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誕生日で、なつは終始機嫌よく過ごした。
子供が喜んでいると、親も嬉しい。
ななこは最近練習してるリコーダーで、ハッピーバースデーを吹いた。
なつがプレゼントに欲しがったのは、アニアという可動式の動物や恐竜のフィギュア。
嬉しそうにそれで遊んでいた。
ななこは、手作りの化石の恐竜をプレゼントしてた。

「旅立ちの時」と言う映画の中に、誕生日のシーンがある。
好きなシーンだ。
主人公のリバー・フェニックス演じるダニーが、自分の母親の誕生パーティに、ガールフレンドのローナを招く。
それぞれが手作りのプレゼントを、母親に渡す。
プレゼントは買ったものではいけない、という決まりなのだ。
ローナは、自分の家と違う暖かい雰囲気にいいなと思う。
食後に片づけをしながら、ジェイムス・テイラーの「ファイヤー&レイン」でみんなが歌いながら踊る、というシーン。

いい演技なのだ。
脚本も演技も良い。
家族というものをちょっと考えてしまう。
エンディングの、ダニーが家族と別れるシーンでもう一度「ファイヤー&レイン」が流れる。
そういう演出も良い。
何度も観なおしてしまう。

パーティのシーン、youtubeにあった。
布袋寅泰の自伝を読んでた。
音楽はちゃんと聴いたことないが、面白い。
丁寧に書いた誰かの自伝は面白いね。
自分の人生の事だから丁寧に書くんだろうな。

家に帰ると、なつが歯が抜けたと行って見せに来た。
そのままテンションが上がって走り回り、抜けた歯を無くしてしまった。
見つからず、夜まで大騒ぎ。

我が家では、抜けた歯を枕元に置くと、妖精さんがプレゼントを持ってくるのだ。
なつは、妖精さんに手紙を書いてた。

「歯が抜けたけど、無くしました、写真もあります」



毎日書いてると、だんだんと書くことが無くなってくる。
なんかあったとしても、読んでもつまんないだろうな、とか考え出す。
そして昔の事とか、人生とかからほじくり出そうとしたりする。
そういう時になんだか頭を使うので、良いような気がする。
なので無理やり何か書こうとしたりする。

朝の通勤ルートで、町の商店街を通るようになった。
アーケードのせいで暗い商店街を抜けた時の、駅前の空が開けてくる感じが好きなのだ。



今日は高田渡とマーティン・カーシーの入ったカセットテープを聴いていた。
高田渡は、なんでいいんだろう。
僕は特に日本のフォークが好きな訳ではないのだ。
フォークが好きだと言うと、割と面倒な誤解が生じるのである。
その辺りの説明がややこしい。

60年代から70年代の日本のフォークは、おそらく大雑把にボブ・ディランとピーターポール&マリー等に影響を受けた音楽なんだろうと思う。
フォークって、元は"民間の"みたいな意味だ。
アメリカでのフォークリバイバルの頃に、働きながら歌う労働歌、子守唄、過去の事件を歌った伝承歌みたいなのを取り上げて歌う人達がでてきた。
ブルースとかも大まかにはフォークなのではないか。
たくさんの人を通って、膨らんで伝わって来た歌を、元々はフォークって呼んだんだと思う。
歌詞を変えたりもしたし、そういうのも全然OK、著作権フリーみたいな世界のはず。
それが著作権とか言い出して、やれツェッペリンや、ポールサイモン、が盗作だ、となってきた。
そして根無し草みたいになって行く。

日本のフォークソングみたいなCDを借りた時、高田渡だけ古くなかった。
ミシシッピ・ジョン・ハートみたいなギターの弾き方だったから古く聞こえなかったんだろう。
そういうルーツに根付いていた。
当時そういう人は珍しかったんだと思う。

ミシシッピ・ジョン・ハートの歌を和訳したり、あちらの曲に日本の詩人の詩をのせたりしてたみたい。
元歌はアレだよとかネタにされていたけど、フォークって本来そういう音楽なのだ。
自分自分してない音楽。

当時僕は、躁鬱症の後で、音楽のオリジナリティを追求して狂気の世界に行くのがとても怖かった。
だから、そういう人と繋がってる歌、自己表現でない音楽にとても救われた。
そういうのに僕も繋がりたかった。
マーティン・カーシーもそういう強い音楽だった。

