思議が隠れてるような気がして気になってしまいます。
何にしても心を清くしておくのが、孝行であり、身を守る術でもある気がします。
むずいけども。
母の四十九日法要の準備と、残っている各種手続きのために、広島に帰りました。
休みの前日の仕事後にいったん自宅に帰り、着替えて荷物を持ち新幹線に向かいます。
こうなったらこうなったで楽しもうと、おにぎりと文庫本片手に乗車しました。
吉本ばななのエッセイを読みました。
人が亡くなることについての話が多くて、とても今の自分に良いです。
親のいない田舎に帰るというのもなかなか初めてなので、妙な気分でした。
実家近くの向原駅に着くとイルミネーションが。
そういえば葬儀の後に向原駅から大阪に帰る時に、イルミネーションを設置してるのを見ました。
その時はとても悲しい気持ちで見ていました。
あ、できたんだ、と思っていたら“おかえり”の文字のイルミネーションが。
いいですね、故郷だ、と思いました。
タクシーに乗り、誰もいない実家に戻ります。
誰もいないけど、遺骨はあります。
帰ると、「ただいま」と遺影につぶやく。
そして、母が動けなくなっていたコタツの小さな敷きカーペットを洗いながらお風呂に。
静かだな、と思いながら、ずっとここで一人は寂しいなと思い、母の気持ちが理解できました。
風呂を出て、母の写真や日記を見ていたら、心底“寂しい思いをさせたな”と後悔。
遺影の前に行ったら泣けてきました。
ようやくしっかり泣けた気がします。
「寂しい思いをさせたのう、ごめんの」と、言うももう遅い。
この後悔は他の人に(家族、近所の人、ほか)に向けて償うしかないな、と気持ちを切り替えました。
やること山積み、しっかり寝て明日に備えました。
朝起きると、韓国の戒厳令のニュースが。
片目で見ながら、要るものの整理や洗濯掃除。
それから母の弟夫婦の住む隣の家で朝食をよばれました。
二人ともぼくが子供の頃に一緒に住んでたので、気兼ねはそんなにないです。
子供の頃は、母子家庭でしたが、サザエさん一家のような環境でした。
今回、そのおじさん夫婦と密に関われて、ある意味でとても良かったです。
こうやって葬儀、初七日、四十九日などがあることで、残った肉親の絆が強くなるものなのかもしれません。
午前中に、香典返しの注文や名義変更、解約、相続など済ませました。
この一か月、住所書きまくりです。
4、50回書いたのではないだろうか。
墓を見に行きそれから、おじさん夫婦宅でカレーをよばれました。
その後、四十九日法要の準備のために、部屋の片付けとお仏壇の掃除、食器やオイルヒーターやお盆を用意して、自分の着たものの洗濯、家の周りの掃除、帰る準備、まあまあやること多いです。
でもまあ、近所の方々に挨拶に行き顔を見ると、癒されます。
子供の頃の“やっくん”として接して貰えるからです。
そして今度は広島市内までバスで帰ります。
その車内で書いています。
車窓から見える懐かしい町を見ているとたまらなくなります。
学生の頃に楽しく過ごした町並み。
もう無い本屋の跡地。
その本屋のマンガで広い世界を空想した子供の頃。
友達と釣りをした川。
お祭りの記憶。
山に登ったこと、遠足で行った場所、洋楽と出会ったレコード屋さん。
洋楽や洋画で憧れた外国。
小学校、中学校。
あちこち自転車で走り回った。
その時は母親も祖父もおじさんも近所の人も、若くて今より元気だった。
これが人生と時の流れなのねと思いました。
イノトモという人の「シロツメ草」という歌を聴きました。
ママの歌です。
“シロツメ草を編んでいた 小さなボクが振り返る いつしかボクは一人きり こんな遠くに来てしまった”
一人きりではないけど、ま、今現在はバスで一人です。
そして遠いところに来てしまったな、と思います。
でも、きっといつか、母の死後におじさん夫婦や、近所のおじさんおばさん、幼馴染とよく話したな、と今を懐かしく幸せだったな、と思い出すはず。
だから実は今も幸せなんだ。
と、吉本ばなながそのようなことを書いていたような。
きっとそうなのでしょう。
そして新幹線に乗り換えました。
バスとは打って変わって車内は明るく快適で、気持ちも明るくなりました。
普段買わないけど珍しく駅弁を食べました。
うん、いいね。
旅気分。
これから本の続きを読みます。
休みの前日の仕事後にいったん自宅に帰り、着替えて荷物を持ち新幹線に向かいます。
