忍者ブログ
   
最近、歌の入っていない音楽をよく聴く。
なんでだろうか?
ジャズとかブラジル、アルゼンチンの音楽が、心地よい。

部屋で練習する時は、ギターより歌に気を配っている。
でも、そんな急に歌は上手くならない。
あたりまえか。
ストレッチや顔の柔軟をしておくとだいぶ違うのだが。

歌に満足できるときは来るのかな、、


それから、小中高と付き合いの長い友人と会った。
思い出話がメインになった。
共通の思い出が多いからなぁ。
高校の寮は、建て替えになる寸前のボロボロの寮だったので、寒かったし眠かった。
でも辛かった事って時が経つといい思い出になっている。
先輩に気を使っていた頃の方が笑える話題が多かった。
そんなものなのかな。

暖かくなってきたけど、また寒くなったら風邪をひきやすくなるよ。
気をつけましょね。

パパッと書いてみたが、近況はそんな風です。




写真を白黒加工してみました。

僕の産まれ育った、家。

 


こちらは尾道です。


毛細血管のよう。


見つけた青い鳥。



本格的な写真はとても撮れないので、携帯のカメラで撮ったものです。
最近、考えても文章が出てこないので、写真をアップしてみました。
FMラジオから聴こえてきた懐かしい歌声。
元バングルスのSusanna Hoffsという人でした。
年をとっても歌声はそんなに変わらないものだな。
たまにはラジオも良いです。

それから、家のゆるんでいたドアノブを修理してみました。
ドアノブって簡単に取れるんだと驚きました。
意外と簡単に修理できた。




ふだん歩いている時に、公園などのアジサイの蕾に目が行くようになりました。
アジサイがこんな様子で冬越えしているとは知りませんでした。
全く葉がなしです。

家にあるアジサイの鉢植えが、枯れてるんじゃないかと不安だったのですが、少し青さが出てきたように思います。


デイジーはまたアブラムシ駆除をして、金魚鉢には新しい水草を入れました。
パキラの鉢には謎の三つ葉が生えています。

そんなんで、少し春を感じるようになってきました。



最近音楽は、ふと耳にしたクラッシックギターの演奏と、「千と千尋の神隠し」のエンディングの歌に感動しました。
感動したと言うか、心にじんわり来ました。




なぜこのブログを作ったかと言うと、これまでなかなか会えない友人が「読んでるよー」と言ってくれていたのが嬉しかったので、ライブをやっていなくても何か書ける場所が欲しかったからなのです。

前の延長でたわいない事を書くんでしょうけど、元気でいるあかし程度に時々書ければいいかなと思っています。


真っ白いデザインにしたのは、写真が映えるかなと思ったからです。

試しに写真をアップしてみます。
大根の切り口が美味しそうだったので、写真に撮ってみました。





練習曲を2曲にしぼって練習しています。
そういう風にやってみると色々発見があるもので、このコード進行はあの曲の影響だなとか、この歌詞の感じはあの映画の影響だとか、ここのコードの響きがこのギターでは上手く出ないとか、あの影響がここで出たのかな、等々。。


自分は、歌を作る途中の、作詞、作曲、編曲、が好きなんだなと腑に落ちました。
それからギターを弾いて歌う事も好きだな。

その好きな部分だけに力を注ごうと思っています。

これまで作った曲を、1曲1曲きちんと解釈してアレンジしてみたい。

最近は、そんな感じです。

長い間には、ギター1本だけでも新しい発見が次々あって、奥深いです。
昔々、一人で音楽活動する時に使っていたB-SNAILという名前を引っ張り出してきました。

この名前でブログを書いてみようと思います。

ビースネイルと読みます。





しんとした様子
独り言はやみ、言葉の縛りから解かれる
人を人たらしめるこの言語
副作用で人は常に縛られたまま
思い切って言葉をなくし底へと潜ってゆく
我々は動物になる
謎の縛りから逃れたひと時

我々の早口になった言葉は
その速度により考えること感じることを奪う
加速する文明は言葉により人を生きた亡霊にする
我々文明人はあの、わからずじまいの海の底に立ち還らねばならない




あまりの静寂のため小僧のお前は泣く
生き方という選択はまだ知らず
この世界を遊んでよいと言えど
信じられぬ様子だ
さてお前の真の望みを見つめることはできるか
その静寂を友とし己の内をのぞけ
見果てぬものは見果てぬものでしかない
お前の知る世界で最上のものこそ隅にあれ
お前は空の広さを知らず知らず察し
笑顔の内に人の心の深さを見る
だが真の世界の広さはお前の心の内に実は在る
その広さこそ静寂の正体で
お前はそれを友とせよ



クジラの背が見える
それは心の海の中か
テレビで見た記憶か
あぁ非常にゆっくりだ
ゆっくり泳いでいる
水の色は薄い青
晴れた空のように澄みわたる
それはいつかテレビで観た映像
そしてこれはいつか学校で習った言葉
心の元はテレビや学校が作ったもの
ではその奥に何が
あぁ見えるのはタケノコだ
力強く伸びたタケノコ
竹林は素晴らしい
竹林は豊かだ
それは心の中の大切な記憶
お前はその竹林に友を招くのか
その竹林の奥に古いよく手入れされた日本家屋
あぁそんなものか
それは子供の頃の記憶
子供の頃というのは尊い
子供のように心の視点を常に今に置き
新しい一日を過ごせ
それが新たな尊い記憶になればいい

お酒をやめて少したった頃
そいつはオレの所にやって来た
オマエは誰だと尋ねると
「詩だ」
と答える
詩とは言葉を並べたものではないのか
と言うと
「オレに名前を付けたのはオマエだ」
と言う
いつからそこにいたんだ
と聞くと
「ずっといた
オマエの頭がいそがしくて気がつかなかっただけだ」
と言う

とにかくオレはそいつが来てから変わった
詩は基本的にいい奴のように思えた
そいつはあれこれオレに言う
「優しくないな」
「あれいいぞ」
「オレを大事にしろ」
「なぜ忙しくしてるんだ」
「何が大切なんだ」
「いま何が頭にあるのか」
という風に
オレはいちいちそれに従いそれについて考えた

ある時そいつはオレに言う
「オマエと一緒にイジワルな猿がいる」
どうやらそいつがオレにワルさをするらしい
どうしたらいいと詩に聞くと
とにかくイジワルな猿の話を聞いてやれと言う

イジワルな猿は
「やりたいことができない」
と言う
何をやりたいのかと聞くと
「ぼーっと散歩がしたい」
と言う
なんだそんな事かと叶えてやった
そのようにいろいろとイジワルな猿の願いを叶えてやっているとそのうちイジワルでないただの猿になった
その猿は詩と一緒にいると機嫌がいいようだ
そして時々やりたい事と食べ物を要求する

ある日、詩は言う
「最近オマエは調子が良いだろう
オレがいるからだ
オレと離れたくないならオレを言葉にして書きとめろ
しかしオレは本質的には言葉ではない
オレの事が良く分かればオマエはオレの兄弟がいろんな人のところにいるのに気づくだろう
オマエの好きな芸術やロックをつくったのもオレの兄弟だ
基本的にオレに足りない肉体性や物質性を混ぜ合わせて芸術はできている
しかし本当に大切なのは芸術ではなくオマエらの言うところの魂そのものだ
魂もまたオレの別の名だ
そしてオレの親は「死」だ
オレは死から生まれた」


という訳でオレはこうして言葉を書き留めるようになったわけである
これらは詩ではなく詩を書き留めようとする試みである


   
Copyright ©  -- B-SNAIL --  All Rights Reserved

Design by CriCri / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]