そういう説明し辛い独自な事をしてると誤解も多いんだろうか、渡さんは酒に溺れていった。
ライブのMCで西岡恭蔵さんの自殺に触れて、「死ぬなら水を張った洗面器に顔をつけて死んだら、あー、あの人は根性があったなと言われるよ」、とおっしゃって笑いを取っていた。
渡さんが亡くなった後に、そのMCを思い出して、酒の入った洗面器に顔をつけて亡くなったようなもんだと思ってしまった。
それ以来、高田渡の歌を聴くのがちょっと辛くなった。
年取っても音楽をやっている希望、みたいな感じの人だったので、余計に。

「タカダワタル的」のサントラCDを最近は聴けるようになった。
スタジオ録音やそれ以前のライブより、何か抜けてる感がある。
とっても幸せそうだ。
力みのない、そういう境地にいたんだと思う。
凄い人だったんだと思う。
だが僕は酒は嫌だなと思うのだ。
笑いを取れる、親しみの持てる弱みではあるけど、身体を壊すまで飲んじゃダメだ、、


夏だ、どこを見ても夏だ。
今くらいが一番いい。
この一週間だな、きっと。

子供の頃の夏は、八月最初の週に地域の子供会で廃品回収をし、海に行き、十日に小学校の早起き会があり、楽しみが八月上旬に集中してた。
いまだに、夏の今くらいが一番いいなと思う。
なつなりが生まれたのもこの時期、僕の躁鬱症の発症もこの時期、、
きっと生命力の強い時期なんだろう。
蟻もせっせと蝉の死骸に群がっている。



母親に電話したら、お茶の葉を揉んでたとこだ、と言ってた。
そういや昔、はっぴいえんどのベスト盤をラジカセで鳴らしながら、お茶もみを手伝った。
母がそれを覚えてて、CMでレヨナ?が「風をあつめて」を歌ってるのを見て、あの歌だねー、と言っていたのを思い出す。

職場で暑いので、涼しいかなと思って麻のパンツを買ってみた。
そんなに通気性が良かった訳ではないけど、ちょっと開放的な気分になった。
それで今日は機嫌良く、ずっと、今の時期いいなーと思いながら働いてた。
なんやろ、ほんまにすごくよい。
何をする訳でもないが、ただぼんやりするだけで良い。
こないだ雷が鳴って、夕立ちがあった。
天気雨で虹も出て、子供らがはしゃいでた。
なんかいい。
やっぱり今の時期はいい。
汗をかくのまで、良く思えてくる。

トンボが川岸に卵を産んでいる。
チョンチョンと水面におしりをつけている。
ヌートリアの子供もいた。
小さいからか、泳ぐのが早い。
でかいカニが出てきた。
ほんとに横歩きだ。
魚も多い。
横腹の模様が綺麗なヤツがいる。
なんていう魚なんだろうか?

昨日は、なつがヒキガエルを飼いたいと言ってた。
なんでヒキガエルなんだろ。
昔、実家の裏庭でヒキガエルに遭遇した話をしたら、嬉しそうに聞いていた。
僕もヒキガエルが好きだったのだが、一度しか見た事がない。
その時は網を取りに戻ったらいなくなっていた。
カエルなのに、なんだか風格があった。
自然の中の生き物っていいな。

尾崎裕哉という人の本を借りた。
尾崎豊の息子さんである。
とても面白て、スラスラ読んでいる。
デカすぎる父親の存在が付いて回る。
音楽をやろうとしたら、どうしても尾崎の息子、として注目される。
懸命に自分の歌を作ろうとするのが切ない。



ゆずの歌を、アメリカ人が歌ってる映像が面白かった。
腹痛くなった。

ゆずの


この時期は、光が強いので景色が綺麗だなと思う。
入道雲がモクモクの所が、見てて気持ち良い。
こういう感じの光はそんな長く続かない気がする。
数週間ぐらいじゃないだろうか。
暑い地域ではもっと長く続くのかな。

ところで、筆が滑るという言葉がある。
調子に乗って書かなくてもよい事まで書いてしまう、という意味だそうな。
文章を書いていると、よく筆が滑るような気がする。
正確には筆ではなくて、指なのだけど。
昨日もブログを書こうとして、筆が滑ったようだ。
どうしようかと思ったが、そのまま載せますので、筆が滑ったんだな、と思ってお読みくださいまし。
とりあえず、真面目には書いております。
きつい話も書いたので一応前置きを書いた次第です。