こうなったらこうなったで楽しもうと、おにぎりと文庫本片手に乗車しました。
吉本ばななのエッセイを読みました。
人が亡くなることについての話が多くて、とても今の自分に良いです。
親のいない田舎に帰るというのもなかなか初めてなので、妙な気分でした。
実家近くの向原駅に着くとイルミネーションが。
そういえば葬儀の後に向原駅から大阪に帰る時に、イルミネーションを設置してるのを見ました。
その時はとても悲しい気持ちで見ていました。
あ、できたんだ、と思っていたら“おかえり”の文字のイルミネーションが。
いいですね、故郷だ、と思いました。
タクシーに乗り、誰もいない実家に戻ります。
誰もいないけど、遺骨はあります。
帰ると、「ただいま」と遺影につぶやく。
そして、母が動けなくなっていたコタツの小さな敷きカーペットを洗いながらお風呂に。
静かだな、と思いながら、ずっとここで一人は寂しいなと思い、母の気持ちが理解できました。
風呂を出て、母の写真や日記を見ていたら、心底“寂しい思いをさせたな”と後悔。
遺影の前に行ったら泣けてきました。
ようやくしっかり泣けた気がします。
「寂しい思いをさせたのう、ごめんの」と、言うももう遅い。
この後悔は他の人に(家族、近所の人、ほか)に向けて償うしかないな、と気持ちを切り替えました。
やること山積み、しっかり寝て明日に備えました。
朝起きると、韓国の戒厳令のニュースが。
片目で見ながら、要るものの整理や洗濯掃除。
それから母の弟夫婦の住む隣の家で朝食をよばれました。
二人ともぼくが子供の頃に一緒に住んでたので、気兼ねはそんなにないです。
子供の頃は、母子家庭でしたが、サザエさん一家のような環境でした。
今回、そのおじさん夫婦と密に関われて、ある意味でとても良かったです。
こうやって葬儀、初七日、四十九日などがあることで、残った肉親の絆が強くなるものなのかもしれません。
午前中に、香典返しの注文や名義変更、解約、相続など済ませました。
この一か月、住所書きまくりです。
4、50回書いたのではないだろうか。
墓を見に行きそれから、おじさん夫婦宅でカレーをよばれました。
その後、四十九日法要の準備のために、部屋の片付けとお仏壇の掃除、食器やオイルヒーターやお盆を用意して、自分の着たものの洗濯、家の周りの掃除、帰る準備、まあまあやること多いです。
でもまあ、近所の方々に挨拶に行き顔を見ると、癒されます。
子供の頃の“やっくん”として接して貰えるからです。
そして今度は広島市内までバスで帰ります。
その車内で書いています。
車窓から見える懐かしい町を見ているとたまらなくなります。
学生の頃に楽しく過ごした町並み。
もう無い本屋の跡地。
その本屋のマンガで広い世界を空想した子供の頃。
友達と釣りをした川。
お祭りの記憶。
山に登ったこと、遠足で行った場所、洋楽と出会ったレコード屋さん。
洋楽や洋画で憧れた外国。
小学校、中学校。
あちこち自転車で走り回った。
その時は母親も祖父もおじさんも近所の人も、若くて今より元気だった。
これが人生と時の流れなのねと思いました。
イノトモという人の「シロツメ草」という歌を聴きました。
ママの歌です。
“シロツメ草を編んでいた 小さなボクが振り返る いつしかボクは一人きり こんな遠くに来てしまった”
一人きりではないけど、ま、今現在はバスで一人です。
そして遠いところに来てしまったな、と思います。
でも、きっといつか、母の死後におじさん夫婦や、近所のおじさんおばさん、幼馴染とよく話したな、と今を懐かしく幸せだったな、と思い出すはず。
だから実は今も幸せなんだ。
と、吉本ばなながそのようなことを書いていたような。
きっとそうなのでしょう。
そして新幹線に乗り換えました。
バスとは打って変わって車内は明るく快適で、気持ちも明るくなりました。
普段買わないけど珍しく駅弁を食べました。
うん、いいね。
旅気分。
これから本の続きを読みます。
二週間して、母親の病名がわかったのです。
“悪性リンパ腫”
気づかないうちに病が進行していたんだと思うと、命の儚さを感じます。
そして自分もいつかは死んで行くのだとこんなに実感したのも初めてであります。
葬儀、手続き、がひと段落して、二週間ぶりにゆっくりすることができました。
たくさん寝た。
