14歳
昔、書いたものの、なんかブログにアップするのをためらっていたもの。
もう少し上手く書ければいいのだけど、別にいいかな。
外出自粛なので、暇つぶしにでも読んでくださいね。
”最近、ラジオを聴き始めた中学生の頃をよく思い出していた。
中学1年生になったばかりの頃、友達のしもちとテッペイくんが洋楽を聴くようになっていた。
僕も聴いてみたくなり、FMステ-ションというラジオ雑誌を買ってみた。
初めて買ったFMステーションで、アメリカの音楽チャートで、アルバムの1位が、ホイットニーヒューストン、2位がヴァンヘイレン、3位がブルーススプリングスティーン、シングルではヴァンヘイレンの「Why Can't This Be Love」が1位だった。
なんとなく、ヴァンヘイレンを聴こうと思い、「5150」というアルバムを買った。
そのアルバムは、ハードロックだった。
部屋で聴いていたら、母親は「こんなん聴くの?」と不思議そうにしていた。
そのアルバムは、今聴いても素晴らしい。
当時はバラード曲が好きだったが、今聴くとバラード以外の曲がとても良い。
ギターのリフ、オブリガード、バンドのアンサンブル、タイトで耳に心地よい。
その後、しもちにはホイットニーを、テッペイくんにはスプリングスティーンをテープにダビングさせて貰った。
ホイットニーのダビング中にカセットデッキのアダプターが抜けてしまい、そのままアダプターをさし直したら、「All At Once」という曲の途中で毎回止まってしまうテープができあがってしまった。
それでも何度も聴いていた。
今聴き直すと、この「All At Once」、素晴らしいメロディと歌。
でも聴いていると、今でも途中で止まりそうな気がしてしまう。
それから、テッペイくんの影響で、ビートルズやKUWATA BANDを聴いた。
KUWATA BAND は「Ban Ban Ban」「スキップビート」「Merry X'mas In Summer」と3曲のシングルレコードを買った。
この3曲は今でも好きだ。
当時は意味も分からず口ずさんでいた。
「割れたパーツのマニア♪、腰を絡めすんげー、スケベー、スケベー、スケベー、スケベー、君にとりこの生ジュニア、Won't you hear me cry, Won't you hear me cry, no more~」
かなり後で意味が分かった。
うぶだったなと思い可笑しくなる。
その頃に、初恋をした。
同じクラスの子が、僕に気があるようなそぶりだったんだ。
時々、僕の近くで女友達とキャッキャと騒いでいる。
そんな様子を見ていたら、だんだん気になるようになっていった。
2年生になった頃に、ラブレターを貰った。
下駄箱に手紙が入っていて、帰る時にひらりと落ちてきた。
名前が書いてなかったので、誰からかなのか分からなかったのだが。
1年の時のクラスの文集の筆跡を見てみたら、その子かも知れないと思った。
しばらく夢見心地で過ごしていた。
洋楽もラジオや、しもちとテッペイくんとの貸し借りで、いい歌をたくさん知って、毎日「幸せー」って感じて暮らしていた。
でも、恋愛なぞいったいどうしていいものか分からず、音楽を聴いて紛らわすばっかりだった。
なんせ、うぶだったのだ。
そんなこんなで夏になり、町内の祭りがあった。
中学校の校庭で夜中にクラスメイトと集まりワイワイ騒いだ。
「みんな誰が好きなん?」という話をしてて、そのうち「よし、みんな一人ずつ告白をしようぜ」と盛り上がった。
何日か後、自転車置き場でその子を呼び出して、いわゆる告白をした。
緊張していたが、気持ちを伝えた。
「ちょっと考える時間をください」と言われて、ドキドキしながら数日待った。
しばらくして友達経由で、手紙を貰った。
好きな人がいるので、と断りの内容だった。
向こうも好きだと思っていたのは勘違いだったのか、それとも遅すぎたのか。
途方に暮れた。