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今年は父親の五十回忌である。
僕の生まれる前の事なので、だいぶ昔である。
父の死はおそらく、僕の生まれた時から人生の課題であり続けたと思う。
それを消化するのに38年かかった。
その課題は、父親がいなくて寂しかったと自覚する事、その影響が根深いものだと知る事、人に普通に公言できる事だったと思う。

子供の頃、定期的に恐ろしい夢を見ていた。
目が覚めても覚えてなくて、恐怖だけが残っていた。
あんまり怖かったので、母親に寝るのが嫌だと泣きついた程だった。
中学の時にやはりその夢を見たのだけど、その時初めて覚えていた。
海の上の真っ直ぐな道の上を、出口に向かって少しずつ自動的に動いている夢。
前後に人はいるけど、その人のとこに行くことも会話することも出来ない。
いつ出口に着くかわからないが、その出口の外で怖い事が起こり、何も出来ず、ただ進んで行くという夢。
この夢を覚えて意識化できてから見なくなった。

30代の頃、あの夢は母親の胎内にいた時の記憶ではないかと思った。
胎内にいた時の母親の強いショックが伝わってたのではないかと思う。
大学生の時、急性の躁鬱症を発症したのもその時のショックが原因ではないかと思う。
無意識のとこに何か残っていたのではなかろうか。

散々、そういう口にできない物を抱えてたのが、芸術に興味を持ち、音楽に固執した理由だと思った。
ある時、そんなもん、もういい年だし、普通に話す事にしよう、と決めた。
そしたら不思議なもんで、結婚して子供ができた。
いや、子供ができて結婚した、、
なんかそれで完全に乗り越えれたように思う。

そういう生まれた時からの宿題みたいなのが、人それぞれあるんではなかろうか、と思う。
先祖からの何やかんや。
僕はどうも父親が見守ってくれてたんではないか、と思う。
先祖もいたかもしれない。
躁鬱症の時や、結婚前にたくさん偶然があった。
僕だけの意思ではないものがあったように思う。
そういう色々な事にとても感謝している。
墓参りくらいしかできないけど。
家族にも感謝している。

昔、タイムマシンのように、という歌を作った。
その中で歌った未来に連れて行く君、は自分自身であり、父親であり、聴いている過去に囚われた人であり、歌そのものであり、大事な人であり、色々な気持ちを込めたつもり。
だけどあんまりに説明不足で、伝わらないとは思う。
しかし効果はあったように思う。
多分、繰り返し歌の事を考えて作るという行為は"まじない"になるんだと思う。
僕は音楽やってて、その"まじない"の部分には触れる事が出来た。
それだけは満足できている。

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早朝から公園でギタレレ持参で練習する。
早朝の公園はウォーキング、犬の散歩、などの人で溢れてる。午前五時でも。
ヨガやってる人、寝てるだけの人もいた。
朝から声出ないので、ギタレレに五フレットカポで歌う。
超高音のバックに歌は低音で、面白いサウンドになった。


午前中は亀を見たいという子供らを連れて、川に行く。
暑過ぎて亀は少ないが、三匹くらいいた。
持参した網で魚を捕まえる。エビもいた。
魚を持って帰りたいと子供らが言うが、魚はすぐ弱るので、エビと貝を持って帰る事にした。
疲れた子供らの漕ぐ自転車を連れて、カルガモのように家まで帰った。
真夏なので汗をかき、疲れ、午後はグッタリと過ごした。
近所でかき氷を食べ、公園でちょっとだけ遊び、サンディで買い物、そして帰宅。
そんな風だった。



図書館の近くのサンデイはアイスの種類が多い。
家の近くのサンデイにはないミルク金時があるので、行った時には買っている。
なにせ安いのでいい。
僕の体の七割は、サンデイの食材でできてるのではなかろうか、
心強いスーパーであります。
今の家に引っ越してから、近所にサンデイができたのでラッキーだった。
あとは近所に山とビーチがあれば最高なんだが。
なんてね。

何で見たのか忘れたが、海の近くに住んでる人が、毎日仕事の前に海に入るって言ってるのを見て、羨ましいなと思った事がある。
そんな暮らしをしてる人もいるんだ、世界は広いなーと思う。

僕はサーフィンに憧れがある。
上手くなりたいとかではなくて、サーフィン好きならば思う存分に海を満喫できるような気がするから。
自然の中に入りたい欲求が、少しあるようだ。