そして遺影用の額縁を買い、幸せそうだった頃の母の写真を現像しました。
葬儀では、遺影に使えそうな写真が見つからなくて、体を合成したものを使いました。
よくできていて母らしいのだけど、やはり体が他人のものというのが気になります。
だから遺影の横に、初めて孫を見た時の写真を置いた。
あの時幸せそうだったな、というのを見てれば少しはぼくの気持ちも救われるのです。
他の写真も見ていたら、母は小さい子供が好きだったんだなと思いました。
そして、気持ち悪いとは思いますが、時々母に話しかけるように独り言を言っています。
「おはよう」とか、「仕事終わったよ」とか。
母ひとり子ひとりというやつだから、甘えないようにしていたけど、自分は精神的なところではマザコンだったのかもしれないと思います。
やはり一対一なので結び付きは強く、いつも心のどこかに自分の幸せを一番に喜んでくれる人がいるという安心があった。
それが消えてしまった。
そしてじわじわと、ああ、親兄弟がいないんだな、という心細さも芽生えてきました。
------------
と、ここまで書いてから少し時間が経ち、俯瞰して見れるようにもなりました。
つまり、遅かれ早かれ自分もあちら側に行くんだということで。
しばしの別れだと思おう。
とはいえ、できればあと3〜50年は健康に生きてこの世を見届けたい。
できるかしら。
わからない。
本屋で見る本や、テレビで観るご高齢の方々は、概して明るい。
94まで生きたじいちゃんも明るかった。
通夜で集まった、じいちゃん方の親戚もみんな明るかった。
明るさと健康はきっと関係あるんだろうと思います。
それとも健康だから明るいのか?
希望があるから明るいのか?
それとも楽観的だから明るいのか?
よくわからないけど、老人の笑顔っていいなと思います。
とりあえず笑顔のある暮らしを心がけよう。
この機会になんとなく先を思うと、50代、60代、70代以降と、俯瞰して先が見えてしまいました。
そこをできるだけ楽しく、健康にやっていきたい。
もう、ほんとうにいい加減で、適当に余裕持って生き延びたい。
子供らに親が亡くなる経験をさせるのは、出来るだけ先延ばししたい。
そんな風に思うのです。
50代の節目がこねーなと思ってたら、こんな形で来てしまいました。
もう幸せの方に目を向けよう。
きっと心の痛みを持ったまま、素直でいられるはず。
“悪性リンパ腫”
気づかないうちに病が進行していたんだと思うと、命の儚さを感じます。
そして自分もいつかは死んで行くのだとこんなに実感したのも初めてであります。
葬儀、手続き、がひと段落して、二週間ぶりにゆっくりすることができました。
たくさん寝た。
そして遺影用の額縁を買い、幸せそうだった頃の母の写真を現像しました。
葬儀では、遺影に使えそうな写真が見つからなくて、体を合成したものを使いました。
よくできていて母らしいのだけど、やはり体が他人のものというのが気になります。
だから遺影の横に、初めて孫を見た時の写真を置いた。
あの時幸せそうだったな、というのを見てれば少しはぼくの気持ちも救われるのです。
他の写真も見ていたら、母は小さい子供が好きだったんだなと思いました。
そして、気持ち悪いとは思いますが、時々母に話しかけるように独り言を言っています。
「おはよう」とか、「仕事終わったよ」とか。
母ひとり子ひとりというやつだから、甘えないようにしていたけど、自分は精神的なところではマザコンだったのかもしれないと思います。
やはり一対一なので結び付きは強く、いつも心のどこかに自分の幸せを一番に喜んでくれる人がいるという安心があった。
それが消えてしまった。
そしてじわじわと、ああ、親兄弟がいないんだな、という心細さも芽生えてきました。
------------
と、ここまで書いてから少し時間が経ち、俯瞰して見れるようにもなりました。
つまり、遅かれ早かれ自分もあちら側に行くんだということで。
しばしの別れだと思おう。
とはいえ、できればあと3〜50年は健康に生きてこの世を見届けたい。
できるかしら。
わからない。
本屋で見る本や、テレビで観るご高齢の方々は、概して明るい。
94まで生きたじいちゃんも明るかった。
通夜で集まった、じいちゃん方の親戚もみんな明るかった。
明るさと健康はきっと関係あるんだろうと思います。
それとも健康だから明るいのか?
