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筆が滑るという言葉がある


この時期は、光が強いので景色が綺麗だなと思う。
入道雲がモクモクの所が、見てて気持ち良い。
こういう感じの光はそんな長く続かない気がする。
数週間ぐらいじゃないだろうか。
暑い地域ではもっと長く続くのかな。

ところで、筆が滑るという言葉がある。
調子に乗って書かなくてもよい事まで書いてしまう、という意味だそうな。
文章を書いていると、よく筆が滑るような気がする。
正確には筆ではなくて、指なのだけど。
昨日もブログを書こうとして、筆が滑ったようだ。
どうしようかと思ったが、そのまま載せますので、筆が滑ったんだな、と思ってお読みくださいまし。
とりあえず、真面目には書いております。
きつい話も書いたので一応前置きを書いた次第です。

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今年は父親の五十回忌である。
僕の生まれる前の事なので、だいぶ昔である。
父の死はおそらく、僕の生まれた時から人生の課題であり続けたと思う。
それを消化するのに38年かかった。
その課題は、父親がいなくて寂しかったと自覚する事、その影響が根深いものだと知る事、人に普通に公言できる事だったと思う。

子供の頃、定期的に恐ろしい夢を見ていた。
目が覚めても覚えてなくて、恐怖だけが残っていた。
あんまり怖かったので、母親に寝るのが嫌だと泣きついた程だった。
中学の時にやはりその夢を見たのだけど、その時初めて覚えていた。
海の上の真っ直ぐな道の上を、出口に向かって少しずつ自動的に動いている夢。
前後に人はいるけど、その人のとこに行くことも会話することも出来ない。
いつ出口に着くかわからないが、その出口の外で怖い事が起こり、何も出来ず、ただ進んで行くという夢。
この夢を覚えて意識化できてから見なくなった。

30代の頃、あの夢は母親の胎内にいた時の記憶ではないかと思った。
胎内にいた時の母親の強いショックが伝わってたのではないかと思う。
大学生の時、急性の躁鬱症を発症したのもその時のショックが原因ではないかと思う。
無意識のとこに何か残っていたのではなかろうか。

散々、そういう口にできない物を抱えてたのが、芸術に興味を持ち、音楽に固執した理由だと思った。
ある時、そんなもん、もういい年だし、普通に話す事にしよう、と決めた。
そしたら不思議なもんで、結婚して子供ができた。
いや、子供ができて結婚した、、
なんかそれで完全に乗り越えれたように思う。

そういう生まれた時からの宿題みたいなのが、人それぞれあるんではなかろうか、と思う。
先祖からの何やかんや。
僕はどうも父親が見守ってくれてたんではないか、と思う。
先祖もいたかもしれない。
躁鬱症の時や、結婚前にたくさん偶然があった。
僕だけの意思ではないものがあったように思う。
そういう色々な事にとても感謝している。
墓参りくらいしかできないけど。
家族にも感謝している。

昔、タイムマシンのように、という歌を作った。
その中で歌った未来に連れて行く君、は自分自身であり、父親であり、聴いている過去に囚われた人であり、歌そのものであり、大事な人であり、色々な気持ちを込めたつもり。
だけどあんまりに説明不足で、伝わらないとは思う。
しかし効果はあったように思う。
多分、繰り返し歌の事を考えて作るという行為は"まじない"になるんだと思う。
僕は音楽やってて、その"まじない"の部分には触れる事が出来た。
それだけは満足できている。

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