それでショックを受けて、しばらく僕はハイテンションになってしまったような気がする。
友達に「どうなったん?」と聞かれても、話したくなくてはぐらかしていた。
そのせいかどうか、「なんや、あいつ」みたいになり、ちょっとイジメのような感じになった。
割と落ち込んだ。
踏んだり蹴ったりだった。
ある時に、その友達の中で一番仲の良かった奴に「おら、お前、なんじゃ!!」とつかみかかった。
そいつは「なんで俺だけに言うんじゃ」といった。
昔は仲が良かった分、余計そいつに一番腹が立ったように思う。
それがきっかけか分からないが、イジメは終わった。
そんな事が色々あって、放課後の部活の時間の事。
僕は体育館で階段に座って、その子を眺めていた。
僕は卓球部、その子はバスケットボール部だった。
顧問の先生が来て、「こら、練習せいや~」と叱られた。
涙が出てきた。
叱られたからではない。
何かが終わったような感覚だった。
気持ちの糸が切れたような。
そのまま体育館を出た。
しばらく考えて、クラブを辞める事にした。
何かに打ち込みたかった。
少し前の、5月に町内の祭りがあった。
その祭りで、子供歌舞伎に出演して、アルバイト代とお花でいくらかお金を貰っていた。
そのお金でエレキギターを買った。
「バンドも無いのにギターを買ってどうするんじゃ」と誰か言っていた気がする。
それでも家で一人で練習するのは楽しかった。
何かに打ち込みたかった。
大きな音を出していると本当に気持ち良かった。
ラッキーな事に、家の両隣のお兄ちゃんとおっちゃんがドラムをやっていたので、苦情を言われる事もなく、思う存分大きな音を出していた。
そんな風に一人でギターを弾いて楽しんでたのだけど、小学校からの友達のタヒラくんが一緒にバンドやろうと誘ってくれた。
ありがたかった。
バンドのメンバーになれた。
それで、ギターを担いで自転車で文字通り”山を越えて”タヒラくん家まで練習に通っていた。
裏山を超えたら近かったんだな。
気持ちが、舞い上がったり、落ち込んだりしている間、色んな音楽が沁みていた。
80年代はいい歌が多かったのかどうか分からないけど、そんな頃に聴いた歌は思い出深い。
70年代の歌もさかのぼって色々聴いてみた。
R.E.M.やT.REXもその頃知った。
いい時代だった。
家電量販店のステレオコーナーやレコードショップや楽器店は活気にあふれていた。
そのまま音楽にはまり続けた。
25年くらい。
四半世紀だ。
そんな中学生の頃を懐かしく思い出してた。
僕が音楽に出会った頃。”
僕が音楽をやり始めたきっかけは、この中学の色々な出来事だった。
中2病っていうのかな。
さっき、アマゾンで「14歳」という本を注文した。
ミュージシャンの14歳の頃に的を絞ったインタビュー集らしい。
僕の14歳はこんなだった。
もう少し上手く書ければいいのだけど、別にいいかな。
外出自粛なので、暇つぶしにでも読んでくださいね。
”最近、ラジオを聴き始めた中学生の頃をよく思い出していた。
中学1年生になったばかりの頃、友達のしもちとテッペイくんが洋楽を聴くようになっていた。
僕も聴いてみたくなり、FMステ-ションというラジオ雑誌を買ってみた。
初めて買ったFMステーションで、アメリカの音楽チャートで、アルバムの1位が、ホイットニーヒューストン、2位がヴァンヘイレン、3位がブルーススプリングスティーン、シングルではヴァンヘイレンの「Why Can't This Be Love」が1位だった。
なんとなく、ヴァンヘイレンを聴こうと思い、「5150」というアルバムを買った。
そのアルバムは、ハードロックだった。
部屋で聴いていたら、母親は「こんなん聴くの?」と不思議そうにしていた。
そのアルバムは、今聴いても素晴らしい。
当時はバラード曲が好きだったが、今聴くとバラード以外の曲がとても良い。