希望があるから明るいのか?
それとも楽観的だから明るいのか?
よくわからないけど、老人の笑顔っていいなと思います。
とりあえず笑顔のある暮らしを心がけよう。
この機会になんとなく先を思うと、50代、60代、70代以降と、俯瞰して先が見えてしまいました。
そこをできるだけ楽しく、健康にやっていきたい。
もう、ほんとうにいい加減で、適当に余裕持って生き延びたい。
子供らに親が亡くなる経験をさせるのは、出来るだけ先延ばししたい。
そんな風に思うのです。
50代の節目がこねーなと思ってたら、こんな形で来てしまいました。
もう幸せの方に目を向けよう。
きっと心の痛みを持ったまま、素直でいられるはず。
あまり音楽を聴く気分になれないのであります。
親の事を歌った何人かの人の歌は聴けた。
歌った人はこんな気持ちだったんだ、と今更ながらほんとにわかりました。
自分だけじゃないと、元気をもらえる。
職場のラジオから流れる音楽は普通に聴けます。
違うように聴こえて、改めて良い歌だなぁと思ったり。
母は三次という街の病院で亡くなったのだけど、その三次には子供の頃に母の車でよく買い物に行きました。
そこで買ってもらった記憶のある何枚かのアルバムはしはりく聴くのが辛くなりました。
ゲームはちょっとだけしました。
「なつもん」が、子供の頃の気持ちを思い出して、気を紛らわせてくれた。
それからテレビで見たサザエさんがすごく良かった。
みんな元気でニコニコしてて、なんやかんやあって。
しばらく、毎週録画して観ることにしました。
そしてそんなこんなで、気を紛らわすために、こうして文章を書いています。
そういえば初めて喪主をやりました。
忙しさや、人と接して、悲しさを分け合うことで、気が紛れるんだなと思いました。
懐かしい人と会いすぎて、嬉しさと混乱があります。
あかんかったなー自分、と思う。
幸せの傲慢さの中にいたのだろう。
でもそういう傲慢さの中いれたのは、ほんとに幸せなのだと思います。
この悲しさが常にある感じ、懐かしい、よく知っている。
自分としては良いものではないけど、けっして悪いだけの感情でもないはずだと思います。
手続きにいるというので、母親の戸籍謄本をとりました。
先祖の名前があり、ドキリとした。
ぼくの母方の曽祖母は、一歳になる前に父親を亡くしていました。
ぼくとほぼ同じじゃん。
もしかしてぼくの前世は曽祖母?とかちと思ったり。
想像の話でしかないけど、もし自分の前世が母親のおばあちゃんだったら素敵だなと思いました。
それから兄妹のように育った幼馴染み、ぼくの婚姻届が受理された日がちょうど命日でした。
なんの因縁なんだろう?と思います。
そういうのも前世があるのなら説明がつく。
それか、運命というものがある程度決まっているのか?そう思ってしまいます。
なんなのでしょう?
