マトリックス
運河つくる→水流ができる、運河の脇に遊歩道をつくる
村人の技術習得→必要な物資の供給法
馬の飼育→鞍なし、釣り?
北側探索
収穫、屠殺→釣り→遊歩道、の流れで暮らしてみる
土をたくさん持ってく
行方不明の馬探し
やること多し
砂利もいる
これはゲームの為にメモしていたものである。
子供たちのやってたゲームMinecraft(通称マイクラ)をためしにやったら、見事にハマっておりました。
なんとなくハマるのではないかと予想はしていたのだが。
ぼくは現実から離れるのが好きなのだろうと思う。
音楽もそう、本もそう、映画もそう。
しかしこのゲームはなかなかの沼。。
マイクラは何年も遊べる。
そして際限なく夢中になってしまう、これはぼくの長所であり欠点だ。
生産性があれば長所になり、なければ短所になる。
が、しかし、幸せは生産性を考えないことの中にあると思う。
生産性という概念が幸せというものと相容れないようだ。
無駄を取り除くと、幸せの実感も減る。
海沿いの崖の上にガラス張りの簡易的な家を作ったら、夜景が素敵過ぎた。
夜が怖いぶん、安心できる家を作ると達成感がある。
そして怖いからこそ夜が綺麗。
ゲーム自体が、綺麗な要素を多く持っている。
どうりで人気がある訳はずだ。
やってみてよく分かった。
狩猟、開墾、定住、農作、畜産、略奪、炭鉱業、そんな人間の歴史を体験できる。
子供なら、なかなか勉強になると思う。
運河を作ろうとしていたら、ゾンビが現れて死んでしまった。
次の日、仕事しながら前日のマイクラを思い出してたら、そういやぼくの父親は建築の仕事をしていて、仕事中に井戸で亡くなったんだった、と思った。
ゲームで父親の仕事を疑似体験できている。
じいちゃんの仕事、農業と畜産もだ。
先祖の仕事をゲームで体験できていたわけだ。
それから、山を切り開いて、土地をならし、家や畑をこしらえる。
全部先祖がやっていたこと。
何か魂の部分がマイクラに反応してる気がする。
そしてここのところ、ゲームの中の家を整えている。
行方不明になった馬は見つかった。
おー、お前生きてたんか!って感じ。
家の柵を拡張して馬を飼うことにした。
馬の近くに桜の木も植えた。
他に牛とオオカミも飼っている。
別荘ではウサギ小屋を作り飼っている。
農作物も何種か育てている。
不思議なもので、子供の頃の実家に似てきた気がする。
箱庭療法ってやつかもしれない。
続き
北の地図を作りに行き、そこでサバイバル生活
村があれば移住
ウサギ探し
地図完成させる
無職を移住させて子孫で村を作る
あいかわらずマインクラフトである。
村に定住して、動物を飼い田畑を耕していた。
だんだんと家の周りが美しい風景になってきた。
村人とエメラルドというマイクラ内での通貨を介して取り引きをしている。
取り引きを繰り返すと村人は職人として成長して、より良いものを作れるようになる。
革細工師の作る馬の鞍が欲しくて、その為に必要なウサギの皮を得る目的でウサギを飼い始めた。
雪が降ると雪面が持ち上がりウサギが脱走したり、猫が侵入して食べられたりする。
なかなかのにリアルなのである。
その結果、狭い環境でウサギを交配させ、餌でおびき寄せて撲殺するということを繰り返すようになった。
だんだんとウンザリしてきた。
人間の文明の繰り返しである。
便利さの為に無駄に動物を殺め、食べもしない食物を作り金品に変える。
なんと皮肉なゲームなのであろうか。
そこで必要最低限の物を持ち、定住をやめサバイバルしながら世界をさまよう事にした。
だんだんとゲームの本筋のクリアというものから遠ざかってゆく。
しかしそれも許されるところが良い。
人間の文明というものが学べるゲームであるように思う。
そして地図だけを持ち、再度サバイバル生活に戻った。
未知の土地で野宿を繰り返し放浪する。
すぐに物が溜まってくる。
後で必要かもしれないと思うと、物が多くなる。
持たない事の身軽さを味わいたい。
しかしあちこちで宝を手に入れてしまう。
金の何とか、様々な強化アイテム。
所有と力へと向かうゲームだ。
しかしあえて物を持たず綺麗な土地を探して周る。
広いのである。
とある砂漠の村の見える砂の丘の上に家を作った。砂とガラスで作った簡易的な家。
夜は恐ろしいが、窓からは砂漠にいるウサギが見える。
反対側には夜の村の暮らしが見える。
そしてゾンビや恐ろしい生き物たち。
やはり美しい光景。。
そういう綺麗な風景を探して放浪しながら家を建てている。
地下世界は暗いので苦手。
戦いたくない。
馬に乗り平原を走りまわった。
綺麗な風景を求めて世界を放浪する。
しかし放浪するほど、最初の村の風景の美しさに気がつく。
やはり皮肉なゲームだ。
どうやら自分の人生への態度が反映されるようだ。
そして現実の事をおろそかにし、心は架空の別世界に生きている。
しかし子供らとゲームの会話が通じるようになった。
ややこしい単語がぼくと子供らの間で飛び交う。
りえちゃんはチンプンカンプンだろう。
3Dのオープンワールドのゲームは、現実の体験のようだ。
子供たちは小さい頃からそれが当たり前で過ごしている。
凄い世界になったもんだ。
まるで映画のマトリックスのようだ。
が、しかし、サラリーマンのルーティンをこなしながら、別世界で毎日異世界を放浪するのも悪くないと思うようになった。
村人の技術習得→必要な物資の供給法
馬の飼育→鞍なし、釣り?