ギターのリフ、オブリガード、バンドのアンサンブル、タイトで耳に心地よい。
その後、しもちにはホイットニーを、テッペイくんにはスプリングスティーンをテープにダビングさせて貰った。
ホイットニーのダビング中にカセットデッキのアダプターが抜けてしまい、そのままアダプターをさし直したら、「All At Once」という曲の途中で毎回止まってしまうテープができあがってしまった。
それでも何度も聴いていた。
今聴き直すと、この「All At Once」、素晴らしいメロディと歌。
でも聴いていると、今でも途中で止まりそうな気がしてしまう。
それから、テッペイくんの影響で、ビートルズやKUWATA BANDを聴いた。
KUWATA BAND は「Ban Ban Ban」「スキップビート」「Merry X'mas In Summer」と3曲のシングルレコードを買った。
この3曲は今でも好きだ。
当時は意味も分からず口ずさんでいた。
「割れたパーツのマニア♪、腰を絡めすんげー、スケベー、スケベー、スケベー、スケベー、君にとりこの生ジュニア、Won't you hear me cry, Won't you hear me cry, no more~」
かなり後で意味が分かった。
うぶだったなと思い可笑しくなる。
その頃に、初恋をした。
同じクラスの子が、僕に気があるようなそぶりだったんだ。
時々、僕の近くで女友達とキャッキャと騒いでいる。
そんな様子を見ていたら、だんだん気になるようになっていった。
2年生になった頃に、ラブレターを貰った。
下駄箱に手紙が入っていて、帰る時にひらりと落ちてきた。
名前が書いてなかったので、誰からかなのか分からなかったのだが。
1年の時のクラスの文集の筆跡を見てみたら、その子かも知れないと思った。
しばらく夢見心地で過ごしていた。
洋楽もラジオや、しもちとテッペイくんとの貸し借りで、いい歌をたくさん知って、毎日「幸せー」って感じて暮らしていた。
でも、恋愛なぞいったいどうしていいものか分からず、音楽を聴いて紛らわすばっかりだった。
なんせ、うぶだったのだ。
そんなこんなで夏になり、町内の祭りがあった。
中学校の校庭で夜中にクラスメイトと集まりワイワイ騒いだ。
「みんな誰が好きなん?」という話をしてて、そのうち「よし、みんな一人ずつ告白をしようぜ」と盛り上がった。
何日か後、自転車置き場でその子を呼び出して、いわゆる告白をした。
緊張していたが、気持ちを伝えた。
「ちょっと考える時間をください」と言われて、ドキドキしながら数日待った。
しばらくして友達経由で、手紙を貰った。
好きな人がいるので、と断りの内容だった。
向こうも好きだと思っていたのは勘違いだったのか、それとも遅すぎたのか。
途方に暮れた。
それでショックを受けて、しばらく僕はハイテンションになってしまったような気がする。
友達に「どうなったん?」と聞かれても、話したくなくてはぐらかしていた。
そのせいかどうか、「なんや、あいつ」みたいになり、ちょっとイジメのような感じになった。
割と落ち込んだ。
踏んだり蹴ったりだった。
ある時に、その友達の中で一番仲の良かった奴に「おら、お前、なんじゃ!!」とつかみかかった。
そいつは「なんで俺だけに言うんじゃ」といった。
昔は仲が良かった分、余計そいつに一番腹が立ったように思う。
それがきっかけか分からないが、イジメは終わった。
そんな事が色々あって、放課後の部活の時間の事。
僕は体育館で階段に座って、その子を眺めていた。
僕は卓球部、その子はバスケットボール部だった。
顧問の先生が来て、「こら、練習せいや~」と叱られた。
涙が出てきた。
叱られたからではない。
何かが終わったような感覚だった。
気持ちの糸が切れたような。
そのまま体育館を出た。
しばらく考えて、クラブを辞める事にした。
何かに打ち込みたかった。
少し前の、5月に町内の祭りがあった。