???だらけです。
お灸をやってみようと、ふと思いました。
ダイコク薬局にいくと200個入りのしか置いていなくて、そんなにいらないな、と湿布みたいな貼って温めるやつを買いました。
肩や首のコリのツボの所に貼ったら楽になった気がします。
次の日、心の疲れに効くツボの所に貼ってみたのですが、うーん、少しは効き目があった気がします。
コリにはすごく良いです。
親の事を歌った何人かの人の歌は聴けた。
歌った人はこんな気持ちだったんだ、と今更ながらほんとにわかりました。
自分だけじゃないと、元気をもらえる。
職場のラジオから流れる音楽は普通に聴けます。
違うように聴こえて、改めて良い歌だなぁと思ったり。
母は三次という街の病院で亡くなったのだけど、その三次には子供の頃に母の車でよく買い物に行きました。
そこで買ってもらった記憶のある何枚かのアルバムはしはりく聴くのが辛くなりました。
ゲームはちょっとだけしました。
「なつもん」が、子供の頃の気持ちを思い出して、気を紛らわせてくれた。
それからテレビで見たサザエさんがすごく良かった。
みんな元気でニコニコしてて、なんやかんやあって。
しばらく、毎週録画して観ることにしました。
そしてそんなこんなで、気を紛らわすために、こうして文章を書いています。
そういえば初めて喪主をやりました。
忙しさや、人と接して、悲しさを分け合うことで、気が紛れるんだなと思いました。
懐かしい人と会いすぎて、嬉しさと混乱があります。
あかんかったなー自分、と思う。
幸せの傲慢さの中にいたのだろう。
でもそういう傲慢さの中いれたのは、ほんとに幸せなのだと思います。
この悲しさが常にある感じ、懐かしい、よく知っている。
自分としては良いものではないけど、けっして悪いだけの感情でもないはずだと思います。
手続きにいるというので、母親の戸籍謄本をとりました。
先祖の名前があり、ドキリとした。
ぼくの母方の曽祖母は、一歳になる前に父親を亡くしていました。
ぼくとほぼ同じじゃん。
もしかしてぼくの前世は曽祖母?とかちと思ったり。
想像の話でしかないけど、もし自分の前世が母親のおばあちゃんだったら素敵だなと思いました。
それから兄妹のように育った幼馴染み、ぼくの婚姻届が受理された日がちょうど命日でした。
なんの因縁なんだろう?と思います。
そういうのも前世があるのなら説明がつく。
それか、運命というものがある程度決まっているのか?そう思ってしまいます。
なんなのでしょう?
???だらけです。
お灸をやってみようと、ふと思いました。
ダイコク薬局にいくと200個入りのしか置いていなくて、そんなにいらないな、と湿布みたいな貼って温めるやつを買いました。
肩や首のコリのツボの所に貼ったら楽になった気がします。
次の日、心の疲れに効くツボの所に貼ってみたのですが、うーん、少しは効き目があった気がします。
コリにはすごく良いです。
日常に戻ってきました。
気がつくと黄昏たり、もの思いにふけったりしてますが、普通に笑ったりもしてます。
飯も普通に食べてます。
今回感じたのは、ぼくを見守っていた誰かか、何かの「意思」。
神さまなのか、ご先祖さまなのか、母親なのか、じいちゃんなのか。
ぼくの気持ちの準備ができるように物事が動いてたし、慰めもあって、いったいなんなんだろうと思っています。
夜中に目が覚めて、頭が冴えてあれこれ考えていて、ふと感じた「お母さんがんばれ」と「やすしがんばれ」という大勢の意思。
思い過ごしかもしれないけど、安心感に満たされていたら、病院からかかってきた最後の電話。
車に向かう時の、すごく綺麗に見えた星空。
そして病院について5分ほどで息を引き取った母。
病院いる母に何もできず、墓に行って「母ちゃんが今大変じゃ、じいちゃん、ばあちゃん、父ちゃん、ええようにしちゃってくれ」と伝えたこと。
そしてたぶん、ええようになったこと。
それらが整理できずに、慰めとして残っています。
ここからまた馬鹿なことを言ったり考えたりしながら生きてくのだろうけど、“人って本当に死ぬんだ”っていうのが心のどこかにありながら、アホな事をして笑うのだろう。
そうだ、なるべく笑いたいな。
葬儀の後で悲しい気持ちの時に、家の周りで子どもらとアナグマを見かけて、母の弟夫婦のおばちゃんと畑に罠を仕掛けました。
子どもたちに、丁寧に説明してくれたおばさん(ねえちゃんと呼んでいる)。
次の日にすぐ罠にかかってアナグマ。