北側探索
収穫、屠殺→釣り→遊歩道、の流れで暮らしてみる
土をたくさん持ってく
行方不明の馬探し
やること多し
砂利もいる
これはゲームの為にメモしていたものである。
子供たちのやってたゲームMinecraft(通称マイクラ)をためしにやったら、見事にハマっておりました。
なんとなくハマるのではないかと予想はしていたのだが。
ぼくは現実から離れるのが好きなのだろうと思う。
音楽もそう、本もそう、映画もそう。
しかしこのゲームはなかなかの沼。。
マイクラは何年も遊べる。
そして際限なく夢中になってしまう、これはぼくの長所であり欠点だ。
生産性があれば長所になり、なければ短所になる。
が、しかし、幸せは生産性を考えないことの中にあると思う。
生産性という概念が幸せというものと相容れないようだ。
無駄を取り除くと、幸せの実感も減る。
海沿いの崖の上にガラス張りの簡易的な家を作ったら、夜景が素敵過ぎた。
夜が怖いぶん、安心できる家を作ると達成感がある。
そして怖いからこそ夜が綺麗。
ゲーム自体が、綺麗な要素を多く持っている。
どうりで人気がある訳はずだ。
やってみてよく分かった。
狩猟、開墾、定住、農作、畜産、略奪、炭鉱業、そんな人間の歴史を体験できる。
子供なら、なかなか勉強になると思う。
運河を作ろうとしていたら、ゾンビが現れて死んでしまった。
次の日、仕事しながら前日のマイクラを思い出してたら、そういやぼくの父親は建築の仕事をしていて、仕事中に井戸で亡くなったんだった、と思った。
ゲームで父親の仕事を疑似体験できている。
じいちゃんの仕事、農業と畜産もだ。
先祖の仕事をゲームで体験できていたわけだ。
それから、山を切り開いて、土地をならし、家や畑をこしらえる。
全部先祖がやっていたこと。
何か魂の部分がマイクラに反応してる気がする。
そしてここのところ、ゲームの中の家を整えている。
行方不明になった馬は見つかった。
おー、お前生きてたんか!って感じ。
家の柵を拡張して馬を飼うことにした。
馬の近くに桜の木も植えた。
他に牛とオオカミも飼っている。
別荘ではウサギ小屋を作り飼っている。
農作物も何種か育てている。
不思議なもので、子供の頃の実家に似てきた気がする。
箱庭療法ってやつかもしれない。
続き
北の地図を作りに行き、そこでサバイバル生活
村があれば移住
ウサギ探し
地図完成させる
無職を移住させて子孫で村を作る
あいかわらずマインクラフトである。
村に定住して、動物を飼い田畑を耕していた。
だんだんと家の周りが美しい風景になってきた。
村人とエメラルドというマイクラ内での通貨を介して取り引きをしている。
取り引きを繰り返すと村人は職人として成長して、より良いものを作れるようになる。
革細工師の作る馬の鞍が欲しくて、その為に必要なウサギの皮を得る目的でウサギを飼い始めた。
雪が降ると雪面が持ち上がりウサギが脱走したり、猫が侵入して食べられたりする。
なかなかのにリアルなのである。
その結果、狭い環境でウサギを交配させ、餌でおびき寄せて撲殺するということを繰り返すようになった。
だんだんとウンザリしてきた。
人間の文明の繰り返しである。
便利さの為に無駄に動物を殺め、食べもしない食物を作り金品に変える。
なんと皮肉なゲームなのであろうか。
そこで必要最低限の物を持ち、定住をやめサバイバルしながら世界をさまよう事にした。
だんだんとゲームの本筋のクリアというものから遠ざかってゆく。
しかしそれも許されるところが良い。
人間の文明というものが学べるゲームであるように思う。
そして地図だけを持ち、再度サバイバル生活に戻った。
未知の土地で野宿を繰り返し放浪する。
すぐに物が溜まってくる。
後で必要かもしれないと思うと、物が多くなる。
持たない事の身軽さを味わいたい。
しかしあちこちで宝を手に入れてしまう。
金の何とか、様々な強化アイテム。
所有と力へと向かうゲームだ。
しかしあえて物を持たず綺麗な土地を探して周る。
広いのである。
とある砂漠の村の見える砂の丘の上に家を作った。砂とガラスで作った簡易的な家。
夜は恐ろしいが、窓からは砂漠にいるウサギが見える。
反対側には夜の村の暮らしが見える。
そしてゾンビや恐ろしい生き物たち。
やはり美しい光景。。
そういう綺麗な風景を探して放浪しながら家を建てている。
地下世界は暗いので苦手。
戦いたくない。
馬に乗り平原を走りまわった。
綺麗な風景を求めて世界を放浪する。
しかし放浪するほど、最初の村の風景の美しさに気がつく。
やはり皮肉なゲームだ。
どうやら自分の人生への態度が反映されるようだ。
そして現実の事をおろそかにし、心は架空の別世界に生きている。
しかし子供らとゲームの会話が通じるようになった。
ややこしい単語がぼくと子供らの間で飛び交う。
りえちゃんはチンプンカンプンだろう。
3Dのオープンワールドのゲームは、現実の体験のようだ。
子供たちは小さい頃からそれが当たり前で過ごしている。
凄い世界になったもんだ。
まるで映画のマトリックスのようだ。
が、しかし、サラリーマンのルーティンをこなしながら、別世界で毎日異世界を放浪するのも悪くないと思うようになった。
Comments