また、どうでもいい事を書いてしまった。
ではまた。

この間、テレビでLOVE LOVE愛してるの最終回をやってた。
昔の映像が流れてたので、懐かしいなー、と観てたら、志村けんが出てきた。
テロップで、当時48歳と出て、ちょっとショックだった。
今の僕とほぼ同じ歳なのだ。
番組の当時僕は20歳ちょいだったから、その頃は志村けんは凄く年上だと思ってたけど、今の自分くらいだったんだ、というショック。
客観的に見たら、いま自分がそんな歳なんだという感覚が追いついてなかった。
子育てと転職でアップアップしてる間に歳をとってしまった。
我が子の育ちに老いるを忘れ、である。
これはいかん、認識を改めねば、、と思ったのである。
それらしく振舞わなければならない。


昨日、家に帰ると、なつがブロックで何か作ってた。
集中してるなーと思い、風呂に入って出てくると、ガン泣きしていた。
どうやら作ったブロックが壊れて上手く直せないらしい。
唐傘お化けを作ったようだ。
目からボロボロ涙が落ちていた。
しばらくなだめて機嫌が治ったら、たくさん妖怪の絵が書いた紙に、文字を書き始めた。
こんな風にである。

ようかん
うさぎ
かまきり
いす
おおかみ
さかな
がいこつ
せみ

そういう事かと、ピンと来た。
頭の文字を繋げて読んだら、妖怪を探せ、だ。
その紙に絵が描かれている妖怪7、8体を、家の中から探せという事らしい。
そういえば、謎のブロックが隣の部屋にあった。
ブロックでたくさん妖怪を作って隠してたみたい。

そこで、ななこと一緒に家の中を探して回った。
正直、ちょっと楽しかった。
手の込んだ事をやるようになったなー、という感慨もあった。
コソコソその準備をしてて、最後に上手くいかなくて疲れて泣いたようだ。
そういう訳だったのね。
今日帰ったら、昨日の面白かったなーと言ってやろうと思う。
昨日、今日とたくさん眠った。
というか、最近四時過ぎに起きたら、遅くまで寝たと思う自分がいる。
どうなんだろうね。
朝に外に出ると、老人をよく見かけるが、これはおそらく僕も歳なんだな。
昔は夜に寝れないのが嫌で、眠くなるまで起きていたもんだった。
今はもう五分で寝てしまう。
きっと良い事なんだろう。

毎日毎日、出来るだけ味わう事を大事にしたい。
蝉の声を聴くとか、葉っぱが揺れるのを眺めるとか、水が美味い、ご飯美味しいとか、知らない子供がバイバイしてくれたとか。
これ楽しいとか、気持ちいいとか、得意とか。

自分の子供が何を楽しんでいるのかも、見ときたい。
得意な事、好きな事に出会えるかどうか。
自分が何が好きで大事にしてるか分かっていたら、人に出会いやすい気がする。
どうやったらそういう自分のしたい事に気付けるか、それを子供に伝える準備を今自分でしているのかもしれない。
僕は音楽が好きなのはわかっているのだけど、どういう風に好きなのか、何をしたいのかを考えている。
なかなか難しい。
そういうのを子供たちが出来るように、何を伝えたらいいんだろう。

あぁ、とりとめもない。
やめとこう。
つまんないブログになる、、

しかし、今年の夏は妙だ。
最初が暑すぎた。
38度とかは苦しかったが、32~3度くらいは夏らしくて丁度いい。
しっかり蝉も鳴いてるし。
しかしクマゼミはのろまですな、手で余裕で捕まえれる。
ニイニイやアブラはもっとすばしっこかったはず。
やっぱり夏はいいね。
しばらく30度ちょっとくらいが続いたらいいな。
こっから10日間くらいが一番夏らしくていい。
しっかり味わっておこうと思う。
ぼんやり雲を眺めるとかしたい。
普通に見上げる空と、寝転がって見る空は、なんで違うんだろうか。
割と公園で寝転がっている人を見かける。
行くとこに行けば、のん気そうな人がいる。
家の前に朝から椅子を出して涼んでいる人、毎日家の周りのサボテンの世話をしてる人、毎週集まって原っぱで子供みたいに野球をしてる老人。
そういう人達は本人に自覚が無くても、見ていると何かを心にくれる。
楽しんでいる人は見てて気持ち良い。
豊かなだなと思う。
   
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