これも忘れられない思い出になるだろうと思います。

アナグマが主人公のいい絵本がある。
「わすれられない おくりもの」。
亡くなったアナグマさんと残された人たちのお話で、いまの自分にぴったり。
何度も読もうと思います。
気がつくと黄昏たり、もの思いにふけったりしてますが、普通に笑ったりもしてます。
飯も普通に食べてます。
今回感じたのは、ぼくを見守っていた誰かか、何かの「意思」。
神さまなのか、ご先祖さまなのか、母親なのか、じいちゃんなのか。
ぼくの気持ちの準備ができるように物事が動いてたし、慰めもあって、いったいなんなんだろうと思っています。
夜中に目が覚めて、頭が冴えてあれこれ考えていて、ふと感じた「お母さんがんばれ」と「やすしがんばれ」という大勢の意思。
思い過ごしかもしれないけど、安心感に満たされていたら、病院からかかってきた最後の電話。
車に向かう時の、すごく綺麗に見えた星空。
そして病院について5分ほどで息を引き取った母。
病院いる母に何もできず、墓に行って「母ちゃんが今大変じゃ、じいちゃん、ばあちゃん、父ちゃん、ええようにしちゃってくれ」と伝えたこと。
そしてたぶん、ええようになったこと。
それらが整理できずに、慰めとして残っています。
ここからまた馬鹿なことを言ったり考えたりしながら生きてくのだろうけど、“人って本当に死ぬんだ”っていうのが心のどこかにありながら、アホな事をして笑うのだろう。
そうだ、なるべく笑いたいな。
葬儀の後で悲しい気持ちの時に、家の周りで子どもらとアナグマを見かけて、母の弟夫婦のおばちゃんと畑に罠を仕掛けました。
子どもたちに、丁寧に説明してくれたおばさん(ねえちゃんと呼んでいる)。
次の日にすぐ罠にかかってアナグマ。
これも忘れられない思い出になるだろうと思います。
アナグマが主人公のいい絵本がある。
「わすれられない おくりもの」。
亡くなったアナグマさんと残された人たちのお話で、いまの自分にぴったり。
何度も読もうと思います。
しばらくブログを書く間がありませんでした。
その間に、急な事ですが母親が亡くなりました。
救急搬送の知らせを聞いて、4日あまりのことです。
体の不調の原因も分からずでした。
その後、葬儀の喪主をやり、各種の手続きをしている間に、あっという間に1週間が過ぎました。
幼馴染みに再会したり、近所の人と話をしたり、懐かしいやら悲しいやらで、気持ちが追いつく暇がなかったです。
星の配置が悪い時期とは聞いていたけど、うーん、これ程とは、という感じです。
同じ日に谷川俊太郎さんも亡くなっていました。
人はいつかは死ぬのだな、と思うのですが、全く心が追いつかない、そんな今です。
死に目に会う事はできて、手を取って声をかけながら見送る事はできました。
最後を看取れたのと、長く苦しむことがなかったのが、せめてもの救いです。
次に電話があれば看取りという時に見た綺麗な夜空、不意にかかった二重の虹、ずっと続いた青信号、母親の体調が悪化した頃に見た夢、ふと感じた「がんばれ」という大勢の人の気持ち、なんか見守られていたなぁと感じます。
大阪に戻り、しばらく気持ちの整理と郵送される手続きの書類に追われるでしょう。
いい大人なのですが、なんか急にさらに大人になったような気がします。
大人になるというか、あの世に一歩近づいた、というか。
人を大事にせねば、と思いました。
これから大阪と日常に戻ります。
その間に、急な事ですが母親が亡くなりました。
救急搬送の知らせを聞いて、4日あまりのことです。
体の不調の原因も分からずでした。
その後、葬儀の喪主をやり、各種の手続きをしている間に、あっという間に1週間が過ぎました。
幼馴染みに再会したり、近所の人と話をしたり、懐かしいやら悲しいやらで、気持ちが追いつく暇がなかったです。
星の配置が悪い時期とは聞いていたけど、うーん、これ程とは、という感じです。
同じ日に谷川俊太郎さんも亡くなっていました。
人はいつかは死ぬのだな、と思うのですが、全く心が追いつかない、そんな今です。
死に目に会う事はできて、手を取って声をかけながら見送る事はできました。
最後を看取れたのと、長く苦しむことがなかったのが、せめてもの救いです。
次に電話があれば看取りという時に見た綺麗な夜空、不意にかかった二重の虹、ずっと続いた青信号、母親の体調が悪化した頃に見た夢、ふと感じた「がんばれ」という大勢の人の気持ち、なんか見守られていたなぁと感じます。