その祭りで、子供歌舞伎に出演して、アルバイト代とお花でいくらかお金を貰っていた。
そのお金でエレキギターを買った。
「バンドも無いのにギターを買ってどうするんじゃ」と誰か言っていた気がする。
それでも家で一人で練習するのは楽しかった。
何かに打ち込みたかった。
大きな音を出していると本当に気持ち良かった。
ラッキーな事に、家の両隣のお兄ちゃんとおっちゃんがドラムをやっていたので、苦情を言われる事もなく、思う存分大きな音を出していた。
そんな風に一人でギターを弾いて楽しんでたのだけど、小学校からの友達のタヒラくんが一緒にバンドやろうと誘ってくれた。
ありがたかった。
バンドのメンバーになれた。
それで、ギターを担いで自転車で文字通り”山を越えて”タヒラくん家まで練習に通っていた。
裏山を超えたら近かったんだな。
気持ちが、舞い上がったり、落ち込んだりしている間、色んな音楽が沁みていた。
80年代はいい歌が多かったのかどうか分からないけど、そんな頃に聴いた歌は思い出深い。
70年代の歌もさかのぼって色々聴いてみた。
R.E.M.やT.REXもその頃知った。
いい時代だった。
家電量販店のステレオコーナーやレコードショップや楽器店は活気にあふれていた。
そのまま音楽にはまり続けた。
25年くらい。
四半世紀だ。
そんな中学生の頃を懐かしく思い出してた。
僕が音楽に出会った頃。”
僕が音楽をやり始めたきっかけは、この中学の色々な出来事だった。
中2病っていうのかな。
さっき、アマゾンで「14歳」という本を注文した。
ミュージシャンの14歳の頃に的を絞ったインタビュー集らしい。
僕の14歳はこんなだった。
懐かしい名前がいっぱい!
みんな元気にしょうるかのう。
わしも仲良しじゃったつもりじゃけど、全然知らんかった14歳のキムチの色々。えっと考えたり、感じとったんじゃねえ。
わしはあの頃は特撮ヒーローに夢中で、ヤンキーになったりバンド始めたり恋人が出来たりしていくみんなについていけんかったよ。‥で、でもわしもこっそり好きな人おったよ!
バスケ部に‥
誰じゃろうか?(笑)
懐かしい名前出てくるじゃろー。
懐かしいのうと思って色々思い出しよったんよ。
かすちんと同じクラスだった3年生の時が一番楽しかったよ。
ええクラスだったね。
卒業記念に作ったコップがまだ実家にあるで~。
かすちんのとこも外出自粛で大変じゃろうね、、
今ホンマに世の中、ワシの仕事も大変じゃけど、いつか一緒に呑みながらそんな話をしよう!
会いたかったなー。
色々気にかけて貰ったなぁ。
そうか、校長先生かぁ~。
3年生の文化祭の時にやった、未来にタイムスリップする劇をよー憶えとるよ。
みんなでストーリーを考えたやつ。
ほんまに楽しかったよ、3年生の時。
うん、いつか一緒に呑もうね~。
結構攻めたテーマじゃったけど、やらしてくれた金田先生に感謝。同窓会ん時に、「キムチ、木村くんは大阪でミュージシャンやっとるんよ!」って話したら、「おお、保志か!」ってニコニコしよっちゃったよ。
悔しいけど原発事故は現実になってしもうたね。
経済の不安定、コロナウイルスと問題だらけの未来になったけど、お互い一歩一歩進んでいこう!
そしていつか絶対会って遊ぼう!呑もう!
わしも東京出てからちょっとだけギター弾けるようになったんよ、キムチと一緒に歌って遊びたいわ〜。
そうゆう事を楽しみにして、今日も生きる。
未来の世界に迷い込んだら原発で事故が起こっていたんだったね。
最後にイマジンの歌とフィルムの映像が流れて、、
あぁ、いい劇だったなー。
いいクラスと友達と先生だったなー。
ここ数日、中3の頃を思い出していたよ。
気持ちが温かくなるなー。
とっても純粋で真っ直ぐだったよ。
そういうのはずっと自分の中に残っているな。
あの頃に芽生えたのかな?
かすちんとはいつか呑まんといけんのぅ(笑)
ほんでいっぱい遊ぼうで~!