大阪に戻り、しばらく気持ちの整理と郵送される手続きの書類に追われるでしょう。
いい大人なのですが、なんか急にさらに大人になったような気がします。
大人になるというか、あの世に一歩近づいた、というか。
人を大事にせねば、と思いました。
これから大阪と日常に戻ります。
小学校の運動会があった。
生徒数が800人と多いので、あまりのんびりしたものではない。
生徒はどんどん競技をこなす。
親はひたすら撮影の場所取りに並ぶ。
そんな感じ。
老眼と近眼なので、遠くを見れば近くが見えず、近くを見れば遠くが見えず
カメラ撮影はなかなか大変。
それでも何度目かの運動会なので少しは慣れてきた。
カメラをメインにして見ればいいのだ。
ほんとはできれば肉眼で見て記憶に焼き付けたい。
その方が良いに決まってる。
そして、実は競技より合間の子供たちの様子の方がほんとは見たかったりする。
友達とどんな風にしてるか見たいのだ。
仕事が人手不足なので、運動会終了後に会社に行く予定だったのだけど、運良く前日に雨が降ったために、仕事量が少なくて行かずに済んだ。
ラッキーだった。
最近は時々サンプラーを、いじっている。
頭の中で作ってそれを再現するのと、音を組み立てながら作っていく二つの方法を試してみたけど、前者の方が伝わりやすい気がする。
しかし自分で聴くには後者の方が耳触りが良く聴いて楽しい。
新鮮だし。
まあ、気長に色々試してみようと思う。
10曲を目標にしてたけど、短いの20曲くらいがいいかもしれないと思った。
そのくらい続けたら何か新しいものが見えてくるかもしれない気がする。
ここのところあれこれ考えていた。
あれこれ考えていると、つまんないことをブログに書いてしまいそうで、書いたけど投稿してないのがたくさんある。
何を投稿したかよく覚えてないので、同じ事を書いてしまいそうだ。
考えてた事は、子供らを見ていると感じること。
何が祖先から受け継いだものかとか、その特質を自分がどう対処してきたかとか、のめり込みやすさとその欠点、音楽やってバランスとってたなとか、自分のダメさにウンザリしたり、欠点と才能は同じとこから生まれるとか、いったいこの祖先からの遺伝をどう伸ばしたり直したりすればいいのか、などグチャグチャしたこと。
そうなると、言葉や思考の関係ないインストの音楽が魅力的に感じるようになってきた。
生徒数が800人と多いので、あまりのんびりしたものではない。
生徒はどんどん競技をこなす。
親はひたすら撮影の場所取りに並ぶ。
そんな感じ。
老眼と近眼なので、遠くを見れば近くが見えず、近くを見れば遠くが見えず
カメラ撮影はなかなか大変。
それでも何度目かの運動会なので少しは慣れてきた。
カメラをメインにして見ればいいのだ。
ほんとはできれば肉眼で見て記憶に焼き付けたい。
その方が良いに決まってる。
そして、実は競技より合間の子供たちの様子の方がほんとは見たかったりする。
友達とどんな風にしてるか見たいのだ。
仕事が人手不足なので、運動会終了後に会社に行く予定だったのだけど、運良く前日に雨が降ったために、仕事量が少なくて行かずに済んだ。
ラッキーだった。
最近は時々サンプラーを、いじっている。
頭の中で作ってそれを再現するのと、音を組み立てながら作っていく二つの方法を試してみたけど、前者の方が伝わりやすい気がする。
しかし自分で聴くには後者の方が耳触りが良く聴いて楽しい。
新鮮だし。
まあ、気長に色々試してみようと思う。
10曲を目標にしてたけど、短いの20曲くらいがいいかもしれないと思った。
そのくらい続けたら何か新しいものが見えてくるかもしれない気がする。
ここのところあれこれ考えていた。
あれこれ考えていると、つまんないことをブログに書いてしまいそうで、書いたけど投稿してないのがたくさんある。
何を投稿したかよく覚えてないので、同じ事を書いてしまいそうだ。
考えてた事は、子供らを見ていると感じること。
何が祖先から受け継いだものかとか、その特質を自分がどう対処してきたかとか、のめり込みやすさとその欠点、音楽やってバランスとってたなとか、自分のダメさにウンザリしたり、欠点と才能は同じとこから生まれるとか、いったいこの祖先からの遺伝をどう伸ばしたり直したりすればいいのか、などグチャグチャしたこと。
そうなると、言葉や思考の関係ないインストの音楽が魅力的に感じるようになってきた。